特集 音楽のノーシス (機関誌ノーシス2号より)
音を理する技術
音楽の誕生 音と数との出会い 母音と人格形成 ミュージックセラピー 古代ギリシャの音楽
音楽の誕生
音楽は、人間の全ての感覚に到達することのできる唯一の手段です。音楽は、音を発し、色・香・光を発し
ます。そして、創造物の神聖なる秩序と摂理を人間のサイキスに教え、人間の心理を洗練するという主要目
的を持ちます。
音楽を、感覚的にキャッチする事は、たやすいことですが、音楽芸術をトータルに理解するためには、異っ
た次元においての音楽を、包含する必要があります。普通の人間の聴覚が記録する振動数は、限られてい
ますが、この振動数の上にも下にも、無数の音波が存在し、それらは、超鋭敏な電子機械によってキャッチ
され、科学的に研究されつつあります。
たとえば蟻は、普通の聴覚では聞きとることのできない音で、互いにコミュニケー卜し、スズメは、十三種類
の異った表現のさえずりと、百八十七種に及ぶ短音階の表現方法を持つことが、すでに立証されています。
くじらまた、鯨も、独持なメロディーを奏でる事が、スペクトル写真によって記録されています。
水の中での音波は、上昇と圧力の動きを生じさせ、空気中においては、同心の動きを起こします。また総
ての要素は、それぞれ個有の音調(ノ一ト)を持ち、それぞれの原子、又、それぞれの世界、人間自身、その
キー音調を持ちます。そして、大自然の中で、これらの音が一体となり、天空のインテリジェンスに指揮され
て、すばらしい宇宙交響曲を奏でるのです。 この様にして、音楽は生れます。
「音」 と 「数」 の出会い
そして、この音の誕生に、創造を組織する七の法則(オクターブの法則)が加わり、数学的に秩序が設定され
ます。これが、音と数の出会いであり、その後、限りなく続く創造(クリエーション)、組合せ(コンビネーション)、
変化(トランスフォーメーション)において、音と数は離れられない間柄となるのです。
人間は、科学的音楽の分野において、知を深める事、そして高い思考力、高次的感情、脳の調和的発達を
獲得する事が可能です。かの有名な科学者、アルバート・アイソシュタインは、思索能力を深める目的で、よく
バイオリンを弾いたものです。彼は、数学の細胞と、音楽の細胞は、脳上部、額の部分で同調で振動すること
を承知していました。
母音と人格形成
それぞれの音が発されると、それは、その主調によって、脳のそれぞれの対応点に反響し、(このコンスタント
な振動の教練は)人間に特殊な行状を促がすことはよく知られています。ひとつの顕著な例として、世界の主
要言語において最も頻繁に発音される母音と、それによって定着される行動パターン、また人格形成への影響
をあげてみましよう。
スペイン語では、母音「A(ア)」をド音階で何回となくくり返し発音する事によって、脳内の赤色成分を活動さ
せ、スペイン語国の特徴のひとつである親愛的 友好的な性格を傾向づけます。
マニャーナ アミーガ ナランハ
(例manara、amiga、naranja)
英米語は、実用的な言語であり、その国の人々も然りです。“Time is Money”「時は金ななり」 の国民性、
それは連続的な「e(エ)」及び「ae」のレ及びミ音階の発音によって、脳内のオレンジ色および黄色成分に
与える影響によります。(例 yesterday、ash)
イ
ファ音階の 「i(特別な記号のためパソコンにない)」 は、イタリア語に代表され、黄緑色成分に反応し、胸
腺によい影響を与え、それが脳に反響し、人を陽気なほがらかな性格にします。
(例 bambini、Chiq−uini,amichi)
またフランス語の 「ou」をソ音階で発音する振動は、脳内の緑色成分に作用し、フランス人の特徴とも言
える教養と文化を嗜み、楽しむ方向に促がします。(例 feu、Oeuf)
ドイツ語及びサクソン系では、「u(パソコンで入力不可」「oe」の発音が目立ちます。これは青と藍色と関連
し、ラ音階、シ音階で、科学的探求心、音楽の深い論理等へ導きます。ドイツ、オーストリア
出身者に音楽的天才、秀でた科学者等が多い理由のひとつです。(例 Konnnen o入力不可)
オ
次に続くのは「O」1オクターブ上のド音階、紫色で、これはロシア語に多く聞かれる音です。
(例 Molotov Gogol Tolstoy)この母音は、心臓に作用し、イントゥイッション(直観)を活動させ、脳内の反
響は宗教心・信仰心を表現させます。共産主義の国家でも、パラサイコロジーの発達が世界一である所以です。
それを戦争や兵器に応用しているのは、残念ですが。
ミスティック
さて日本語はというと、いくつかの母音が合同され、直接知的能力発展と同時に神秘的な精神を活動させるも
のです。特に日本語に多いカ行とサ行の音は胸腺を刺激しますが、胸腺は感情や情操と密接な関係を持つも
のです。
ミュージック・セラピー(音楽療法)
音楽の科学的調査研究は、その有益な応用を社会の多くの分野で促進させ、何千年も忘れられていた
「音楽治療(ミュージックセラピー)」 を蘇らせました。音波によって、脳と人体組織で生じる現象を、治療、特
に神経系統の治療に応用するものです。
すでにドイツ・ポーランド・アメリカ合衆国・カナダなどでは、ローヤル・ヴィクトリアホスピタルの様に、クラシッ
ク音楽と従来の薬とを組み合せ、鎮痛剤(アンチピリナ)を使うことなく、ガンの痛みの治療に役立てている所も
あります。 このようなクラシック音楽のヴァリエーションと、ボリュームによって、自律神経や自発的な感情を目
覚めさせ、鎮静と強壮の効果も認められています。
また、半音階の振動は精神エネルギーと神経系統の感受性を調和させる効果がある事が立証されました。
古代ギリシャの音楽
音楽構造の歴史的発展を遡ってみますと、ギリシャ文化において音楽科学を次の主な三つの分類に分けて、
一つの完全を構成する、という概念、コンセプトに出会います。
一つは、エソス(ETHOS)、メロディの形。二番目はテクネ(TEKHNE)、音の法則。そして、三番目に、プラ
クシス(PRAXIS)、楽器演奏の技術。
彼らは、絵画と彫刻の芸術を、表面及び三次元的表現としてとらえ、音楽を「時」 の芸術、空間と物理的制
限を超越するものとしました。音は全てを包み、いたる所に存在するからです。我々自身も音であり、それゆえ
に我々を生きた振動で包むのです。ギリシャの人々は、彼等の神話時代はもとより、歴史の流れの中で、音楽
を神から贈られた精神的活動として理解し、また人間と神相互のかけはしとして、音楽を神々への敬意をこめて
捧げるものと考えていました。
アポロやティオニッシウスへ捧げた礼拝式の歌、悲劇や喜劇の舞台曲等、その起源は全て儀式祭典にあり、
その流れは、後のオペラが引き継いでいます。ギリシヤ時代は、正直で教養ある市民形成には、
プロポーション コンコーダンス
数学と調和 − すなわち、割合と調和で表現されるところの数学と音楽 −が必要不可欠である事をよく理
解し、全体的な教育に、極力注意をはらったと伝えられます。
クラドニ博士の実験
さて、一七九〇年、音楽はアカテミックなラボラトリー科学研究室で研究対象となり、ドイツ人科学者クラドニ
博士(ERNST CHLADNI)が、バイオリンを使って、金属板の上にしかれた砂の表面に、幾何学的模様を生
じさせることに成功しました。彼は、物理実験で、全ての物体は音波に感性があり、全ては音波を生じ、また音
波によって影響を受ける能力がある、という事を立証したのです。
音は分子の秩序に影響を与え、また同時に物質的・化学的プロセスに影響を与え、反発とアトラクション
(引きつけ合い)の現象を誘発し、また物体の有機的凝集力に影響するからです。幾何学的模様は、一秒間
の振動数、振幅によって自由に選択、誘発可能であり、刺激の正確なポイントまで決める事ができました。
彼の実験の中でも、石英の粉が金属板の上で、望遠鏡で観測される銀河系宇宙の現象=渦巻き星雲に似
た回転運動を形成するのは特に興味深いものです。この実験は、いかに宇宙が音によってささえられているか
