= 1 9 9 8 年 =

家庭も順調 仕事も順調で 「今年も元気に頑張ろうね!」と 新年を迎えた。
今年の一番の楽しみは 念願のマイホーム! 予定をバタバタとクリアして 3月 周りの方々
の御援助をいただき無事お引越し。我家は結婚してからも共稼ぎで 引越し後は母が手伝ってく
れ一週間足らずで片付等が済み 何とか住人らしくなった。母には本当に感謝!こうして新生活
のスタートルンルン気分♪ が 一気に目覚めさせてくれた それは何とボーナス時季だった。
家のローンなのだ。
ボ・ボーナスが〜ぁ〜手元に残らな〜い!これが現実なんだと心で泣いた。

月日が流れ6月上旬 突然 不安感に襲われた。
胸に 『しこり』・・・?

その日は たまたま同僚と胸の話しで盛り上がった。彼女は1月に手術をしたが結果は良性で 
本当に良かったよねとか入院中の事とか 自己検診のやり方とか いろいろ教えてくれた。私は
漠然と聞いていた。
だって私の人生の中で 絶対ありえない事だもん あるとしたら 胃腸関係
か肺関係かも・・・。
これらは成人してから めっきり弱くなった部位だから・・・。何時もの
様に眠りにつこうとした時 何故かしら胸の話しが蘇ってきた。 しこりネ〜 胸を擦ってみた
・・・?・・・? ん?・・・? コロンとしたものが指先に触れた・・・ 
ん〜? これが 
しこりか〜・・・ し・こ・り・・・しこり?しこりぃーっ?!!!
鼓動の速さに頭がついてい
かない。何?ナニ?なに?これって何ナノ? いきなり上半身を起こして擦ってみた。ある?!
今度は立ち上がって擦ってみた。やっぱりあるーっ!!! 
一気に放心状態・・・ ・・・ ・
・・ ドッキ〜ン!目覚し時計の音 朝になっていた。主人は仕事私はタイミング良く?仕事は
休み する事は沢山ある掃除・洗濯・ワックスがけ あと〜窓拭きもしよう。まるで何かにトリ
ツカレタように動き廻った。
一人でジッとしているのが耐えられなかった。何とも言えぬ不安感
が重く伸し掛かってきて 気が変になりそうだった。
夕方になると寝てないせいか もうろうと
してきた。主人には何て?話した方が良いのか まだハッキリしてないし 心配掛けたくないし
いろいろ考えたけど食事の時も その後も しこりの事は話さなかった。出来るだけ普段と同じ
様に明るくしていた。 今夜も なかなか寝付けない・・・。そう言えば乳腺症も しこりが出
来るって聞いた事があった様な気がした。
そうだ 次の月には消えているとか・・・?来月にな
ったら消えているかも〜だって私には ありえない事だもん そうだそうだ きっとそうだ! 


病院にも行かず 医学書で調べる訳でもなく ある程度の知識はあったけど 
否定しながらも不安感に恐怖感も同居。


7月
 おもむろに胸を擦ってみた。ひぇー!消えてない! 
8月 胸を擦ってみた どうか消え
ていますように・・・ギョッエ〜!!消えてない!!これってヤバイかも・・・どうしよう・・・
どうしよう・・・
不安と恐怖は限界に達していた。私の祖母は乳癌で全摘をしているが さすが
に祖母には話しが出来ない。私は病弱だったので 子供の頃以来ずっと体調の事で心配掛けてい
るから話せない。もちろん両親にも・・・心配性だから・・・でも一人で病院に行く勇気も無い。
ズルズルと数日間が過ぎ 8月下旬 用事もあったので実家へ行った。普通にしていたのに母の
感は鋭い!『何か悩み事あるんじゃないの?』「何も無いよ」『ちゃんと言いなさい』「・・・」
根性無しの私は 実は・・・と話し出してしまった。しこりのある場所も見てもらった確認して
いた母の手がビクッとした 言葉を失っている。やっぱ 話さなきゃ良かった と思っても時間
は戻らない。『病院には行ってないんでしょう?』これまた鋭い「ん〜」『明日行こう!絶対明
日!一緒に行ってあげるから!』 翌日 いい年して恥しくも母に付添ってもらった。

