11月2日(SUN)

晴れ。春と言うよりも夏みたいに暑い一日である。
 『2003年11月 私の人生』
 昼間はTシャツでも過ごせるくらいの高温であった。夜になってもTシャツに長袖シャツを腕まくりをしている。トレーナーでは暑いくらいである。

 いよいよ11月に入り、今年も残り2ヶ月あまりとなった。これから数ヶ月、多分私の生涯の中でも経験したことのない体験をする事であろう。そしてその体験と結果は、私のこれからの人生をどのような方向へ向かわせてくれるのであろうか?。
 明日は一人で浅間山の麓へ行ってみよう。

10月30日(THU)

晴れ。結構暖かいかも知れない。
 『24時間営業』
 コンビニ好きの私が、久しくコンビニを訪れていない。
 何故か?
 @ここのところ何故か夜忙しい(やらなければいけない事がある)。
 A最近あまり外出しない。
 B夜、煙草切らす事があまり無い。
 C間食をしたがらない。
 Dお金を使う事が惜しい?。
 EM社からセブンイレブンのプリベイトカードを貰えない。 

 コンビニと私の出逢いは18歳の秋、26年前の事である。場所は横浜の日吉駅近く。コンビニ界の王者となったセブンイレブンである。名前の通り7時から夜11時まで営業しているのには、田舎者の私には画期的に思えた。その時何を買ったか忘れてしまったが、今とは違い客は少なく、現在と比べると格段に品揃えが少なかったのを覚えている。しかし、それでも当時10代の私は、おぼろげながら「将来はこうなるべきだ。」と感じたのである。

 そして26年が過ぎ、依然田舎のままの変わらない我が町にも、辛うじて24時間営業のコンビニが4件(たった?)ある。そして、コンビニとは無縁と思っていた浅間山麓にも数年前オープンしたのである。
 最近の私には必要ないかも知れないが、当然ニーズがあるから存続しいるのであろう。

10月29日(WED)

晴れ。昼間はとても暖かく半袖の人も結構いたのである。
 『突然の出逢い』

 トヨタの黒塗りの車が勢いよく入ってきた。
 
 車から降りてきた人達は、すぐに思い出せなかったのだが見覚えのある人達。そして、その中の一人にスキンヘッドが異様に目立つ人。そう、昨日の告示で自由民主党から立候補したK泉氏である。それは自然に、K泉氏と私は歩み寄り握手。
 K泉氏・・・「またよろしくお願いします。」
 私・・・何故か、「ご苦労様です。頑張ってください。」(・・・これしか言えないなぁ。)

ほんの数十秒の出来事であり、小泉首相が表紙のいわゆる“マニフェスト”のダイジェスト版を数冊と名刺を1枚手渡されて、黒塗りのセダンは走り去るのである。

10月28日(TUE)

今夜は傘がなくても濡れぬ程、細かな霧雨が降っている。
 『補欠選手?』

 たった1日空けただけで、今度は衆議院議員選挙が始まった。今年は何と選挙の多い年なんだろう。


 そして日曜日は、バカ律儀?にも参議院議員補欠選挙の投票に行ってしまったのである。

 事務的に投票用紙を貰い、3名の候補者の中から、まるで宝くじナンバーズで数字を選ぶ如く、何故か民主公認候補の名前(もう忘れてしまっているが・・・・)を書いてしまった。

 民主党の候補者を書いてしまった理由は別段ないのだが、恐らく自由民主党小泉さんに『NO』と言う意識が少なからず働いたからなのか、候補者が女性でポスターに映る顔が少し美人に見えたからなのか、とにかく一度はそう書いてしまったのである。

 名前を書き終え、その美人候補の事をまるで知らないのを思い出し、一瞬ではあるが自民党候補者『S口』と書き直そうかとも思った。しかし投票所で鉛筆を持ち、長く考えているのはいささかおかしなものなので、結局そのまま投票してしまったのである。

 数億円か?数十億円?かかったか分からないが、無駄使いとしか思えない補欠選挙は、投票率たったの27%で、たった数千票差で自民党公認『S口氏』が民主党美人候補を破る結果となったのである。
 どうでも良い?参議院の補欠選手選びなど、何故、衆議議員選挙と一緒に出来ないのであろうか。理解できない。

10月27日(MON)

晴れ。・・・多分・・。
 『月曜日の夕方』

 良いと思うことは、積極的に真似をし、取り入れないといけない。 ・・・のである。

 午後5時からS田社長と打ち合わせ予定だったので、午後4時30分に携帯電話にアポイントの確認を取る。案の定S田社長は、新横浜駅にいて新幹線を待っているという。結局、一時間後に電話を貰い、O部駅午後5時58分着の電車を待つ。何とか1時間遅れで一時間ほど打ち合わせが出来たのである。
 しかし本当に忙しい人である。よくよく考えてみるとS田氏が、これまで暇を持て余しているのを見たことがない。私の身近にいる人で、そして知る限りでは、これ程時間を有効に使っている人はいないであろう。 しかし年を重ねたなぁ。

10月26日(SUN)

