大陸横断 ロスのトレイルウエイのバス停は予想より小さくて貧相なものだった。グラブス氏夫妻とバス停で別れて独りになると流石に緊張した。何か冷たいものを飲もうと、自動販売機で「ルート・ビアー」を買った。一口飲むとサンロンパスのような匂いがして吐き出してしまった。今ではソフトドリンクの中でルートビアーが一番好きなのだから人の嗜好は変わるものである。
州を超えて走るインターステートバスにはトイレがついているが、トイレに行ったり、飲み物や軽食を買うために途中何度も停まってくれる。食事の時間になるとミール・スットプで一時間ほど停車する。停車時間は不規則で運転手の裁量に任されているようだ。運転手が仲良くなった女性と一緒に食事をしている時には時間は30分も伸びることがあるが、乗客は誰も苦情を言わない。この国の人はおおらかなのだろうか。
アリゾナの砂漠の真ん中のダイナー(汽車の車両の形をした簡易食堂)に停まった時は、太陽は西部劇で見る赤い岩山の向こうの地平線の近くまで下りていた。カウンターのそばのアイスクリーム・ストッカーに20種類ほどのアイスクリームが並んでいたのを見て驚いていると、スポーツ刈りの若いコックが「日本から来たのかい」と尋ねるのでリンカーン大学まで行くと話すと、自分は終戦後横浜に上陸して数ヶ月間駐屯したが、日本人の勤勉さと礼儀正しさには感動した。敗戦後の日本の生活は大変だが、あの国はきっと立派に立ち直ると思うと言って、「アイスクリームは好きなものを好きなだけ食べなさい。奢ってあげるから」と言ってくれた。
食事が終わって、アイスクリームを食べて帰ろうとすると、その若いコックがカウンターから出て来て「アメリカでしっかり勉強して日本に帰ったら日本の再建のために活躍して下さい。幸運を祈るよ」と言って握手した。手の平にカサカサしたものを感じたのでそっと見てみると10ドル紙幣が入っていた。驚いて見上げると、うなずいてウインクするとさっさとカウンターの向こうに消えた。
冷房の効いた室内から外に出ると地平線から地平線まで満天の星空だった。砂漠の熱気は息苦しいほど猛烈だったが、私の心は爽やかだった。若いコックの太い腕と暖かい手の温もりが、私が忘れかけていた勇気と希望を復活させてくれたのだった。この時以来、私はこの感動を忘れたことはない。
グラブス氏夫妻に薦められていたので、途中、グランドキャニオンを観光した。バスがフラッグスタッフに停まったのが夜の10時頃だったので、そこからグランドキャニオンまでのバスは翌朝まで無かった。がらんとしたバス停で始発まで待つことにして固いベンチに腰を下ろすと直ぐに寝込んでしまった。真夜中に人気を感じて目を覚ますと周囲に乗客がぎっしり座っていた。長い外套を着た長い髪の人たちで皆風呂敷のような包みを抱えていたので、一瞬日本の田舎に居るような錯覚を覚えた。グランドキャニオンの保護区に住むインディアンたちで私と同じように始発バスを待っていたのである。皺の多い陽焼けした顔は農業や漁業関係の日本人の老人の顔のようで、一様に優しく穏やかな目をしていた。挨拶をするとにっこり笑ってサンドイッチやクッキーを差し出す人もいた。
想像を絶する巨大な地殻の割れ目は確かに感動的だったが、迷いこんだら生きては帰れないと言われている峡谷の凄さよりも、私はそこで生きてきた原住民のたくましさに思いを馳せていた。岩肌と同じ皮膚をしたリスや、強風の断崖で可憐な花を震わせながら岩にしがみついている名も知らぬ植物に勇気を貰った。日没は悲しいほど美しかった。
トランクは直接大学に送ってあるので、朝になると適当な所で下車して町を見物して、夕方、再びバスに乗りバスの中で眠るという、若い頃でなければ出来ない気楽な旅が続いた。
首都ワシントンで初めてホテルに泊まった。とにかく風呂に入りたかったので安そうなホテルを選んで、受付でバスタブのあることを確認してチェックインした。薄汚れたみすぼらしい部屋だったがバスタブもついていた。ところが、蛇口をひねっても湯が出ない。フロントの男にそのことを話すと、バスタブはあると言ったが湯が出るとは言ってないと突っぱねるので、冷水シャワーで我慢した。ひどい話である。
翌日、ワシントン・モニュメントやリンカーン・メモリアルを見物してから、黒人のレストランで一番安い昼食をとった。日本人が来るのが珍しいのか、ウエートレスが何処に行くのかと尋ねるので、リンカーン大学に行くと話すと信じられないという顔つきをした。ワシントンにも有名な黒人大学ハーワード大学があるが、リンカーン大学は小さいが黒人社会ではエリート校である。ウエートレスは椅子の上に上がって大声で「皆さん、この日本人はリンカーン大学へ行く途中です。今の日本は敗戦で経済的に苦しいのでこの若者のために寄付を募ります」と言った。一人の男が帽子を脱いでその中に紙幣を入れて次の人に渡した。帽子が店中を回って私の手元に戻って来た時には紙幣で溢れていた。私がお礼を言うと店中の人が拍手をして励ましの言葉を掛けてくれた。「みんな、みんな優しかった」
家の前の階段を白く塗ったバルティモアの市街を過ぎて、バスがペンシルベニアに入ると緑のなだらかな丘陵で牛が草を食む風景が続いた。国道一号線を走り、オックスフォードを過ぎると三マイルほどでリンカーン大学に着いた。運転手が後ろを向いて「リンカーン・ユニバーシティー」と言って握りこぶしを上向きにして突き出し人差し指で手招きした。
ツタの絡んだ大きな建物を想像していたが、そこには国道のそばの二本の石造りの柱の上に大学名が美しい花文字で書かれた金属製のアーチがあるだけで、赤レンガの教室は見当たらなかった。