を、極小規模ながらうかがわせてくれるからです。
そして、これらの科学実験や深い分析で、音楽はその美や精神的やすらきを失うどころか、音楽を聞く人々
に対して感受性を磨く必要性を決定的なものとします。また同時に、我々をして、実用的かつ詩的な現実に位
置づけるということをします。
生活の中の音楽
音楽の科学的研究は、一国の発展に必要不可欠です。音楽は社会とも切っても切れない仲にあり、又言語
と同様ユニバーサルなものであるゆえ、公的にも私的にも総ての行動に関連してくるものです。たとえば、戦
争のマーチ音楽は現在でもスポーツや運動会等の雰囲気作りに使われ、パチンコ屋からは、独特なチンドン
の音楽が流れ、客を引き寄せます。また横断歩道での音楽は、歩調を思わず合せ、だんだんと急がせるリズ
ムで歩行者を誘導したりします。
そしてテレヒは、CMソングから小沢征爾指揮のシンフォニーまで、ありとあらゆる音波を家庭に送りこんでい
ます。音楽は人間一人一人の細胞の中に生き、個人を囲む音楽的環境と共振するのです。個人の考え方に
より主観的見解は異なったとしても、これは誰にも避けられない事実なのです。 しかし幸運にも、この個人の
考え方(心理)は、自発的自己変革によって変化できるという希望があります。
退廃的音楽
病的なまでの官能的音楽や、ロックンロール(精神的進化において妨害となる)に慣れ親しんだ社会層は、
プロフェッショナルな指導によって音楽的に洗練させ、段階的に調和的音楽へと教化することが可能です。もし
そうしない場合には、催眠的重力に引きつけられ、チャチャチャ、マンボ、サンバ、ロック等、破壊的音楽の中
核へと下降する危険を持ちます。
すでにアメリカ合衆国や、ヨーロッパの激越な音楽グループの、衣裳、官能的・病的動作に、若者達を毒す
る淫奔な傾向を見ることができます。そしてこの種の退廃的音楽が、人間の模倣癖ともうかる音楽という理由
のみで、日本の芸術の核心にまでこれだけの速さで浸透しているというのはまことに残念なことです。芸術と
純粋な科学を培わない民族は、他国の歴史に見られる様な「失敗」を余儀なくされるからです。
オペラの新しい試み
日本の音楽機構を固め、社会心理全体を高すべめる術は存在します。健康的な同民族の伝統と、ユニバー
サルな崇高な知識とを組み合わせる事によって、それは可能なことです。この第一段階の試みは、たとえば、
二期会オペラの 「天国と地獄」公演で例を示した様に、音楽の改革を全体的に行なうことです。この作品で、
観客は、オペラを親しみやすい日本語で鑑賞し、ローマ神話に親しみ、その健康的なユーモアに腹をかかえ
て笑いころげました。そして同時に心理を一オクターフ高次へと導くことができるのです。
世界中の若者は、商業音楽の量産に飽和状態を感じ、反動的に何か他のもっと深い意義を探し求めていま
す。何か確かなもの、楽しみを失う事なく、もっと永続的価値のあるものを求めています。これらの若者達は、
オペラと洗練された音楽を再評価してきています。サンフランシスコ、メキシコ、ハンブルグ等のオペラ劇場は
、最近とみに増えた若い観客で活気を帯びています。日本でも、鹿児島県が独自のオペラグループを形成し
ました。
アート
音を理する技術
この 「前進」を望む現代の懸念は著しいものです。しかし、その永続的強化のためには科学分野と手を結ぶ
ことを必要とします。すなわち、芸術(特に音楽)はあまりにもすばらしいものであるがゆえ、世俗的現実を捨て
させ、鋭敏すぎるほど人間を磨き、夢見心地にさせてしまうからです。
ワグナーも一八四九年、「芸術と革命」 で全ドイツを芸術の名で統一し、芸術のみによって人間を洗練しよ
うと、むなしく試みた様に、いかに美しいものでもすべての力を一点に集中するのは、アンバランスを招きます。
人間が肉体と霊と魂とで形成されている限り、音楽を精神的洗練に、科学を音楽のエッセンスを理解するため
のラボラトリー、そしてそれを実用に活かすための手段として応用すべきです。
アート
これが、 「音を理する技術」 のシンテシスと言うことができます。
高次音楽と低次音楽
高次音楽と低次音楽
セークリッド
音楽は、その表現方法により、宗教音楽・クラシック、フォーク・古典音楽 ロマンチック音楽・民族音楽・
ポピュラー モダン
大衆音楽・現代音楽等々に分類されています。しかしノーシスは、それらの分類を総括して単に二種類に大
別します。
スーペリオール インフェリオール
それは高次音楽と低次音楽です。精神を豊かにし、人間を崇高な感情に導く音楽を高次音楽といい、反対
に熱情をかきたて、人間を動物的感情の奴隷にする音楽を低次音楽といいますが、その違いは容易に観察
することができます。
すばらしいへートーベンの交響曲の音に浸される時、体の上部、特に胸がいっぱいになる感覚をおぼえ、知
らず知らずのうちに感激の涙さえ浮かべることがあります。これが高次音楽の効果です。反対に低次音楽、ジ
ャズ・ロックなどは、ウエストから下、足までを共振させ、センソワル(官能的、肉感的)な腰の動きを思わず刺
激します。また音によって創造する、あるいは破壊することが可能であることもよく知られています。
高次音楽について見ていきましよう。私たちはシューベルトの作品を聴くとき、その昔の中にやさしさを感じ、
ヨーロッパの風景と重なる百合の花の甘い香りまで感じることができます。またワグナーは、宇宙規模の大ス
ペクタルを舞台に、神々の創造力と戦う姿を連想させます。ショパンの数々の作品も、ポロネーズは活気にあ
ふれ、ノクターンはメンタルな疲労感をやわらげる効果さえ感じさせ、ワルツやマズルカの快活さは哀しみを遠
のけます。
モーツァルトは、雲の上の天界にまで届かんとする純粋な精神を感じさせ、チャイコフスキーのパセティックは、
彼の内向的心理の哀しみを感じさせます。バッハは精神的メッセーシを以て、荘厳な大聖堂を想像させ、ベート
ーベンの交響曲は人々のエゴイズムを取り除いていきます。
しかしパガニーニ、人呼んで「悪魔のバイオリニスト」の大部分の作品は、神経症的音波で、聴く人の神経
の不調和を招くものです。すなわちこれらの例でおわかりのように、一見高次音楽と考えられがちな音楽にも、
実際には多種にわたる振動があることに注意しなければなりません。
そしてまたポピュラー音楽が、停滞した世界の甘い感傷的な戯れを刺激している一方で、高次音楽は、私た
ちを絶え間なく推進するエネルギーで満たし、創造と洗練に導くものだということも理解しておかねばなりません。
音楽のノーシスとは、単なる表面的な心地よさを音楽に見るのではなく、私たちの内なる存在に向けての、
教育(教え育てる)的なコンセプトをうちだすものです。この高等な振動の世界を知る方法のひとつとして、
次のようなものがあげられます。
古代文明の儀式に使われた楽器
フィズィックス メタフィズィックス
まず、科学を通して音の真髄にふれ、物理的研究を形而上学的(純正哲学的)研究の分野にまで深めるとき、
音の魔術に到達するのです。古代文明の儀式用マニュスクリプト(手書き文献)は、脳と人体における音の効
果に関する真の科学専門書といえます。この古代文明の儀式に使われた楽器をあげて、その効果を見ていき
ましょう。
中国の周の時代(B.C.1122〜B.C.256)、「黄金の竜」と呼ばれたイニシエイト(奥儀に通じた人)たち
の教団では、49弦から成るアイヤアタパンという楽器を使っていたと伝えられています。この楽器はサルテリオ
(昔の琴の一種)、ハープに似たもので、ピアノも含めた総ての弦楽器のもとになったものだとされています。
*(注)49音階は7オクターブに分れ、それぞれが人間の意識の49段階と相互に同調するものです。
この楽器を使って、各振動を瞑想する人のマインドに浸透させ、潜在意識内で対応する振動に深く共振させ
て、静寂の音の深さへと導いたのです。そしてさらには、光輝く無の境地「道・タオ」 へと至る導きとしたのです。
またメキシコ、テノチティトランでも、アステカの人々が内面意識を中国と同様に49段階として、一つのキィ音