大きい病院は3件ある 自宅から近い病院にした。乳腺は外科 初診の受付をして科の前で待つ。
何とも言えぬ雰囲気に馴染めない。母がいるのに会話が見つからない。待つ事1時間位かな名前
を呼ばれ行ってみると 看護婦さんが『今日はどうしましたか?』「胸にしこりらしきものが・
・・」『そうですか この用紙に記入して下さい』 渡された紙を見ると
アンケートだった。主
訴・現症・現症の経過・既往歴・家族歴等
だった様な気がする。記入し終えて持って行きまた待
たされた。30分位かな名前呼ばれ診察室の前で待つ。30分位かな診察室の中へ入り先生とご
対面 部長先生だった。記入したアンケートを見ながら質疑応答って感じだった。それが終わる
と『写真撮って来てもらおうかな』
げっ!マンモ〜?(これはマンモグラフィーというもので乳
房をはさんで撮影するレントゲン)
確か痛い!と聞いた事があった。先生は男性なので聞いても
無理だから 看護婦さんに聞いてみたところ 経験した事がないから解らないと言う答えが返っ
てきた。経験しといてよ〜と心の叫び。もう頭の中は痛い と言う事でパニック状態。気が付い
たらレントゲン技師さんにどれ位痛いのか聞いていた。いや〜僕にはチョット解りませんネ〜だ
って 当たり前だよな・・・ 
痛みは個人差ですが乳房の小さい方は痛いかも・・・ 私の場合
は涙がチョチョギレました。なんたってブラCMにもあったけど 上げて〜寄せて〜♪ が出来
ないぐらい小さい。しかもしこりの位置が左乳房の左下つけねの当たり。技師さんも必死!引張
って引張って少しずつ挟みの繰り返しで何とか準備OKとなった。私は?直立不動!痛くて呼吸
も出来ない感じ。やっと撮り終えて これはもう二度とやらない!と心に決めていた時 ハイ次
は左右から撮りますネ〜。グァ〜ン!上下から挟んでと左右から挟んでとの撮影なのだ。もうグ
ッタリ・・・再び診察室に・・・出来上がったフイルムを診ながら言った。『しこりは写ってな
いナ〜』な、なんだって〜?先程の痛い思いは何だったの? 
続いて触診。次は超音波(エコー
)。これは しこりの位置や範囲、性状を調べる検査
で全然痛くない! 画面はこちらからも見
えるのでジ〜ッと見ていたら説明してくれた。しこりも映っていた。『・・・』なに?その無言
・・・『まだ若いから多分大丈夫だと思うけど 念の為
しこりに針刺して細胞採りますね』これ
が穿刺吸引細胞診と言う検査。採取された細胞は顕微鏡で調べられるのです。
これも涙がチョチ
ョギレ。胸に針を刺すなんて初めて またしても「どれ位痛いですか?」と聞いてしまった。も
う怖がりの性格むき出し状態だ。一通り検査が終了 フ〜疲れた〜。検査結果は1週間位かかる
ので 1週間後受診するように言われた。会計を済ませ時計を見るとお昼はとっくに過ぎていた。
付添ってもらったお礼に母にランチを御馳走する事にした。病院を出ると天気がとてもよく全て
が結果オーライ!って気分で不思議に不安も消えていた。主人には その日の夜これまでの事を
打ち明けた。黙っていた事をチョット怒られたけど これからはチョットの事でもきちんと話す
という事で納得してもらった。心配掛けて ごめんね。。。。。

翌日お昼過ぎ電話が鳴った。病院からだった。先生からお話しがあるので早めに受診して下さい
・・・と言う様な事だった。震えがきた。昨日検査して今日連絡 
タダゴトではない! 《乳癌
・癌・癌=死》 頭の中をグルグルと駆け巡っていた。否定と肯定が入り混じっていた。
結局受
診したのは予定の一週間後だった。その間 何をしていたかと言うと休職をし荒れた天気と同じ
様に
支離滅裂の日を送っていた・・・。


