(9)故郷(ふるさと) “ふるさと”“小川”“赤とんぼ”“アカシヤ”“キンモクセイ”という言葉を聞くだけで心の奥がふるえるのは、この国に生まれ育ったということが、私たちの中の隠れた奥の部分に何かを育てているからではないだろうか。学者はそれを「刷り込み」という術語で説明するのかも知れないが、心理学では説明しきれないし、どんなに説明しても納得できないし、説明する必要すらない何かがあることだけは事実だ。 1957年にアメリカに留学した時、お世話になっていたスミス家のスミス測量事務所で休暇ごとにアルバイトをした。早朝6時には事務所を出発して現場へ行く途中ダイナ(簡易食堂)でクルーの仲間と朝食をとるのは楽しかった。お客の殆どは顔なじみの労働者で、戦後間もない貧しい日本から来た留学生の私には皆親切だった。両手に持った二つの卵を大きな鉄板の上でポンとぶつけて割り、その殻で鉄板の上の卵をかき混ぜてスクランブル・エッグを作るコックの慣れた手つきを見るのも楽しかった。 現場に着くと、3〜4人のクルーで測量器具を抱えて、からみつく木の枝やつるをサバイバルナイフで叩き切りながら山林を歩き回った。新入りの私の役割は大抵赤と白の測量用の棒を抱えて、トランジットを担いで幾つかの地点から角度や高低を測る先輩からの指示を待つことだった。ある時、草むらの中にホオズキを見つけた。日本のホオズキと全く同じものだった。浅草生まれの母がよく浅草のホオズキ市の話をしてくれた。北九州に転居してからも、母は裏の小山で採ってきた野生のホオズキの実を洗面器の中の井戸水で洗ってタネを出して、口にくわえて上手に鳴らしてくれた。そんなことを思い出していると、心の奥が暖かくなり涙が出た。先輩のジムが「トシオ、ホームシック?!」と言って大きな手で肩を抱いてくれた。 その晩の月は大きかった。周囲の風景は純アメリカ風なのに薄い雲が月面をかすめる夜空は日本の夜空と全く同じだった。「夕空晴れて、秋風吹き・・・」と口ずさみながら私は日本の夜空を思い出していた。 アイルランドの詩人、William Alinghamの望郷の詩は心温まる詩である。 Four ducks on a pond, A grass-bank beyond, A blue sky of spring, White clouds on the wing; What a little thing To remember for years ---- To remember with tears! “池に浮かぶ四羽のアヒル その向こうに緑の土手があり 広がる真っ蒼の空に 白い雲が浮かんでいる。 何とちっぽけなことなのだろう、 何年も何年も覚えていて 思い出しては涙するなんて!”(三根利夫訳)
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