によってそれらを調和させることを行なっていました。そのキィ音とは、チャプリン(こおろぎ、鈴虫の類)と呼ば
れる昆虫の単調な鳴き声による振動です。このためチャプリンは、アステカの秘教的シンボルで 「目覚めた
意識」を象徴しています。
そしてまた、鷲の騎士の位に達した印として与えられる羽根冠の左側には 純金製のチャプリンを勲章とし
て付けたことが知られています。
ギリシャ、ロ−マにおいても、この虫の繊細な歌は重宝がられました。瞑想や夢体験、意識の目覚めに使う
ため、金の籠に入れて売られていたほどです。こういった効果は、ある音波が発せられた時、その振動をキャ
ッチする特定の分子場が共鳴することによるものです。
音楽は魂を目覚めさせる
さて、ここで重要なのは、これらの事実をいかに意識的に方向づけ、有益に利用するかということです。
音楽はその神秘性ゆえに、いつの時代にも宗教と深い結びつきがありました。音楽は、人間の動物的な部
分を眠らせ、魂を目覚めさせます。意識を神聖な力と同調させて、崇高な目的への清らかな感情を呼び起こす
のです。
また、魂の感受性を磨き、魂がエゴから離脱することをたやすくさせます。 こうして世界中の宗教儀式には、
多種にわたる楽器が使われます。密林の中で、原始的な音とリズムを組み合わせて、集団で磁場を作るもの、
あるいは荘厳な大聖堂で演奏される、永遠なる天国を魂に思い起こさせるようなオルガンの音など、国によっ
て様々です。
そしてそれぞれの楽器は、各々が特定の効果を生じさせるものです。たとえば鐘の音は、神経系統で共鳴
して緊張をやわらげます。大鼓の音は血液循環を促進します。これらの振動の効果に加えて、神秘的尊敬が
ありますから、儀式の前奏曲としてはたいへん優れたものになるわけです。これによって準備を整えた後に、
マントラ(真言)やスートラ(経)、ラテン語のグレゴリアン聖歌などが続きます。
アフガニスタンの秘教的僧院では、スーフィ達がマントリックな歌と儀式舞踊を組み合わせて、肉体や若返
りや病気の治療、無我の境地に達するためなどに行なっています。各人の修行の段階に合わせて、行なうわ
けです。グルジェフもそこから音楽的知識を得て、人間の調和ある発展のために応用しています。彼のエクサ
サイズの中でも最も有益なものをひとつあげましよう。
それは、立った姿勢で両腕を上に向けて直角に立て、ある一定の音階で、肉体のある部分に痛みを感じる
まで、「EGO」(我)の語を発音し続けるのです。この方法は、人体に蓄積された心理的毒素(エゴのエネルギ
ー)を発見し、それを崩壊に導くことを可能にします。
母音を使った超常感覚機能開発法
音の神秘に浸透するもうひとつの方法は、すべての人間に潜在する超常感覚機能を目覚めさせることです。
ノスティック研究家(GGnostic investigator)、アーノルド・クルム・ヘラー(Arnold Krum Heller)
は、そのいくつかの著書の中で、超常感覚機能の発達と肉体の調和のための母音の効果について述べてい
ます。ここで母音を使った超常感覚機能開発テクニックを紹介しましよう。
背骨をまっすぐにして、楽な姿勢で坐り、創造の響きに共振する七つの母音を、それぞれが対応する身体
の部分に集中しながら発音します。時間は一日最低十五分間です。
イー
まず「I」から始めます。脳下垂体に集中しながら、約七秒間繰り返し発音します。これは一般に心霊眼、第
三の目、霊視などと呼ばれる超視覚を養います。
エー
次に「E」。甲状腺、のど、後頭部に集中します。これは超聴覚を養います。
オー イントゥイッション
次に意識をハートの左側に移して、「O」と発音します。第六感と呼ばれる直観力を開発します。
ウ一
次は「u」と発音しながら太陽神経叢に集中します。いわゆる腹といわれる部分です。このチャクラを動かす
と、テレパシー送受信のレーダーが動き出します。
ア一
次は「A」。肺(背後上部)に集中。この振動によって肺の血の循環を促し、記憶(前生の記憶を含む)を増
します。
ムー
次は「M」。唇を閉じて鼻から発音します。ムーでもモーでもなく「M」、性ホルモンの分秘を促進します。男性
は睾丸、女性は卵巣に集中。
最後に「S」。コプラやガラガラ蛇の出す音です。ロを構に開き、歯と歯の間から発音。意識は、仙骨の位置
から輝く光を背骨ぞいに脳とハートまで上昇・昇華させ、その光で体中を包むことを想像します。
音楽の洗練で世界を変革できる
このように音波が人体に与える影響はたいへん大きいものです。これは細胞にとっても同じことがいえます。
私たちの有機体の各細胞は、物質(=個体)とエネルギー(=生命)、意識(=細胞記憶)の三つから成るか
らです。
各細胞は極小サイズのレーダーのように、異なった音質の振動をキャッチし、それを絶えることのない変換
エネルギーに使うための栄養とし、また細胞記憶として保存します。ですから、低次音楽の振動も、当然細胞
のメカニックな記憶として保存され、それが不調和や退廃、破壊を招いて、神経症やノイローゼの原因となって
いきます。
私たちを囲んでいる振動は、すべて蓄積され記憶されます。人間の細胞は七年間でいれ変わりますが、その七年間の間、どんな音波に囲まれているかによって、私たちの心理と肉体は大いに影響を受けます。ネカティブな音楽、ポンチィフな音楽により、人間は変革するのです。
ですからここで重要なのは、人間のみに与えられた選択の自由をいかして、音楽のノーシスを活用し、調和
のある精神的進化を果たすことに導くことです。多くの人々が、いまだに、人間の進化は自然になされることだ
と信じています。あるいテクノロジーは、科学技術的発展をなせば人類も進化すると考えている人もいます。し
かし、世界中で起こっている悲劇や暴力、戦争をみればわかるように、現実は全く反対の結果となっています。
このブレーキなしの唯物的テクノロジーのアンバランス発展による不調和は、精神的価値の高い芸術で補う
ことが可能です。世界中の問題解決のために、芸術はひとつの役割を果たすことができるでしょう。
音楽のエソテリック(秘教的)な研究や日常生活への応用は、単なる娯楽や趣味、金儲け主義の教義などと
いう問題ではなく、現代一社会をよい方向へ向けるために緊急になされなくてはならないものなのです。それは、
創造主が私たちに対してもっている考案や計画を理解することに導く手段として、大いに役に立つものなのです。
偉大な音楽家達の多くは、悲惨な人生を送りました。彼らの中には、政治や革命の理想に燃えていたり、宮
廷の雰囲気に溶けこんだりしながら、音の崇高なるメッセージを世界中に伝えるという使命をもって、何世代に
もわたって人類に貢献しました。
彼らはエソテリックな教えを音に託し、音楽を媒体として人々に伝えました。ベートーベンの次の言葉にも、
それはうかがうことができます。
「音楽は、人間の魂の火をともさなければならない」
商業化されすぎた表面的な音楽と、偽りの教育にあきあきした若い世代が、探し求めているのは、まさにこ
れです。毎日の戦いの中で、存在の意義と目的をもって精神的進化を目ざすことの大切さを、私たちに教えて
います。
音楽は色と形をもつ
私たちの内なる存在がキャッチする音楽のメッセージを立証するために、ジョフリー・ハドソン(Geoffery Ha
doson)の着色図についてお話ししましよう。彼は超常視覚を持つ研究家として六十年以上講演活動を行ない、
また『ミューシック・フォーム』 (Music Forma)という著書の中で、ノート各音調が生じさせる超物質的効果
について述べています。(現在はサンフランシスコ在住)
これらの音調は、歌詞 テンポ アレンジなどによって、色・形・鮮明度に変化が見られます。演奏されること
によってその場に特別な雰囲気を生じさせますが、それは少し感受性の鋭い人には容易に区別できるもので
しょう。彼の超視覚を使っての研究の大部分は、ピアノとオルガンの演奏によるものです。
また、リートビーター(C.w.Leadbeater)とアニー・ベザント(Annie Besant)の共著”Thought Forma”