当日は主人に付添ってもらい病院へ・・・自分の事なんだけど どう気合を入れても一人で話を
聞く勇気はない。気持ちのどこかではまだ検査の結果は異状ありませんでしたよ と言う言葉を
期待している。 名前を呼ばれ行ってみるとまた用紙を渡された。アンケート?見ると
インフォ
ームド・コンセント(説明と同意)についてのものだった。病状・治療等に関しての説明は 自
分と家族にか・自分だけか・家族だけか と言った内容だったと思う。
私は自分と家族にチェッ
クを付けた。 しばらくして診察室へ・・・先生はカルテと検査伝票とにらめっこ?『こちらか
ら電話いってましたよねー 今日まで何してたのかな?』とても優しい口調だった。人前で強が
ってしまう性格が顔を出した。「別にいろいろと・・・」何だか取りとめの無い会話を少々して
本題に移ったと言う感じ。『実は・・・』と検査からの一連の流れを説明してくれて『癌細胞が
見付かったんですよ・・・』
私の頭の中は 癌と言う言葉に反応してしまい 無の状態になって
しまった。 
どうにか回転させて言えたのは「先生・・・主人が来てくれているので・・・一緒
に話を聞いても・・・いいですか・・・」主人を呼んで話を聞いた。私は また無の状態に。所
々言葉が耳に入ってきた。癌細胞・・・入院・・・手術・・・全摘・・・温存・・・不思議な光
景だった気がする。
目の前が夕焼けをすごーく薄めた色に変わり何の音も聞こえなくてスローモ
ーションで・・・透けて見えて・・・先生を見ると口がパクパクしていて・・・
口パク?気がつ
いた時には一通りの説明が終わっていて『一緒に頑張って戦って行きましょう!』と言われ「は
いっ!よろしくお願いします」と無意識で答えていた。診察室を出ると看護婦さんに呼ばれ入院
手続き。『先生からどの様な説明を受けましたか?』と聞かれ一瞬 (?_?)となり「何か乳癌で入
院して手術して」あと何だっけ?ボーっとしてきた。『大丈夫ですか?』の言葉にまた強気の発
言「全然大丈夫ですよ〜」まったく素直じゃないんだよね・・・手続きを終え
血液検査 これは
入院時一般検査で 血液型・肝機能・腎機能等を調べる検査で採血だけで終わった。
会計を済ま
せるとお昼時だった。病院を出てから主人に「乳癌なの?入院して手術するの?どうしたらいい
の?」まるで人事の様だったらしく『自分のことなんだから気持ちをしっかり持たないとダメだ
よ!』と言われ「うん解った!」と答えた。腹が減っては戦は出来ぬ?食事しに行くことになり
車に乗って暫くすると涙が一気に溢れ出してきた。どうにもこうにも止められない。食事中も味
が解らない・・・その時『泣けるほど美味しいのか〜来て良かったなー』の主人の言葉に吹き出
しそうになった。何とか全部食べ終えて再び車の中 暫くするとまた涙が溢れ出してきて止まら
ない。主人は黙って車を走らせている。気がつくと自宅とは逆方向 何処に行くのかな・・・着
いた所は海だった。地元の方はご存知だと思うけど 千代の浦海岸と言うのがあり 昔は砂浜だ
ったけど今は整備されてチョットした公園になっている。整備されてからは私のお気に入りの場
所なのだ。私は昔から何かあると海を眺めに行っていた 主人はその事を覚えていてくれたのだ。
主人の優しさも加わって思いっきり泣いた・・・こんなに泣いたのは何時以来だろうか・・・ 
もう泣かない!もう大丈夫!と自分に言い聞かせ主人の所へ戻って顔を見たら また涙・・・ 
『大丈夫だから もう泣〜くなって!』「うん 解った!」 夕日が辺りを赤く染めていた・・
・。帰る途中SATYに寄って入院の為の細々した物を買った。ベットの空き待ちで一週間後位
と言われていたけど その日のうちに準備を済ませておいた。連絡が来たのは3日後だった。

!!!注意事項!!! ここからは あくまで私の場合であって
《そんな事があったんだ〜?》に留めておいて下さい。

9月1日 入院
この日も主人に付添ってもらい病院へ・・・入院受付を済ませ外来待合室で待つ。暫くすると入
院病棟の看護婦さんが迎えに来てくれた。私の他に一人年配の女性がいた。病棟に行きながら大
まかな場所を案内してくれた。病室は外科病棟の詰所前で6人部屋。ベットは入り口側と窓側の
二箇所で好きな方で良いと言われた。一緒にいた人が入り口側を選んだ ラッキー!窓側が当た
ります様にって思っていたから・・・同室の人に挨拶をして用意されたパジャマに着替える。ダ
ッサ〜イ!荷物を片付 
身長・体重を測定して 看護婦さんと質疑応答みたいのをして術前検査
 尿検・血液(耳朶より出血・凝固等を調べる)・心電図・肺活量・胸のレントゲン・後は常時
尿を溜めていく。
一通り終わって病室に戻ると看護婦さんが入れ替わり立ち代りコピー用紙を持
って来た。
入院診療計画書(病名・症状・推定される入院期間等 総合的な治療計画が記されて
いる)
交付され説明がなされるはずが説明はない しかも主治医氏名は記入されているが押印が
ない。主治医の顔も知らない。いい加減だな〜・・・
別の不安がここから積み重なっていった。
次の用紙はゲッ!またアンケート?手術を控えた患者さんへと題したもので 痛み・病気・自分
らしさ・社会生活・家族・入院生活等に付いて不安があるかないかとかのもの
だった。気持ちが
落ち着かないでいるのにアンケートなんて答えれない・・・そのままにしていたら何度も催促さ
れ横の空いている所にガーッと書いた。別にヘンな事は書いたつもりはないけど それが良くな
かったのか看護婦さんとの相性はいい感じではなかった。アンケートは速やかに素直に書きまし
ょう!です。次の用紙は
手術を受ける○○○○さんへと言うものだった。麻酔・深呼吸の仕方・
術後の痰の出し方・歩行の仕方・用意するもの等
・・・ペラペラとめくって見ると(?_?) 麻酔
のページに全身麻酔と腰椎麻酔に丸囲みがしてある。胸の手術なのに 全麻は納得だが腰椎麻酔
はどうしても納得できない 看護婦さんに聞いてみたら「有得ますよ」と言われた。腰椎麻酔は
絶対ヤダー! 主人が帰った後は質問攻めにあった。向かいの超年配の人 どうやら主?らしい
何処が悪いの?私は・・・と言った感じだった。彼女は乳癌と糖尿病らしい 手術をせず病院を
転々として来たらしい。いろんな漢方薬を飲んでいるみたいで看護婦さんに聞かれても知らん振
り状態 スゴイ! その隣は私が検査に言っている間に退院した様だ。入り口側は一緒に来た人
でリハビリ入院?私の隣は甲状腺の手術を終えて帰って来た。そして入り口側は2ヶ月前に乳癌
の手術を終え 今度は胆石の手術予定らしい。消灯は21時
眠れそうにない・・・ボーっと天井
を眺めていると涙が出てきた。
お家に帰りたいよ〜・・・

