リンカーン大学(2)
 毎週土曜の夜に大学の体育館で映画会があった。周囲に娯楽施設の無い所なので学生だけでなく村の住民たちも大学生と一緒に観劇した。ヨーロッパを舞台にした戦争映画が多かった。最初はドイツ軍が優勢だがだんだん劣勢になり、最後にはアメリカ軍が勝ち、観衆が大喜びして拍手するのである。ドイツからのハンツと、ドイツ軍と共に戦ったハンガリーから来たベラは結末に納得がいかず不機嫌になったので、二人を誘ってキャンティーンでアイスクリームと飲み物を買って来て私の部屋で「残念会」を開いたものだ。

 ある日、運動場の反対側から「気をつけ!中隊長殿に敬礼、かしら中!」という日本語の号令が聞こえた。見ると、インドネシア出身の留学生がにこにこ笑って立っていた。彼は戦時中よく日本軍の訓練を見に行っていたので日本語の号令を覚えてしまったと話してくれた。彼のような親日家は他にも数人いた。

 呉さんの韓国からの友人二人がキャンパスを訪れたことがあった。リンカーン大学に来る前にプリンストン大学の神学部に行った時に留学している日本人の牧師に出会い、嬉しくなり日本語で話しかけたら「日本語は忘れました。英語で話して下さい」と言われたと言って怒っていた。「一年や二年で母国語を忘れるはずはない。あんな男には大和魂を吹き込んでやらなければならない」と息巻くのを聞きながら、韓国人に大和魂を吹き込まれなければならないような日本人牧師がどうやって日本の教会で働けるのだろうかと不思議に思った。当時はアメリカ留学は夢物語だったからなのか、変にアメリカかぶれになる日本人が多くて、そういう類の人を「アメション」と呼んでいた。考えてみると今でも下らないものにやたらと強い影響を受けて自らを見失う人がいるのだから、世の中は余り進歩していないようだ。

 リンカーン大学の朝は小鳥の囀りで始まった。赤い帽子をかぶったようなカーディナルは綺麗だったが、小型のカラスのようなスターリングはやたらと糞をするので嫌われた。キャンパスには教員の家が点在していて子供たちの遊ぶ姿が見られて和やかだった。黄色いレンギョウのそばで幾組もの学生が教科書を片手に話し込んでいる姿がよく見られた。野球やキャッチボールをしている姿は見たことがないが、バスケット、フットボール、サッカー、レスリングは盛んだった。コーチに誘われてレスリングの練習に参加したが長くてスマートな脚をした黒人の生徒が相手なので倒すことは簡単だったがコーチから柔道ではないので投げ飛ばしてはいけないと言われた。それでも、立ち技では勝てても寝技になると相手は力が強いうえに私の技のレパートリーが貧弱なので苦戦した。

 近所に黒人大学がないので、フットボールやサッカーでワシントンのハーワード大学のチームと対戦した。リンカーンの学生数は僅か350人だが、ハーワードにはほぼ十倍の学生がいるので、フットボールでは歯がたたないが、サッカーは互角の戦いをした。リンカーンのチームはアフリカとヨーロッパ各国の選手が加わっているので、選手たちが試合中に母国語で話すので相手チームは勝手が悪かったようだ。

 対抗試合にはブラスバンドやチアガールが欠かせないが、リンカーン大学は男子校でそのような気の利いたものがないので、近くのオックスフォード高校が応援出演を引き受けてくれた。

 バスケット・ボールの試合では二十キロほど離れたチェイニー教育大学との対抗戦が組まれることがあった。チェイニーには黒人の女子学生が多く在学していたので、試合の後のダンスパーティーでは華やいだイベントの少ないリンカーン大学の学生はハッスルした。

  シーツと毛布は大学から支給されて、一週間に一度シーツとピローケースの洗濯をしてくれる。下に敷くシーツ(ボトム・シーツ)をピローケースに入れて洗濯室の受付に持って行くと洗濯済みのものが支給される。トップ・シーツを下に敷いて新しく洗濯したシーツをトップ・シーツにして使うという仕組みだった。

 学期が終わる頃になると学内の郵便局の地下に古い教科書を買い取る業者が店を開く。どんなに書き込みがあってもページが欠けていなければ買い取ってくれる。特殊な工程で書き込みを消すのだそうだ。図書館が完備しているので、学生は余程大切な本以外は保存しておかない。私の見た範囲では、学者や教員のような職業以外では、中流の家庭でも本棚や机が無いケースが殆どである。子供たちが食卓やソファーや床の上で宿題をするのをよく見たが、それが全国の家庭の実態かどうかは定かではない。

  ペンシルバニアの冬は雪が深い。積雪が一メートルほどになると建物の間の通路の雪かきをしないと身動きがとれなくなる。雪かきは学生の仕事で、一回雪かきをすると五ドルの収入になるので、雪が降るとショベルの倉庫の前に学生の列ができる。両側に雪が高く積み上げられた通路は塹壕のようで変な感じだが、雪が止み陽が照り始めると雪はたちまち消えて通路がぬかるむということは殆どない。それほど空気が乾燥しているのである。雪かきだけではなく、秋の落ち葉かきも、学内外の掃除も、ちょっとしたペンキ塗りも全部学生の仕事だからアルバイトには事欠かない。
  リンカーン大学には兵役を経験した後で国の補助を受けて就学する学生が多いので、ふざけた学生の軍歌や軍隊式の号令がよく聞かれた。私の寮は大学院生と既婚学生用だったが、三階には若い大学生が数人いた。彼らが夜遅く帰って来て大声で騒ぐことがあったが、私のルーム・メイトのアイクルバーガーさんがドアを開けて「ジェントルマン、クワイエト・プリーズ。サンキュー」と言うと学生たちは「イエス、キャプテン」と言って静かになった。アイクルバーガーさんの軍隊時代の階級はキャプテンだったので皆からキャプテン・アイクルバーガーと呼ばれていた。

 寮の二階にトイレとシャワーと洗面所がいっしょになったバス・ルームがあった。男子ばかりの寮なので、部屋で裸になってシャワーを浴びに行くのが常識だった。シャワー室には脱衣する場所もないし、石鹸は誰かが残していったものがあるので、素っ裸で行くのが一番合理的だった。外から帰って来たばかりのオーバーを着た学生と素っ裸の学生が廊下で立ち話をしている光景は滑稽だった。




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