(邦訳『思いは生きている』竜王文庫)にも、この種の研究結果が発表されています。両書とも、彼ら自身の超
視覚体験にする着色図がふんだんに添えられています。
エソテリックな分野以外でも、こういった試みは行なわれています。フリッツ・ウィンケル(Fritz Winckel)は
その著書『音楽、音と感覚』 の中で、同じ現象をサイコアキュースティカル・トランスフォーメーション(Payeo−
Acoustical Transformation)と呼ばれる技術的方法を使って、同様の結果を発表しました。そこには、音
のスペクトル写真やソノグラムを使った実験結果が添えられています。(ソノグラムについては18ぺージ参照)
すべてを記録するアカシック・レコード
しかしさらに驚くべきことは、一九七二年、ベネチアのべネディクティン派修道僧、ベレグリノ神父(Ernettin
Pelegrino)がさらバイフレーションに超越した研究で、イメージも振動であり、私たちの細胞や心理のみでな
く、大気圏の中にもそれは録音されるという結論に至ったことです。
彼は、教会の鐘の音や燈台の一条の光などは決して消え去ることのない振動から成り、混同することもなく、
どこにでも存在すること、すなわち自然界のアカシックレコードに記録されることを立証したのです。彼は十年
間、このことについて友人の科学者たちと研究を重ね、ついにイメージと音をキャッチして第四次元にまで浸
透することができる、超鋭敏な受信装置を作りあげることができたのです。
これは、音波とともに、それにともなう場面を再現することを可能にするものです。そしてこの方法で、イエス・
キリストがゴルゴダの丘で十字架にかけられた場面を再現し、イエスが最後に発した言葉を記録したと伝えら
れます。(マタイによる福音書二七章四六節)
このニュースが世界中に発表されたとき、多くの新聞記者に囲まれたペレグリノ神父は次のように語りました。
「イエス・キリストの十字架の場面のみではなく、紀元前一六九年にローマで上演されたキント・エニオのオリ
ジナル『ティエステス』を古ラテン語でキャッチし、また同じ方法で、ソドムとゴモラを破壊した爆発や他の歴史
的場面を記録した」
ペレグリノ神父は、人類にはまだこの秘密を授かる準備がないとして、それ以上の発表は控えましたが、こ
のことによって、すべての音と音楽の重要性と永遠性が私たちに示されたことになります。
すなわち、すべて例外なく、私たちの考えること、発した言葉は脳に記録され、同時に無限の宇宙空間にも
記録されるということが。
人間の進化のために音楽をいかすテクノロジー
日本民族は、技術に商業に、また他の分野でも世界の主要国に勝る能力を示してきました。それならば、
「音楽の科学的洗練」という、従来の音楽の歴史の中でとり残されたものを、世界に先がけて実行する能力も
持っている筈だと私は考えます。テクノロジーを営利のためにのみ向けるのではなく、人間の精神的進化の
ために役立たせることは可能です。
何世紀もの間に積もりつもった埃と、沈滞した伝統を払い落とし、未来に目を向けて、力をプロジェクトする時
だとは思いませんか。現在、私たちはすべての時代の偉大な名作のカセットテープを、手軽な値段で買い求め
ることができます。そしてベルディ、プッチーニ、リヒャルト・ストラウスなどの作曲家たちは、音楽、特にオペラを
通じて、彼らの超自然的な生活体験を私たちに伝えます。森の精、空気の精、海王ネプチューンと人魚たち、
また魔女や悪魔の晴闇の世界など、あまりにも広大な世界が、そこには展開されます。
若者たちの目は、確かなもの、心の空洞を埋める価値を求めています。というのは、洗練された音楽まで、
知識人、文化人の批判や主観的賛辞の的となってきたからです。また音楽の分野そのものも、楽器の演奏
技術や発声のみに専念しています。いったい何人の音楽家が、純粋な愛の音の神秘に浸透することができ
たといえるでしようか。
音楽は単に表現したり、また表面的な感覚にゆだねるためのものではありません。音楽は、その最も深い
意味をわが身に生きるためにあるのです。また、だれの世襲財産でも、一民族の独占でもありません。音楽
は生まれながらに自由であり、その最も清らかな神秘を受け取ることができる人々と、エッセンスを分かち合う
ことを待ちわびています。
*注人間の構成は7層です。7年毎に細胞を変え、また皮層も7枚あります。エソテリックな構成で7つの体も持ちます。これ
ら7つの体 (7×7) で、49か意識49段階に相応します。
魂の進化と音楽
脳細胞の活動を促す三つの方法
芸術の中で最も生きた表現は音楽です。音はすべてに存在し、宇宙の中のすべての物質にバイブレーショ
ソがあります。私たちの肉体はエネルギーであり、一定の振動を持っています。私たちの心理・サイキスもま
たエネルギーであり、異なった振動数を持っています。
生命あるところすべてにバイブレーシヨンが存在し、従がって音楽もまた存在します。一般に私たちの社会
は、商業的ゴーゴーミュージックや、官能的なロマンチックミュージックで満たされています。いわゆる 「売れ
る音楽」を売るのが商業の目的です。ということは、私たちの心理・サイキスの中に洗練されたバイフレーショ
ンの開発がないということです。それどころか反対に停滞し、退廃の方向に向かっています。
私たちの脳細胞は、3〜6パーセントしか活動していません。すなわち、これだけ大きな脳をかかえていなが
ら、その94パーセントは働いていないということです。それは頭脳の開発不足のためです。
脳細胞の活動を促す方法として、
@ 呼吸法。
A 性エネルギー昇華法。
性ホルモンが血液内に入ることによって血の循環を増し、脳細胞の活動を増大させます。
B 洗練されたハイプレーショによる開発。
の三つがあります。きょうはこの三番目の、洗練されたバイフレーション=音楽に焦点を合わせてお話しし
ましょう。
「音」 の効果を自己開発に役立てる
私たちの聴覚というものは、妨害できない唯一の感覚機能です。触りたくなければ、触らないことはできます
し、見たくないものは目を閉じれば見なくてもすみます。臭いも一時さけることができます。食べたくなければ食
べなくてすみます。しかし聴覚だけは、ほとんど妨げることができないものです。
ですから第三次世界大戦の最も残酷な殺人兵器は、音のバイブレーションを使ったものだとも言われていま
す。すなわち肉体の聴覚ではキャッチすることのできない、超音波や低い波長のもの、そういったものによって、
私たちの脳はいとも簡単に破壊されてしまいます。そして音もなく、バタバタと人間は倒れてしまうでしょう。
このように 「音」 というものは、大変有益なものになりうる一方、大変有害なものにもなります。音によって
創造することもできれば、音によって破壊することもできます。「音」 は、なにも楽器だけの音とは限られませ
ん。我々の言葉も「音」 です。ですから、言葉で創造ができるとよく言われます。
そうすると、ここで重要なのは、「音」 の効果と重要性を認識し、これらの知識を身につけて、自己開発に
役立たせるということです。偉大な音楽家達が愛をこめて人類に残した音楽を、その価値を認めて、我々の
脳開発に生かすことができるのです。
バイプレーション
細胞は振動を記録し人をかたちづくる
モーツァルト、ベートーベン、ワグナー等は、ドイツやオーストリアなどの国籍に左右される存在でなく、ユニバ
ーサルな人物と言えます。日本人、ロシア人、中国人など、国籍は関係ありません。音楽は宇宙自身の一部な
のです。ですから音楽の分野で、国家主義は通用しません。日本はかつて戦争のために、ドイツやイタリアと手
を結んだことがあります。そうだったら、どうして芸術のためにドイツやイタリアと手を結ばないのでしょう。
私たちのサイキスと頭脳を開発し、洗練して行くことは、さらに高等なバイブレーションと同調するための準備
をしていることになります。私たちは肉体以外に霊と魂を持っているというお話しをしました。そうすると、音楽の
振動数によって、私たちの内に共振する部分が異なるというわけです。ゴーゴーミュージックや、マンボ、チャチ