9月2日 手術前日
朝は主?が一番早い パタパタと歩きカーテンをシャーっと開け窓も全開にする。寒いよ〜 起床
は6時 なかなか寝付けづ朝を迎えた。少しすると看護婦さんがやって来た検温だ。それから顔を
洗って食事をして回診を待つ!前日渡された用紙を見る。本日は
11時に麻酔の先生との面談で
説明
を受ける事になっている・・・どうやら騒がしくなって来た。回診の時間だ。それぞれのベッ
トのカーテンをして横になって待つ。順番が来た 先生が3人いた。『良く眠れましたか?』の問
いに「ハイ」と答えてしまった。『手術は寝ているうちに終わるから怖い事ないですからね』続い
て看護婦さんが『あら?ネームまだだった?手術いつだったっけ?』「明日って聞いてますけど・
・・」『すぐネーム用意するからね。しこりは自分で見つけたの?』「はい」『あら〜そうなの〜
私も自己検診して気をつけなくちゃ』だって・・・何かムッときた!女性なのにサ胸に傷をつける
のにサ カタビッコになるのにサー 患者目の前にして自分の心配ですか〜?思わず「どうぞ気を
付けて下さい!」と言ってしまった。気まずい空気がドヨ〜ン・・・『そう言えば主治医は○○先
生だね』「そうですけど 顔解らないんですけど」と言ったとたんカーテン越しから『あの〜僕で
す〜』と顔を出してきた。「よろしくお願いします」と頭を下げるとニッコリしてくれた。なんと
外科医師はみんなメガネをかけていて 顔と名前を一致させるのに大変だった。回診を終え暫くする
と主人が来てくれた。それと同時に先程と別の看護婦さんがネームを持って来た。患者名・手術日
が書いてあった。ベットに付けてくれて『麻酔の説明が終わったら外出してもいいって先生が言っ
てるけど どうしますか?』「外出します」『じゃ〜届け出してね それと
16時から手術の説明
が執刀の先生からある
ので それまで帰って来て下さいね』「は〜い」ラッキー!このまま帰って
来ないかな? 11時 手術室前で待ち名前を呼ばれ中へ入る。麻酔医師とご対面 優しそうな先
生で良かった。質疑応答って感じでアレルギーが有るか無いか・今まで病気をした事が有るか無い
か・アルコール・喫煙等。『麻酔は途中で切れない様にシッカリかけてあげますから安心して下さ
いね。全然痛くないし眠っている間に終わっちゃいますから大丈夫ですよ。他に何か心配な事あり
ますか?』腰椎麻酔の事を聞いてみた。胸の手術ではしないとの事だった。フ〜良かった!渡され
た用紙に書いてあった事や看護婦さんに言われてビビっていた事も言った。冗談なのか『ご希望で
あればしてあげてもいいですよ』「と〜んでもないです!絶対しなくていいです!」先生に笑われ
て 主人が「気強そうに見えるけど すごい軟弱なんですよ」先生は納得したのか『絶対しないか
ら安心して下さいね。長い時間怖い思いさせて悪かったね 大丈夫だからね』と言った。面談を終
え病室に戻ると すぐ看護婦さんがやって来た。『○○さ〜ん、私 何か間違ったみたいですみま
せんでした。これが正しい説明書です。本当にごめんなさい。』だって。早くも先生から連絡が入
ったようだ。ここは許すしかないよね〜。 外出の仕度をして詰所に「外出しま〜ス!」と声を掛
けたら『○○さん絶対16時迄に戻って来て下さいね!気を付けてね〜』と念を押された。 自宅
に戻りお風呂の準備をして昼食を摂った。やっぱ我家が一番落ち着く。
お風呂に入り自分の胸を鏡
に映して見つめた。カタビッコになるんだ・・・自然と涙が出てきた。恥しかったけど主人を呼ん
で見てもらった。「明日からカタビッコになるけど・・・忘れないでね・・・」主人は黙ってうな
ずいていた。シャワーを出しながら暫く泣いていた・・・
お風呂からあがって時計を見ると時間が
迫っていた。時間よ〜止まれ!止まれッたら止まれ! お願いだから 止まってぇ〜〜〜!

