(15) 東西車事情
 

 私がペンシルバニア州に住んでいたのは1957年から1963年なのでまだエアコンを装備した車は少なかった。夏の暑い日に窓を閉めている車を見ると「あの人は大物だよ」と言って振り返って見ていた。一度だけダットサン1000を見たことがあったが、二輪車以外の日本車はまだアメリカでは見たことがなかった。最もよく出回っていたのはフォークスワーゲンで、それも一種の成功者の証だった。私は小さなルノーに乗っていた時、路上でエンジンが止まってしまった。たまたま後ろの車が修理工場のトラックで、自分の工場まで押してくれた。日本では故障車を他の車が牽引するのを見かけたが、アメリカでは二台の車のバンパーを合わせて押すのが常識だった。修理工場のトラックは色々な車を押すので頑丈な板をフロントに取り付けてあった。押し方は随分乱暴で50キロぐらいの速度で押す。ちょうど赤信号にぶつかった時、勢いよく私の車を突き放した。必死でハンドルにしがみついて、交差点の反対側で待機しているトラックをバックミラーで見ると、運転手はニコニコ笑いながらVサインを出していた。

 ペンシルバニア州の冬の寒さは厳しい。雪の多い時には大人の胸ぐらいまで積もる。そういう時に走っている車は大きなトレーラー・トラックとフォークスワーゲンである。私のルノーもリア・エンジンだったので雪には強かった。雪の日にはトランクに15枚ほどのレンガと塩の袋とスコップを入れて出かける人が多い。レンガは車の後部を重くして滑らないようにするのである。ある雪の深い朝、ランカスターから知人の車に乗せてもらってフィラデルフィアまで行った。朝日を浴びてギラギラ光る凍った道を80キロのスピードで走るのはジェットコースターより怖かった。下り坂では横のガードレールに車体をこすりつけて速度をゆるめるのには驚いた。畑の中に停めてある、ツララが下がった農業用のトラクターのエンジンをかけるのにエーテルを使うというのにも驚いた。

 車関係の店でスターティング・フルイドを買ってきて、キャーボレーターに空気を取り入れるところに吹き付けると簡単にエンジンがかかるということを知るまでは、冬の朝、路上に停めてある車のエンジンをかけるのにはいつも苦労した。

 「トラックの運転手のように正確な運転をする」というフレーズを聞いたことがある。トラックのことはよく分からないが長距離バスの運転手の几帳面さには感心する。砂漠の中の一本道が鉄道線路と交差しているところで、180度の視野があるのに、バスは必ず停車して、ドアを開けて目と耳で安全を確認してから線路を横切る。長距離バスの運転手の話では、正確さを欠くかもしれないが、一人での連続運転距離は500キロ前後だということだった。交替の運転手のいる長距離バスを見たことはないが、食事のためにレストランに止まる時に、そこで待機している運転手と交替する。長距離バスには無線装置がついていてしばしば本社と連絡をしていた。運転手の真後ろの座席には運転手の鞄やコートが置いてあるので乗客は座れない。ただし、かわいい女の子がいると荷物を移動してその子を座らせて運転中会話を楽しむ。バスの時刻表にはトイレ・ストップは15分、食事ストップは30分と書いてあるが、運転手とかわいい女の子次第で食事時間は40分にもなることがあるが、乗客は誰も苦情を言わない。二人が仲良くなって、会話がはずめば居眠り運転を避けられるかららしい。

 フィラデルフィアの早朝の市営バスの運転手は新聞の束を決まった店の前に落として行く。また、店の人がサンドイッチとコーヒーを運転台まで配達すると朝食を頬張りながら運転をする。日本では考えられない光景である。ハワイの市営バスには大きな荷物は持ち込み禁止になっている。規則を知らない乗客が1メートルほどの長さのボードを持って乗車しようとしたのを見たことがある。料金箱にお金を入れようとしている乗客に運転手は黙って人差し指を横に振って首を振った。事情が呑み込めない乗客が何度乗車しようとしても運転手はただ黙って同じ動作を繰り返す。一言説明すればことは済むことなのに不親切だと思った。フィラデルフィア市役所のそばのブロード通りには番号札のついたバス乗り場が10か所ほど並んでいる。お年寄りが運転手に「シティーライン通りへ行きますか?」ときくと、運転手は黙って首を横に振った。再び「ペンフルーツまで行きたいのですが」と老人が言うと、運転手は黙って首を横に振った。見かねた私は「それは向こうの22番乗り場ですよ」と教えてあげた。老人は「ありがとう」と言ってにこにこして歩いて行った。ここの人たちはこのような非人間的なやりとりを何とも感じなくなってしまったのだろうかと悲しくなった。

 ある夏、私の英語教室の子供たちをハワイに連れて行った。ワイキキの中心からカピオラニ公園を15分ほどダイアモンドヘッドのほうへ歩くとホテル・ニュー・オータニが経営するホテルがある。余談だが、ロバート・スティーヴンソンはそこからの眺めを「絶景」と言った。アメリカ本土から友人の大学の先生の家族も合流してそのホテルで夏季英語教室を催したのである。午前中の授業のあとで、バスに乗って町を探索することにした。1時間に1本はバスが走っているはずなのに、相変わらずアメリカのバスのスケジュールはあって無いに等しい。長い間待たされてようやくバスに乗った。公園の中を迂回してワイキキへ出るのだが、動き出してから1分ほどでバスが公園の真ん中で停まった。何が起こったのだろうと思っていると運転手が無言で料金箱を持ってバスを降りて公園を十数メートル歩き、ベンチに腰掛けて新聞を読み始めた。乗客はみな唖然として途方にくれた。10分ほどして運転手が戻って来て、無言で運転席に戻り発車した。バスがベンチの横を通る時によく見るとベンチの横の立て札に「運転手休憩所」と書いてあったのでようやく事情がのみこめた。随分、後味の悪い経験だった。

 市営バスの運転手がこのような人ばかりではないことも知って欲しい。それはワシントン州のシアトルでの出来事である。シアトルは市内に乗り入れる乗用車の数を減らすために、市内バスは無料である。観光客の多い町なので運転手はマイクで説明しながら運転する。私たちが良い景色の写真を撮りたいというと、バスを停めてくれて乗客に「皆さん、この人たちははるばる日本から来て下さいました。シアトルのきれいな写真を撮っていただきたいのでちょっとご案内したいと思いますので、しばらくお待ちください」と言って、一ブロック歩いてきれいな写真が撮れるスポットまで案内してくれた。

 リンカーン大学の学生だった頃、ニュージャージーのジャージーという所に住む先生の家に招かれた。市営バスに乗って運転手に住所を示すと「そこならよく知っているよ。心配しなくてもいい。近くに来たら教えてあげるから」と言った。しばらく走って乗客が全部降りても運転手が何も言わないので「まだ遠いのですか?」と尋ねると、驚いたような顔をして「ごめん。すっかり忘れていたよ。でも、大丈夫だよ。このブロックをぐるっと一回りして元のルートに戻って君の行きたいところへ連れて行ってあげるから」と言って笑った。彼の真っ黒な顔と真っ白な歯と人なつっこい大きな目を懐かしく覚えている。心の温かさは人を人らしくするものだ。