ャチャといった、いわゆるラテン音楽は、私たちの体の中でも腰から下に共振します。ですから、そういった音楽
を聴くと、知らず知らずに腰が動き出します。
またクラシックミュージックは、私たちの体の上の部分と共振します。ですから音楽会などでは、胸がいっぱい
になる感覚をよくおばえます。このような、音の振動による人体への影響、脳への影響と同じことが、さらに、私
たちの細胞ひとつひとつにあります。すなわちひとつの細胞には、物質、エネルギー、 意識(記憶)というもの
があり、この意識(記憶)がバイブレーションを記憶していくということです。
これは次のような例で、たやすく理解できます。私は、あるクラシックの名作をひく若いバイオリニストの演奏
を聴いたことがあります。また音大のオペラを見たこともあります。そこで日本の若い人達がユニバーサルな芸
術に従事し、専念している姿を見ました。 このようなクラシック音楽の分野の人達に、戦争や暴力の話をして
も、誰もきっと聞いてくれないでしよう。この女性バイオリニストは、暴力はおろか、動物一匹殺すこともできな
いと思います。彼女の細胞はすでに洗練されているからです。ですから動物を殺す前にそれを考えるだけで恐
ろしくなるでしよう。
一瞬のうちに自分の体内すべての細胞記憶に反することをすることはできないからです。私たちの体の細胞
は、一瞬一瞬新しいものに変えられています。そうすると、彼女は生まれた時からずっと細胞に芸術的な開発
をしてきたわけです。それを一瞬のうちに変えることは不可能なことです。
私はまた、原宿の竹の子族の踊りを見に行ったことがあります。そこでトラッグ(覚醒剤)の売買をしたり、若
い人達の中からドラッグを売るために使える人を探しているのを見ました。また売春に使うための女の子達を
探しているのも目撃しました。その雰囲気の中では、そういった種類の仕事に従事する人達をたやすく見つけ
るでしょう。ということは、そこのバイプレーションは、低い情欲の振動だからです。しかし、竹の子族達のせい
にしているわけではありません。彼らは、生まれた時から両親がつけっぱなしにしたテレビを見、商業的音楽
を聴いて育ったのです。テープレコーダーのように、そういう音楽を細胞記憶に記録してきたのです。すなわち、
生まれた時から低いバイブレーションの開発がなされているということです。
そのような生活をしてきて、思春期になり、自分の周波数に合う生活に入るのは全く自然なことです。彼等
に必要とされるのは、正しい情報を基礎とした対策です。
魂の栄養となる三つのもの
さて、音の振動の影響はさらに、感情面にも見られます。太陽神経叢に位置する感情センターは、レーダー
のように振動を敏感にキャッチします。そして感情は主に、高等な感情と、情欲的なものとに分けられます。音
楽も当然そこで分けられるわけですが、洗練された音楽の振動は、高等な感情を開発し、さらに心理・サイキ
スと魂までにも至るバイプレーションです。
よく私たちは、肉体の栄養となるようにと食物に大変注意をはらいます。食物は私たちのエネルギー源とな
るものですから、確かに重要なことですが、それがすべてではありません。ですから、ここでは特に食物だけ
に焦点をあわせるということはしません。いいものを食べるのがいいのはあたりまえですが、そこで狂信的に
なる必要はないからです。食物は私たちの肉体のための物質です。では私たちの心理・サイキスのために、
私たちは何をするでしょうか。疲れればリラックスするよう努めたり、休暇をとります。このように少しは注意を
払います。
しかし、魂のためには、私たちはほとんど何もしないと言えます。というのは、これは私たちの持っているもの
の中で最も洗練されたものなので、何を食べるのかさえ私たちは知らないからです。魂の栄養になるものとし
てあげられるのは、洗練された音楽のバイプレーションによる、崇高な感情がそのひとつです。
そして、もうひとつ魂の栄養となるものが昇華された性エネルギーです。魂は生命であり、生命を与えるもの
が性に他ならないからです。また、献身や純粋な愛も魂の栄養となります。
ごらんのように、私たちのそれぞれの部分は、それぞれに適応した栄養を必要とします。そしてその中で、私
たちが最も注意をおこたっているのが魂のための栄養です。私たちの魂は栄養不足で衰弱しています。情報
不足のためです。ここで私たちがお話しするのは、すべての物事の基礎、判断基準となるものです。ですから
それを皆さんが日常生活に適応させ価値判断を変えていく、それが望ましいと言えます。
宗教儀式の楽器の さまざまな効果
ところで音楽の歴史は、宗教儀式にその起源を発すると言われますが、古代文明に見られる神聖な儀式音
楽、及び楽器についても、それぞれのバイブレーションの一定の効果が知られています。
たとえば、日本の木魚と似た音を出す、木の打楽器が、アステカ文明でも使われましたが、この種の楽器の
振動は私たちのリンパ系に共振し、リラックスさせます。また、太鼓は血液循環を促進させ、木の中でも拍子
木のような音は、背柱の調和に役立つとされています。
また鐘の音は神経の緊張を柔らげ、ゴングはチャクラを活動させ、竹の笛の音は内臓器官のバランスを助け
ます。ホラ貝もまた古代文明で多く見られる楽器で、特に神聖なものと考えられています。それは、ホラ貝が
「ファ」 の音を出すからです。この 「ファ」 の音は、私たちの地球の音です。(天体の音楽参照)
そして後になると民族音楽、農耕や神話に関した音楽なとが生まれ、伝統的なものとしていまだに残されて
います。現在は商業音楽の時代と言えますが、これは私たちの消費社会の中で生まれ、消えてゆく、商業ベ
ースの音楽です。日本でも欧米のロックグループを真似た若者達を見たことがありますが、ヨーロッパやアメリ
カのそれと比較すると、ずっとあどけない健康的なものであると言えます。しかし、日本は外国産のものを模倣
することが上手ですから、この分野でも真似をして、ますます低俗的になるおそれはあります。
現在、商業化された音楽が氾濫しているとは言え、美しい音楽も残されているのですから、それぞれの振動を価値づけ、そして個人の選択によって、開発は可能なことです。
音楽による 色とかたち
次ページの写真は、クラシックミュージックのバイブレーションと、それによってできる色の形の一例です。クラ
シック音楽の中にも、作曲家達のそれぞれ異なったスタイルとバイブレーションというものがあります。
スピリチュアリティ インテリジェンス
ワグナーの音楽に多く見られる紫色は精神的な霊性を表わしますし、知性の黄色、愛の赤、宗教心を表わす
青なども見られます。
ニュルンベルクのマイスタージンガー パルシファル
バッハの音楽のバイフレーションによる写真があります。ドーム(丸屋根)のような形ができていますし、色も
輝くばかりのすばらしい色です。バッハの音楽を聴く時、私たちは細胞の中に天から届くメッセージを記録して
います。バッハのオルガンは私たちの脳の中で反響します。ここでは写真ですから動きを見ることはできません
が、音楽のハイプレーションによって、色も形もリズミカルに動き、変化してゆくのを想像して下さい。それはそれ
は美しいものです。
モーツァルトは宗教歌を多く残しました。それらはラテン語で歌われていますが、ラテン語は特別なバイブレー
ションを持った言語です。日常生活ではあまり親しんでいない人が多いかも知れませんが、これらのバイブレー
ションによる私たちへの大変有益な影響を理解することは重要なことです。クラシック音楽の中には高等な感
情に共振し、清らかなときめきを呼び起こす音楽が数多くあります。
ヘンデルのメシアのハレルヤでは、いろいろな色の光が天に向かってのびているのが見えます。また同じ
作曲家の作品でも、初期のものと後期のそれでは、大変な差がある場合があります。それは、作曲家自身
の段階的進化をうかがわせます。
たとえば、ワグナーの最後の作品に 「パルンファル」 というオペラがあります。大変美しいものです。「パル