病院に戻り 
16時 手術説明を受ける。
執刀医は副部長先生(主治医でずっと御世話になっています)だった。第一印象何だか気難しそう。
説明の時も表情を崩さない。超緊張した。事細かく説明を受ける。
乳腺腫瘍摘出術(温存)術中の
迅速病理の結果によって腋窩リンパ節郭清をするとの事 他 手術の必要性・他の治療・危険性・
予後・後遺症等について
だった。この時全摘を選択する事も出来たと思うが 身近に同年代の経験
者がいなかったし そこまでの情報収集が出来ていなかったし もちろんPCの世界も知らなかった。
まったく未知の世界となっていた。先の事も考えられずほんの少し変形するだけでもすごい抵抗が
あったので 全摘なんかしたら気が狂ってしまうと思い込んでいた。
説明を納得し署名・捺印とい
った流れに身をまかせた。「よろしくお願いします」と言って病室に戻った。その後は 先生と看
護婦さんがやってきて
動脈採血。これは鎖骨あたりか鼠径部の動脈から採血する。先生が鼠径部の
方が痛くないからと言ってその部位に決まり。場所的に恥しいものである。その後は
抗生物質2種
注射。これはアレルギー反応を調べる為で 確か感染症を防ぐのに術後点滴するはずのもの。
食事
は18時まで・水分は21時まで。たまに看護婦さんが来て手を握り話し掛けてくれたりもした。
手術室の看護婦さんも来てくれた。あ〜明日なんだ・・・
落ち着いたり乱れたりで忙しい あても
無くその辺をブラブラしたりして21時消灯時間になった。みんな寝静まったら家に帰っちゃおう
か・・・看護婦さんが来て
下剤と眠剤を飲まされた。眠剤は初めてだった。服用している人の話だ
とあまり効かないらしいが飲んで横になっていたら ・・・眼がよって・・・ 
き・・・た・・・ぁ・・・

9月3日 手術当日
6時 看護婦さんに起こされた。???である。言われるまま洗顔して
浣腸されて少しの時間トイ
レに居座る 出たものを確認してもらい病室に戻る 
筋肉を和らげる注射をされ 昨夜と同じ眠剤
を飲まされた。
丁度その時母が来てくれた。起きてからの事を話していると身体がヘロヘロになり
また眼がよってきた・・・ぁ・・・ 後の事はほとんど記憶が飛んでいる 覚えているのはストレ
ッチャーに乗った?父がいて母がいて主人がいて『頑張れよ』とか『頑張りなさいよ』とか『大丈
夫だからね』とか・・・UFOも見た気がする。後で聞いた話しによると 看護婦さんが『○○さ
んはA型ですよね』の問いに「ん〜」と答えたらしい これは母がきちんと訂正したとの事。後は
手術室に持って行くもの(タオル等)準備してなかった?手術用の寝巻きに着替えてなかった?手
術室の照明を見て「あ〜UFOだ〜」と言った?『麻酔をかけますよ〜』に「痛い?痛いのはやだ
よ〜」と言った?『○○さ〜ん終わりましたよ〜』に「大丈夫だった〜?ありがとうございます」
と言った?これは礼儀の正しい人だと感心されていたらしい・・・病室に戻り酸素をしていてズレ
ていたらしい それを自分でちゃんと口にあて直していた?主人はそれを見て 生き意地張ってる
から大丈夫だ!と確信したらしい・・・本当なのかどうか自分では良く解らない。両親と主人は消
灯になる頃まで居てくれた様だ。私は所々反応しながらもずっと眠りの中だった。ボーっと気が付
いた時は廻りは真っ暗だった。今何時だろうと思いながら寝返りをしようと身体を動かした「痛っ
ー!」胸に突き刺さる痛み 視線を向けると紐状のものが・・・ヒェー!神経が飛び出してるー!
大変だと思いナースコールを捜すと無い!頭の上を必死で捜すと手が届かない所にかかっていた。
どうしよう・・・神経を集中してもう一度見た ???良く見るとそれは胸水をぬく為の管だった。
やっとの思いで状況を把握した。
左胸から管・右手首には点滴・尿を採る管が身体についていた
だ。何だか人間じゃないみたいと思いながらまた眠りの中・・・人の気配を感じ薄目で見ると白い
ものが見えた・・・おばけ?・・・(先生だったらしい)・・・どれ位時間が経ったのだろうか 
咳込んで意識が戻ってきた。何かへ〜ん?呼吸が苦しい胸が苦しい息がスーっと吸えない息を吐く
と咳込む。繰り返していると隣を起こしてしまったらしく声を掛けて来てくれた。『どうしたの?
苦しいの?』「何か苦しい・・・」『看護婦さん呼んだら?』「・・・」だって手が届かないんだ
もん。返答無しにカーテンを開けて来てくれた『あら〜こんな所に置いてたら呼べないしょー」と
看護婦さんを呼んでくれた。看護婦さんが来てくれ症状を言った。それは麻酔がまだ切れていない
からとの事だった。私はそうなのかと納得したが お隣さんはやっぱりおかしい聞いたこと無いと
言った。
私は一体どうなるんだろう・・・苦しい・・・よ・・・

