14)運のないこと

  私は比較的に女性に恵まれない人生を送ってきたと思う。比較的と言ったのは、良い伴侶に恵

まれているので、せめてこういう表現を使わないと家内に申し訳ないからである。

  昭和6年生まれなので小学校は国民学校だった。1組から3組まであり、1組は男子組、2組は

男女組、3組は女子組になっていて、私は1組に入れられたので男子ばかりのクラスだった。中学

校が男女共学になったのは戦後のことなので私は当然男子ばかりの中学校に入り、戦後、学生改

革があり高校2年に編入になったが、3年生になった年に1年生に女子が入って来たので 結局私

は中学も高校も男子校で学んだことになる。  当時はまだ女子が大学に行くのは今のように普通

のことではなかったので大学時代も殆ど男子ばかりのクラスだった。 近所に女子大があったので

経済学部の学生は女子大生と一緒にコンパもどきものをしていたようだが、私たち文学部の学生

は、旧高等学校のバンカラな風潮を受け継いでいて、およそ女子大生のお相手には程遠い存在だ

った。

  昭和32年に渡米して二つの大学で学んだがどちらの大学も男子校だった。 6年後に帰国して

工業高等学校で2年間水産大学校で5年間英語を教えたが、いずれも男子校だった。水産大学校

を辞めて短大に就職したら、今度は一転して女子学生ばかりを相手にすることになり、やっと普通

の社会人になった気分だった。

  最初に運がないと言ったが、これは言葉のはずみでそう言っただけで、別に悪運にとりつかれ

たとは思っていない。ただ、私の大学生時代には、朴歯の高下駄を履いて、腰に手ぬぐいをぶら下

げた格好で寮歌や軍歌を大声で歌いながら夜の街を闊歩するのがせめてもの息抜きだったので、

現在の若者が合コンやコンパで女性との交流を楽しんでいるのが羨ましいのである。  ともあれ、

同じ学寮の九州出身の学生が、酔うと必ず窓を開けて大声で「白い花が咲いてた、ふるさとの遠い

夢の日、さよならと言ったら、黙ってうつむいてた、お下げ髪」 と泣きながら歌っていたのを思い出

す。  聞いているうちに寂しくなり、「悲しかったあの時の、あの白い花だよ」と涙声で口ずさんだも

のだった。 私たちの年代の者にはあのような青春がいちばん向いているのかも知れない。「白い

雲が浮いてた、ふるさとの高いあの峰、さよならと言ったら。。。」その次は何だったっけ。