シファル」 の前奏曲のバイブレーションでは、上の方に 「聖杯・グラィアル」が見えます。その 「聖杯」 はキ
リスト教のみに限られたものではありません。すべての宗教にその象徴が見られます。実はワグナー自身、こ
の作品の名を「仏陀」 (正覚・イルミネーンヨンを得たもの)とすることを考えました。というのは、「聖杯」の物
語は、正覚を得、悟りの境地に到る道であり、「仏陀」 の物語であるからです。しかし、当時の黄色人種に対
する偏見と、政治的理由で、ワグナーはそれを許されず、「パルシファル」 の題で発表されました。
オペラというのは歌われた物語です。オペラを聞くということは、物語を美しい音楽のバイプレーンヨンで記憶
することになります。オペラの中には、天地創造、神話、聖書、人類の歴史などがすべて物語られています。
すなわち、オペラを聞きながら、すべての知識を音楽のバイプレーンヨンで記憶することになります。
「パルシファル」 のオペラでは、「仏陀」の進化の過程が表わされていますが、それは犠牲であり、愛であり、
そして叡智だと言えます。このように芸術の役割は、社会の中で人間的な感情の開発にも必要不可欠なもの
です。
クラシック音楽に比較して、ゴーゴーミュシックは一般に、これらの色よりずっときつく、形も不調和なものをつ
くります。そのようなバイブレーションを受ける私たちの脳細胞は気の毒です。ヨーロッパでの統計にもありま
すが、ディスコテークで一晩踊り狂った場合、私たちの体内の細胞がもとどおりになるには、三日間の休養が
必要だと言われます。
また、ウォークマンでゴーゴーミュージックを高いボリュームで聞くと、聴覚細胞が冒されたり、破壊されたりす
る例も、アメリカや日本ですでに数多く見られます。ごらんのように、音楽はバイブレーションであり、それぞれ
のバイブレーションはある成分を生じ、そして、それぞれが私たちの中で栄養となるか、または退廃させるか、
作用を持つ、ということがおわかりでしよう。
正しい知識を身につけ 自己変革していく
日本の芸能界は若い世代で満ちています。青春の躍動を見られるのは大変好ましく思います。しかし、そこ
で多くの若い女性達が性的なンンボルとして使われています。彼女達の歌は官能的・セクシュアルで、挑発的
なものが大部分です。すると彼女達自身の細胞も、官能的、また挑発的なもので満たされ、従って、外部の同
じバイブレーションをひきつけることになります。これは磁気の法則です。抵抗するのは大変困難な力です。す
なわち、ますます官能的に、そして、性的に退廃し、精神的に退化するのは容易に想像できます。
どんな種類の振動を脳細胞に記憶させるかは個人の選択の自由です。メキシコはいまだに開発途上国です
が、この国でも若い人達の多くがクラシック音楽に転向する傾向が見られます。日本のようにこれだけ中産階
級が一般化し、すばらしい電気器具等が普及している国で、洗練されたバイプレーションの選択、開発は、大い
に可能なことです。
しかし、これは一瞬のうちになされるものではありません。私たちは母親の胎内にあった時以来、全ての音
のバイプレーションを潜在意識の中に記録しています。ですから今、重要なのは、この同じテープの上に新た
に洗練されたバイプレーションを録音し始めることです。最初は、聞き慣れないバイプレーションを皆さんの細
胞は拒否するかも知れません。すでに洗練されたバイプレーションに慣れた細胞が低いバイプレーションを拒
否するのと同じように。
たった一日で、サイキスを変えるのは不可能です。それはカルチャーショックをまねきます。食物や洋服を変
えるのとは話しがちがいます。ですから教育制度なども、国全体で急に変えるということは望ましくありません。
もし、教育制度を今日から明日にかけて変え、テレヒでは今までの音楽をストップしてすべてクラシック音楽にし
たなら、住民の半分を狂わせてしまうことになります。いつも慣れ親しんだバイブレーションというものがあります。
急激にそのハイブレーションを変えるということはできません。精神病院行きになりかねません。
しかし、少しづつ価値観を変えてゆく。この方法でそれが可能になります。ですから、今日の話でも、最も重
要なのは、皆さんが受けるショックです。 つまり、私たちのサイキスは、いつもの習慣のバイブレーションで振
動しています。そこに、今日、クラシック音楽が脳細胞の開発に役立ち、また「パルシファル」 の物語は「仏陀」
の物語だ、ということを習いました。その上、それらを聴くことは教養や雰囲気づくりのためだけでなく、それどこ
ろか魂の栄養になるということを習いました。これはひとつのショックを与えます。そうすると今までの慣性の振
動がショックで一瞬とめられ、その瞬間から、新たにバイブレーションを変え始めるわけです。サイキスはこのよ
うに作用します。
ですから、ここで重要なのは、皆さんが今日お聞きになったことを考慮し、これからの価値観を変えてゆくとい
うことです。
神経系に悪影響のある音楽
さてここで、ひとつぜひつけ加えておきたい点があります。それは、クラシック音楽の中にも低いバイブレーシ
ョンの音が存在するということです。たとえば、パガニーニは、悪魔のバイオリニストと呼ばれました。タルティー
ニももう一人同様の名で呼ばれた作曲家です。バイオリニスト達が、パカニーニの音楽を多く演奏すると、神経
系に悪影響をおよぼします。しかし彼等の多くはこの悪影響にさえ気づかないでしよう。ということは、芸術の
分野にいる人達は美しいことだけを見るからです。現実とはかけはなれた、夢の中を漂うように生きています。
その上、パガニーニの音楽は大好きだと言うかも知れません。しかしここでは、単に好きだとか、嫌いだという
観点でなく、進化するか、退化するのかに総括しています。
バランス調和を保ちながら進化していくこと
そしてすべてに存在する二元性を忘れてはなりません。善は白、悪は黒であらわされます。しかし、陰陽の
原理のンンボルにもあるように、白の中にも黒い点、また黒の中にも白い点があります。そこで私が、まったく
白だけの所にいるということは、白の極端にいるということですし、反対に黒の場所にいるのは、反対の極地
にいるということです。そうすると両方とも、バランスを失なったファナティック狂信者と言えます。重要なのは、
バランスを保つ、調和のある場所にいることです。すなわち、ニュートラルな、中和された点であり、最も困難な
場所です。
それが白と黒のちようど中間の細い道です。そしてこの細い道を迷わずに進むには、いかに歩くかという知
識が必要です。そして芸術のすばらしさ、価値を充分認め、そしてその有益な効果を大いに生かしながらも、
現実を見失わず、大地に足をつけて歩むことです。
ですから、原宿でツイストを踊っている若者達を見ても、その若々しい活力に楽しい気分にさせられます。
その上罪を犯したり、ドラックに走るよりも、ツイストの方がまだましだと言えますし、それなりの価値も認めま
す。というのは、人間それぞれ何をするかという自由を持っているからです。しかし、ここでは皆さんと、中道を
歩きながら、進化するための知識というものを分かち合いたいと思います。それは生かされている私たちの責
任だと思うからです。進化を望む人はそのすべを知らなければなりません。
また進化を望まない人でもそのすべはすでに知ったうえでの、個人の選択の自由があるということです。た
だ、これを聞いたあとは、退化をしたからと言って、また病気になったからと言って、文句を言うのは止めましょう。
音楽についての七つの質問
クラシック音楽と他の音楽の区別について。
Q1 たとえば、ジャズの中にも感動する作品がありますが、そういったものはどうですか。またリズム
やビートが関係するのてしょうか。
A 私たちの肉体は、感覚的なものに左右されがちです。たとえば、ケーキとサラダがあると、ケーキの方が
おいしいと思います。しかし、ケーキは精白された小麦粉と漂白された砂糖でできた有害無益な食べもの
です。サラダの方が、体にいいと知っていても、感覚はケーキを好みます。