9月4日 術後1日目
看護婦さんの朝は忙しいらしい。
採血をして『○○さん歩けますか?顔洗って来て下さいね』と言
って行ってしまった。チョット待ってよ〜。私の身体には管と点滴がついているし胸も苦しいし 
こんなんじゃ歩けないっしょ!お隣さんが教えてくれた。
それぞれの袋は点滴棒に引っ掛けてそれ
を押しながら歩く
のだ。何か変!排尿用の管が自然と内股状態にさせて行く。モソモソと廊下に出
ると看護婦さん『偉い偉い自分で歩いて偉い』と声を掛けてくれた。そう言われると頑張るしかな
いよな〜とまたモソモソと動くが全然進まない。人とぶつかるんじゃないかと怖くなるし動くと胸
がさらに苦しくなる。モタついている私の洗面器を看護婦さんが持ってスタスタ歩いて振り返り見
てる ギクッ!忙しいんだから早くしてよね!と言う表情だった。白衣の天使が鬼に見えた。やっ
との思いで追いついた私に鬼は言ったのだ。『なーんかヘンな歩き方してるね』ムッカー!元気が
あれば点滴棒を振り回していたかもしれない。私はムッとしながら下の方を指した『あ〜管ね〜抜
いてあげるからこっちに来て』とトイレに行き抜いてもらった。
管を入れて歩く感じを経験しとけ
〜!患者の気持ちをもっと把握しれー!
と心で叫びながら顔を洗いソロソロと病室に戻った。息苦
しさにドッ〜っと疲れも出て横になった。食事どころでない。暫くすると別の看護婦さんが来て一
人一人の様子を伺っている。私の所に来て『元気ないみたいね痛みますか?』「胸が苦しいんです」
『何時頃からですか?どんなふうに?』なぜかお隣さんが全部説明してくれた。昨夜の看護婦さん
は麻酔が切れてないからだと言った事も説明してくれた。『チョット胸の音聞かせて下さいね』と
聴診器をあてた。『あら?今先生に伝えてきますね』と足早に出て行った。お隣さん『お姉ちゃん
やっぱり麻酔のせいじゃなかったんだよ昨日の看護婦さんいい加減だよね』「・・・」考える余裕
無し。その後 急いで
レントゲンを撮りに一人で行く元気は無く車椅子で送り迎えをしてもらった。
回診時先生がレントゲンを診て
『気胸だな』その言葉がまるで よ〜いドン!と言ったようにバタ
バタと看護婦さん 注射器らしきものを先生に渡し私の両手首を押さえ込んだ「何?何?何するん
ですか〜ぁ〜」先生は無言で術側の脇あたりと鎖骨辺りを確認している 
鎖骨辺りに針がブスッ!
思わず力が入る。『力を抜いて下さーい』100・200・300・・・途中で大きい注射器に換
わった『これで大丈夫 後はレントゲン撮りながら様子を見ていきましょう』と
傷口の消毒とガー
ゼ交換
をして何事も無かったように行ってしまった。ワ〜すんなり呼吸が出来る〜!落ち着いてか
らお隣さんにお礼を言った。
お昼からもレントゲンを撮りに様子を見に来た看護婦さんの説明では
なんらかの原因で肺をおおう胸膜に傷がつき 肺の中の空気が胸膜腔と言う隙間にたまり肺が縮ん
で 大量の空気が溜まっていたらしい
『苦しい思いをさせてごめんなさいね』ん〜天使の囁きだ〜。
先生が説明してくれなかったのは すごい怖がりの患者さんだから一気に処置したとの事。
夜は点滴終了手首から針が取れる。