さて、すべての音楽は波長があり、この振動は最初に感覚に届きます。そうすると感覚的には自分の好
みか、好みでないかで選びます。クラシック音楽は異なった波長を持つので、そのバイプレーションは、
エモーション センセーション
私たちの脳の上の部分と、感情センターの高等な部分にキャッチされます。感情と感覚というレシーバー
(受信装置)が存在するということです。その上、感情の中には、創造的なものと、退廃的なものとがあり、た
とえば純粋な愛はたいへんポジティブなもので、情欲的な愛は退廃的、破壊的なものです。
肉体の細胞が、感覚的な音楽に慣れると、それをひきつける磁気力も大きくなります。欲望にはリミットが
ないからです。しかし欲望は最終的に我々の細胞を破壊してしまいます。私たちの肉体がいい食事で栄
養をとったり、悪い食事で病気になったりするのと同じように、私たちの細胞も高いバイブレーション、低
いバイブレーションによっての影響が表われてきます。たったひとつのマントラ(真言)の発音で治療するこ
とも可能です。反対に、低いバイブレーションであなたに病気をおこさせることも可能だということです。
私はポピュラー音楽のバイブレーションも研究したことがあります。そこでひとつ気づいたのは次のことです。
作曲家は、その時のインスピレーション、その時感じていたことを音楽で表わすということです。たとえば、アメ
リカの方で、一時大変ポピュラーだった音楽をこれから口笛でふいてみますが、その後、その音楽からキャッ
チされたバイブレーションの話しをしましょう。
みなさんはどんなイメージを思い浮かべましたか? 雪におおわれた山の景色と、その山をスキーで降り
て来る人、それが私たちのサイキスがキャッチするイメージです。そうすると、これは特に悪影響があるとは
いえませんが、脳細胞の開発に役立つともいえません。官能的な音楽は、一般に作曲者が自分の情欲を音
で表現し、振動させているといえます。
すると、それを聞く人は、作曲者の情欲のバイブレーションをすべての細胞がキャッチし、性的な情欲を呼
び起こさせられます。ですから音楽の好きな人は、特に高いバイブレーションの音楽を常に選ぶことが大
切です。高いバイブレーションの音楽は、低いそれよりも強いエネルギーを持つので、録音しなおすと、前
の録音を全部消します。反対に、低いものは、先に録音された高いバイプレーションの音楽を消すことは
できません。
音楽には似かよったものがありますが、常に同じだとは限りません。たとえば、感覚と感情のちがいを正
確に区別するのは困難でも、確かに異なったものであるのと同じように。 ジャズは黒人の間からおこっ
たものです。黒人奴隷の苦悩から始まりました。ですからたいへんメランコリックな感じがします。そうする
と、サイキスの栄養になるとは言いがたい低いものです。
音楽のバイブレーションを区別する時、その時に感じるインスピレーションをベースにすることができます。
そして作曲者のサイキスまでも観察すると、そこから、どのような種類のものかを想像することができます。
音楽を作るのは作曲者のサイキスだからです。ベートーベンは、第九シンフォニーの歌の中で、万物の平
和を願っています。彼は、満足に食べる物もなく、胃をまったくだめにしてしまいました。耳も聞こえなくなり
ました。そして耳も聞こえずして第九シンフォニーを作曲し、その調和あるバイブレーションの中で全ての人
類が手を結ぶように願っています。
パガニーニは、というと、自分のバイオリンで貴婦人達を興奮させ誘惑しました。また、マーチ音楽がもしこ
こで鳴れば、皆さん思わず足踏みをしたくなるでしよう。このように、それぞれの音楽には心理があります。
従って、異なった質の音をいつも変えるということは、心理の中での変化も激しいということにつながり、調
和がないということです。ですから進化のためにははっきりと区別する必要があります。両方いっしよにとい
うのはメンタリーな不調和をきたします。
Q2 子供が寝ているときに、クラシック音楽をかけると何かよい影響がありますか。
A 寝ている時でも、おきている時でも良い影響があります。いつも記録されるからです。眠っている時に聴
いている音楽のその時のバイブレーションによって、アストラル体でもそれに関連した経験を持つ可能性
もあります。でもあまりボリュームを大きくしておこしてしまわないように気をつけましよう。
Q3 クラシック音楽の定義、及び高いバイブレーションのクラシック音楽の見分け方を教えてください。
A クラシック音楽という時には、古典期の音楽のことをいいますね。しかし、ここでは時代に関係なく、すべ
ての時代に存在する洗練された音楽の意味で使いました。音楽はそれぞれの作曲家の人生と深い関連
があります。たとえば、ベートーベン、バッハ、ワグナー、モーツァルト、ヴェルディ、プッチーニ、ヘンデル、
ヨハンシュトラウス等はおすすめできますが、パガニーニの作品のほとんどは、おすすめできません。チャ
イコフスキーの場合は、聞いて美しい音楽ですが、高い次元に導くものとはいえません。というのは、チャ
イコフスキーは、内的な人生で進化をとげるまでにはいたらなかったからです。またショパンのピアノは色
々な段階があります。悪くはありませんが、前述の天才の音楽とは、少し異なります。これらをヒントにして
選べると思います。これらは私自身、超常視覚を持った人や機械を使って調査済みですから。
ここで、興味深いエピソードをお話ししましょう。バイブレーションのパワーを知るのに役立ちます。
私はメキシコである家族の昼食に招かれました。その中に二人、ピアノを教えている女性がいました。そ
して、その家族の友達の看護婦で、超常視覚をもっている女性もいました。食事をしている最中、彼女が
驚いて私の方を見て、「黒い影があなたのそばに近よっている」 と言いました。そこで私は、まわりの雰
囲気をまず観察し、そこにいる人達も観察しました。というのは、その黒い影は、そこにいる誰かが作って
いるのかということを観察したかったからです。
その時、クラシック音楽が耳に入ったので、「これは何という音楽か」 とたずねたところ、答は、パガニー
ニの「メフィスト(悪魔)」でした。そこで音楽を止めてくれるようにたのみ、私の前にすわっていた看護婦
さんに、影はまだいるか、とたずねました。すると彼女は、「影はまだそこにいるけれど、もうあなたに近ず
かない」 と言いました。私はそこで、あるマントラに意識を集中しました。これは口に出さずに、メンタリー
に発音しました。防御の星の形をつくるマントラです。そうすると看護婦さんは 「もう影は消えた」 と言い
ました。 それを聞いていたピアノの先生は真青になって、テーブルから立ちあがり、「今はじめて、私の子
供に何がおきたか理解できる」と叫びました。
というのは、彼女は音楽のバイブレーションによる影響というものを、そこで理解したからです。そして、次
のような彼女の妊娠中の話をしてくれました。妊娠中に、彼女はピアノのリサイタルの準備をするため、一
日、七、八時間も「メフィストワルツ」 などの悪魔的な作品を何ケ月もの間練習しました。そして生まれた
子供の顔はメフィストに似て、その上病弱でした。栄養失調で、カルンウム不足の大変もろい骨格でした。
彼女は自分の妊娠期間中に、音楽のバイブレーションによってこうむった影響というものを、その時理解
したのです。
Q4 自然界の音、たとえば、風、波、小鳥のさえずり等についてはいかがですか。
A 自然界の音は自然の音です。人間に悪影響があることはありません。たとえば、コオロギやスズムシの
鳴声は、意識の四九段階をリラックスさせる効果があります。ギリシャ時代にも、コオロギやススムシは金
のカゴに入れて売られていました。 日本のメディテーションセンターに一度行ったことがありますが、千円
とられて、スズムシの録音テープを聞かされました。この単調なバイブレーション、お経の読み方もこのよ
うに単調ですが、これはマインドをリラックスさせる効果があります。このように、宗教は全く科学的に説明