9月5日 術後2日目
胸水用の管が取れる。やっと人間らしくなった感じ。
傷口の消毒とガーゼ交換。胸のレントゲン

9月6日〜9日 術後3日目〜6日目
胸のレントゲン。傷口の消毒とガーゼ交換。
この間もいろいろあった。冷たいものを飲むと術側に
流れ出しているようだ。今度は食道に穴があいた?先生に聞いたら その様な事は聞いたことない
と笑われた。病室の人とも結構話をしたりで内容は《外科は切ってハイさよなら》の所だから心の
ケアなんて全然してくれない。抜糸と同時に退院をセカサレル しかも看護婦さんから。「エー?
退院って先生から術後の説明とかあって先生が決めるんでないの?」『お姉ちゃん甘いネ〜そんな
のここではないんだよ〜』それチョットひどくな〜い? 退院の話が出たら先生の説明をきちっと
聞いてから決めると言わないとダメらしい・・・ 
9日 執刀医と久々のご対面 予定よりも1日
早く
抜糸となった。私は案の定ビビッタ!「抜糸は明日の予定じゃ〜?」『明日は私これませんか
ら今日やっちゃいましょう』とニヤニヤしながら長いハサミとピンセットらしきものを持って迫っ
て来た。チクチクヘンな汗がジト〜って感じ。終わった後ため息が大きくもれた私に『本当に困っ
た患者さんですね〜』と笑いながら行ってしまった。そんな事言われたって〜。看護婦さんに傷口
見たか聞かれたけど今だ見ていなかった。『先生ねすごい気使ってくれたみたいでものすごく綺麗
ですよ』「・・・」

9月10日〜12日 術後7日目〜9日目
院長先生の回診
があった。TVで見た光景 大名行列らしきものだった。先生方がベットを取り囲
み覗き込まれる。執刀医が経過等を説明する。『大丈夫ですね。傷口もとても綺麗ですよ。ん 大
丈夫』と言い去って行った。スゲ〜!外出許可が出て自宅に帰りお風呂に入る。気持ちいいはずが
延びてしまって具合悪〜。お隣さんは元気に退院して行った。新人がやって来た。胆石の手術予定。
年齢が近いと言う事でその人と 入り口側の乳癌と胆石の人と一緒に行動するようになった。夜 
消灯までブラブラ院内巡り。知らなかった場所がいろいろあった。この頃になると看護婦さんが 
『そろそろ退院したくなったでしょう?』と入替わり立代わり言って来た。あ〜この事かみんなが
言ってたのは・・・回診時先生は何も言わないのに 看護婦さんは日増しにシツコク言ってくる。
しまいには お家に帰りたくないの?だって。バッカじゃない?帰りたくない人なんて何処に居る
ってさー!と心で叫び いい加減頭に来て「だからー先生からきちんと説明を聞いてそれから決め
ます!」と言った。一体全体どうなってんの?

9月13日 術後10日目
回診時 看護婦さんが『今日のお昼頃
先生から術後の説明がありますから ○○さんはまったく異
状無い様なので大丈夫ですよ』と用紙を見ながら言った。「本当ですか?」『はい!大丈夫です!
異状ありません』ヤッタ〜!!!
身も心も軽〜くなった感じだった。早速主人に連絡をしてお昼頃
来てくれる事になった。私はすっかり
有頂天になっていた。お昼 主人が来て待てど暮らせど呼ば
れない。1時間位経って先生自ら呼びに来た。『大変お待たせしてすみません説明しますのでこち
らにどうぞ・・・』詰所横の小さな部屋だった。すでに結果を聞いているので私はニコニコして椅
子に腰掛けた。が なんだか空気が重たい。『約束どおりこれがしこりの写真です』と見せてくれ
た。手術説明の時しこりを見てみたいと言った私に しこり事態は見せる事出来ないけど写真なら
見せてあげると言ってくれていたのだ。しこりの分割写真で何やら沢山印が付いていた。それを見
ながら説明された。しこりの周りを多めに摘出し
術中迅速病理で調べた結果大丈夫だろうとの結果
が出たのでリンパ郭清は行わず閉じた。乳房は1/4カット状態。
術後摘出したものを細かくスライス
にして詳しく調べた。
それが写真になっている。つまり回りの組織あちらこちらに印が付いているの
が癌細胞だと言うものであった。病名【乳管癌】何を言われているのか解らなかった。「エッ?異状
ないんですよね?」先生は先程よりもゆっくりと始めから説明をしてくれた。「何言ってるんですか
〜?」と同時に涙が溢れ出してきた。
崖から突き落とされた感じだった。沈黙が続いた。長い沈黙の
後『○○さんの場合とても異例なケースで症例がほとんど無いんですが・・・細胞自体は比較的おと
なしいものなので・・・全摘と言う方法もありますが まだ若いので・・・追加治療として放射線治
療をして様子を診ていきましょう・・・』
しこりの中に癌細胞有り 表面無し 多めに採った肉片に
散らばった状態で癌細胞有り。
治療は通院でも出来るが入院しながらでも良いとの事だった。主人に
は今まで看護婦さんとの事を全て報告していたので「ここに居てイヤな思いするぐらいなら 通院で
治療した方がいいんじゃないか」と言ってくれた。私自身も看護婦さんとはもう関わりたくなかった
ので退院する事に決めた。先生が『一緒に頑張りましょう』と声を掛けてくれたが 私は泣き叫んだ。
看護婦さんが異状ないって!異状ないって事は何でもない事で!何で話が全然違うのぉ〜!怒り爆発
だけど何をどう言って良いのかパニックで訳解らない状態だった。部屋を飛び出しベットに潜り込ん
で泣いた。主人と立ち在っていた看護婦さんが追いかけて来て背中を擦ってくれたりしたが ここま
でくると拒絶反応。
気持ちはなかなか治まる事はなかった。主人は仕事が途中だったので会社に戻っ
た。一人になってまた泣けてきた。いつもの二人が心配してくれて散歩してこようと誘ってくれた。
無言で三人ブラブラあてもなく院内を歩き回った。夕食後 回診時の看護婦がやってきてひたすら謝
る 悪魔が囁いた・・・思いっきりビンタだ!回し蹴りだ!ボコボコにしてしまえー! 気持ちをグ
ッと押さえひたすら無視をした。謝り続ける看護婦に「うるさい!あっちに行って!」と言ってしま
った。
私としては絶対許す事の出来ない事だったのだ。人を許せない気持ちって初めてじゃないかな
・・・

9月14日 術後11日目 退院
回診時 他の先生にも知れ渡っていた様で謝ってきた。私はすでに帰る仕度をしていて診察しますか
?の問いに首を横に振った。先生はもう一度謝って行った。これは私と看護婦との問題で先生は関係
ないのに・・・。主人が迎えに来てくれて病室の方々にだけ挨拶をしていつも一緒に行動していた二
人とは連絡先を交換してその場を後にした。途中廊下で執刀及び説明をしてくれた先生に会い挨拶を
した。「退院します。今後ともよろしくお願いします」『一緒に頑張って行きましょう』 病院を後
にし お気に入りの千代の浦海岸に連れて行ってもらった。

外科は《切ってハイさよなら》納得。先生方が良くても看護婦がね〜。同性なのに理解されてない。
心のケア?これっぽっちも無かった。始めっから素直に気持ちを表現していたら違っていたのかな〜
。職業柄 体調悪くてもニコニコ我慢する事が自然と身についていた 自分を隠す事が身についてい
た。自分の事よりも先に相手の事を考える様になっていた。この先どうなっていくんだろう・・・ 
どうなって・・・いろいろ考えたけどまとまらなかった。


やっぱり我家は一番!落ち着く〜!実感していると涙が出てくる。

「癌=死」が甦って来た。何とも言えぬ不安が心に住み着いている。

9月17日〜11月
放射線治療
が始まった。場所は薄暗い所。そう言えば院内散歩の時 同病の人がここで放射線かけて
るんだって言ってたな〜。私には無関係な場所だと思っていたのに・・・。週4回の照射。
体外照射
の高エネルギー放射線治療
と言うものだった。術側の胸にマーキングをされた。常にその部分に照射
されるので消えないようにして下さいと言われた。
隔週で先生の診察を受ける。先生も技師さんも看
護婦さんもすごく優しくしてくれた。治療事態は全然痛くないが照射するにつれ 皮膚が日焼け状態
になりヒリヒリしてきた。おまけに術後から痛い胸は 焼肉同様オッパイの中がギュ〜っと固くなっ
て痛みを増してきた。初めての診察の時 退院してから外来で何時診察を受けたか聞かれた。チョッ
トあってとっとと退院したから何も聞いてない事を言った。看護婦さんは慌てて問い合わせてくれ明
日外科外来を受診すように言われた。次の日受診したら執刀・説明をしてくれた先生(以後ずっと主
治医)が担当だった。こうして
放射線治療と月1回の受診が続いた。

12月 自宅療養中 職場の同僚が快気祝いと忘年会をやろうと言ってくれた。
その日は朝から体調不良だったがせっかくだから出かけた。少し気が紛れて楽しい時間を過ごした。
次の日 朝刊の死亡欄にフッと目がいった。見覚えのある名前が目に飛び込んできた。名前と年齢を
何度も何度も確認した。小学校からの親友だった。彼女は出会った頃から若年性糖尿病で入退院を繰
り返していた。中学から別々になり年に2.3回会う程度になったけど文通だけはずっと続いてた。
彼女からの手紙は私が入院する前だった。『会いたい』と書いてきた彼女に 私は自分の状態の説明
と退院して落ち着いたら会おうと返事を出したのだった。自分の事で頭が一杯だった。『会いたい』
彼女からの最後の言葉になってしまった・・・悔やんでも悔やみきれない・・・彼女と最後のお別れ
をしたけど まだどこかで生きていてくれている様な気がしてならない・・・
でも彼女からの手紙はもう届かない・・・これ以上 書けません・・・


こうして長い一年が終わろうとしている・・・


何時からだろう 自然と涙が溢れ出してくるのは・・・
何時からだろう 夜が怖くなったのは・・・
何時からだろう 自分が失われていくのは・・・