できるのです。そこで狂信主義をなくせば、本当の意味での宗教を実現することも可能です。
第一次世界大戦中に、兵隊が行進をしながらアーチ型の橋を渡ったことがあります。その時、足ぶみの単
調なバイプレーションが橋の分子と同調し、兵隊がまだ橋の上で行進している最中に、橋ごと下に落ちた
、という例があります。それが振動の同調の効果です。二台のピアノを離しておいても立証できます。一
方のピアノの(シ)のキーをたたくと、もう一方のピアノもなにもしなくても、(シ)となります。これが振動の
同調です。自然界の中でも、特にコオロギ、スズムシの鳴声は私たちの潜在意識の段階と同調します。
ディズニーのピノキオの話をおぼえていますが、そこで、コオロギが登場しますね。このコオロギのことを
何んと言いますか。そう、(良心)(意識)です。ですから、ピノキオはそのコオロギの言うことを聞いて、ロ
バになるのを防ぎました。
たとえば、ベートーベンの田園交響曲は、自然界の音楽です。田園交響曲でそのバイブレーションをキャ
ッチすれば、草原の景色や雲の動き、稲妻の光が見えるでしよう。ドラッグ(覚醒剤)を吸う人が、よく音楽
をかけたりします。音楽によって色を見たり、現実の問題から逃れることができるからです。しかし、その
ために、あまりにも高い代償を払うと言えます。脳細胞を破壊してしまうのですから。皆さんはドラッグなし
でそういうことができるのです。
Q5 魂にとってはクラシック音楽があるが、霊にとっても同じてすか。
A 霊というもの、それは魂と肉体の媒体というお話しをしました。私たちの肉体は、外的な感覚をうけます。
そして、サイキスも同じバイブレーションをキャッチするといえます。ここでのちがいは、肉体の場合は細胞
内に保存され、肉体が死ぬとそれは終ります。しかしサイキスは肉体の死後もそれらの価値を保存します。
価値は、ネガティブなものと、ポジティブなものに分けられます。そして、魂の栄養となるのはポジティブな
価値が届きます。というのは、魂はネガティブなものを拒否することができるからです。太陽は、太陽の栄
養をとります。愛は、愛自身によってはぐくまれるように。
しかし心理(霊)というものは中性であり受動的です。だから、私たちの与えるものはすべて受けとります。
ジャズであろうが、クラシック音楽であろうが。これら三つのもの(魂・霊・肉体)が、私たちの社会の中で
いかに機能しているか、実用的な例をあげます。アメリカが日本にタバコを売りつけようとしています。する
と、さっそくテレビでは宣伝が始まり、私たちの肉体の感覚は、その広告をキャッチします。サイキスもそれ
を受けとります。しかし、魂までにはいたりません。魂はそれを拒否します。するとサイキスは、魂と肉体の
板ばさみの状態になります。それは、心理的な問題をおこす原因となります。ごらんのように、私たちの魂
と、心理と、肉体の調和がいかに大切かおわかりでしょう。
この三つの部分が調和されて、初めて本当の平和が訪れます。これが仏陀の言った、悟りの境地です。
すなわち、肉体が魂の求めるところを行なえば、心理での摩擦はなくなります。しかし、現状は、魂が大変
弱っているので、充分な力を持っていません。私たちのパーソナリティの中の多くのエゴが、私たちの魂を
閉じ込めてしまっています。ですから、魂に栄養を与えることによって、その力をとりもどし、成果を発揮す
ることができます。魂の力にまさるものはありません。
Q6 日本の音楽で、三味線、尺八、笛、琴などいろいろありますが、それらについて意見を聞かせて
ください。
A クラシック音楽の初期は、貴族のために宮廷内で演奏する、そういった種類の音楽でした。そして、その
後シンフォニーができるようになって、オーケストラが入り、また観客が入り、大きな場所で演奏するよう
になりました。しかし、クラシック音楽は貴族に限られたもので、大衆向きのものではありませんでした。そ
して現代、エレクトロニクスの時代になり、一般大衆でも、いくらかお金を払えば、ベートーベンのカセットを
買える時代です。以前は貴族のためだけであった音楽が、現在ではあまりに簡単に手に入るので、その
価値を見のがしがちです。
日本ではその時代、陰音階を使っていました。ということは、私たちの脳細胞に限られた振動のみを与え、
他の部分のチャンネルを聞くバイブレーションではないと言えます。伝統音楽だけのバイブレーションに
慣れ親しんでいると、新しいチャンネルを開く振動は与えられません。 伝統的なものすべてがいいとは
限りません。古い時代の人間の脳は、その時代に適したものですから、それと同じものが現代にも適用で
きるとは限らないからです。日本は現在、近代的な工業国で経済的にも大変活動があります。そうすると
芸術面でもそれだけ敏速に動く必要があります。日本人指揮者小沢征爾も、大変アクティブで、ダイナミッ
クに世界中で活躍しています。日本の進歩のリズムを、芸術の中で生かしていると言えます。
たとえば歌舞伎は、その10パーセントも現代に適用できないものです。日本が退廃期に入った時代に始
まったものであるうえ、男性が女装をするというのも、私たちの意識がそれを受け入れません。そのうえ、
歌舞伎を観るには五時間すわっていないといけません。たった一回の公演でです。今は五時間かけて、
退廃期に始まった音楽を観賞する、そういう時代ではありません。ただ、神話に関するテーマは、何かの
メッセーシを含んでいるとは言えます。過去に生きることを望むのであれば、歌舞伎でも、琴、三味線もい
いと思います。
ワグナー、モーツァルト、へ−トーベンの音楽は、時間を超越した音楽と言えます。ですから、未来にかけ
て私たちが開発しようとするのであれば、伝統というものは捨てる準備がなければなりません。伝統は今
までに役立ったのですから、これからはそれ以上に超越する必要があります。日曜日にツイストを踊って
いる子供達は、もう歌舞伎のことなど思い出さないでしょう。歌舞伎に行ったら、きっと眠ってしまうでしょう。
彼等の時代とはスピードが異なるからです。彼等の脳はもっと振動が必要です。私たちの人生でも迅速
に動かないと時間は終ってしまいます。五分の間で世界中におこっていることがニュースで見られる時代、
脳も同じリズムで動く必要があります。過去の時代にとどまっていたのでは停滞してしまいます。
伝統というものは大変尊敬すべきものだと思います。しかし私たちは今、ここに存在しているのです。これ
がさきほどお話しした、ショックの強さです。私が日本人であれば、日本を愛し、私の血の中には日本民族
の血が流れるでしよう。そして、日本の伝統を尊敬し、愛着も持つでしよう。ところがこのように、ある日突
然外国人が、歌舞位は何の役にも立たない、と言います。すると、私のサイキスは飛びあがって驚くこと
でしよう。ですからこのような知識は、大衆に一度に注入するというのは好ましくない、と言ったのです。
サイキス心理を徐々に調整していく時間が必要です。いつもバランスを失わないように注意しなければい
けません。
私が今説明していることでも、皆さんの中には一年後に理解するかたもあるでしょう。ここで重要なのは、
それを記録することです。その情報は魂の意識にまでも届くでしょう。そして魂は、それを拒否することは
ないでしょう。ですから、皆さんの心の底では、その価値が理解できると思います。一瞬それを聞いた時
には、拒否反応があらわれるかもしれませんが、薬を飲む時のように、にがいけれども、自分のためにな
ると理解できるでしよう。
Q7 今の伝統的なものと対照的に、全く新しい、シンセサイザーを多用したマインドミュージックとか、 瞑想用の音楽について聞かせてください。
A すべてのものに二元性があります。それらのマインド・ミュージックにも、スートラを部分的にとり入れたも
のなどが見られますが、ということは、基礎からポジティブなものを使っていると言えます。そして、それを
作曲者自身の感受性と交差させるというわけです。そうすると、マインドミュージックの中でも、いい基礎
から感受性を近代化したものもあれば、また反対の道をゆくものも当然あります。