晴れ。
 『何もない。10月最後、日曜日の午前』
 10月最後の日曜日である。
 昨夜(今朝?)遅くまで仕事をしていたのは、今朝、初冬を迎えようとしている山へ行こうと思っていたからである。しかし疲れ果てているのか、AM4時頃就寝したからか、はなから行く気が失せていたせいか、起きてみると午前9時。ほんの少しだが、お昼前に出発すれば・・・・、とも考えたが、結局ワールドシリーズ『マーリンズ対ヤンキース』を観戦をしてしまう。  マリナーズは強いなぁ。と思いながら昼を迎えてしまうのである。



2003年は結局、ワイルドカードから勝ち上がった、マーリンズがチャンピオンとなりました。


10月25日(SAT)

曇り、一時晴れ?寒い一日である。
 『小泉流〜(中曽根さん)』
 中曽根元首相も、既に85歳になったのを先日再確認出来た。もうかなりのお爺さんだなぁ。 私は氏の執筆した『政治と人生』なる本を持っているのを思い出した。
 小泉首相が61歳と言うことは24歳(干支で二回り)年長と云うことになる。私が44歳だから、68歳に相当する人である。どう見ても親子だ。そんな大先輩に向かい“老害”みたいな発言を繰り返し、そして突然訪ねて、政治家として引退を勧告したのである。小泉さんの云っている『若返り』の意味も分からないでもないが、政治家中曽根さんにとっては、非礼極まりなく、テロに狙われたか、『死ね』とでも言われたような心境なのであろうか。
 小泉さんも、根回しというか、段取りというか、もう少しやり方もあるのではないか?。あまりにもズバリ、そしてストレート過ぎて、私ですら、もう少し何とかならないのか? と思うくらいである。それが丸投げの小泉流(自己流)なのか?

10月23日(THU)

昼間は暖かいが夜は冷え込む。晴れ。
 『今日の陽気』
 昼間はシャツを腕まくりするほどの暖かさであった。

 夜、老犬PRINCEとウォーキングをする時間には、Tシャツ・NIKEの厚手のスエットパーカー・友人のスポーツ店で随分と前に買ったトレーニングウェアを着込んでいても寒い陽気になってしまったのである。そして、夜のニュースで、浅間山に初冠雪があったのを知った。

10月22日(WED)

朝から雨。正午頃から曇り。
 『見えた』
 朝起きると音を立てて冷たい雨が降っている。
 久し振りに、あまり気乗りしないゴルフに出掛けるため、普段より早めに事務所でやりかけの仕事をし、午前9時に集合場所へ向かう。そして『こんな雨の中で、しかもゴルフをするのはイヤだなぁ。』と思いながらもますます激しくなる雨の中をコースへ出た。
 こんな気持ちだと、ショットもそしてスコアも悪いのは分かっている。案の定スタートホールのティショットがワンペナ。2ホール目のセカンドがワンペナ。3ホール目のティショットがOB。すっかり雨のせいで?しっかりと大叩き。すっかり気落ちした私は、4ホール目迄来ると、更に激しい雨に、早くも『本日のゴルフもここまでか?もうホールアウトしてしまいたい。』と言う気持ちが大きく占めたのである。

 しかし、独りで止めるわけには行かないのが、この競技の辛いところなのである。我慢を続け、5ホール目のミドルホール(PAR4)で、ようやく傘がいらないほど小降りになり、そして何とかグリーンに3オン。しかしカップまで10ヤード程の長い距離。同級生Uちゃんが私と同じラインで先にパットをする。そして後でそれを見ていた私には『見えた』のである。ボールからカップまでのフック気味のラインがくっきりと・・・・・。
 Uちゃんは見事にラインを外し、しかもショートパット。続く私は、慎重にもう一度ラインを見直してゆっくりとパット。ボールはフック気味の軌道をゆっくりと転がり、まるでスローモーションを見ているかのようにカップの中へ・・・・・・・。『ナイスパー!』同伴のM下氏、T嶋氏、同級生Uちゃんから一斉に喝采の声がしたのである。
 こんなものなのか、次のホールから私なりにショットが蘇り、苦しいだけのゴルフが解消されたのである。まさしく、あのロングパット以降、僅かではあるが何かが見え始めたのである。
 きっかけとは、どんな事でも “こんなもの” なのなのかも知れない。

10月21日(TUE)

晴れ。10月らしい気温。
 『LON-CLUB』
 I村会長、H本幹事、第1副会長K尾さん、弟2副会長H田さん、前会長A井さん、元会長S崎さん、元会長T田さん、元会長K野さん、元会長K村さん、前幹事H木さん、副テーマT計さん、元幹事の私、次期会計U村さん、I井さん、K保田さんの15名が今晩の例会に出席した。35名の全メンバーの内、いよいよ出席率が50%を切ってしまった。
 そして気がつくと、会長経験者が15人中6名。三役経験者が15人中、何と11名という数となった。会員の多くが貴重な経験を分担する事は、決して悪いことではない。
 しかしながら、新たなメンバーがさほど加わらずに、まさしく老齢化が進み沈滞してゆく運命が少なからず見えるようでもある。こういう団体をリフレッシュする方法は・・・・・?

10月20日(MON)

晴れ。結構暖かい。

 今朝は早い内からGOOD-NEWSが飛び込んできた。W-シリーズの第2戦の初打席でNY-松井が先制の3-RUNを放ったのである。
 結局、この松井の本塁打が決定打となり、6-1でヤンキースが勝利し、私の昼休みのささやかなTV観戦時間を待たずして、フランクシナトラの優雅な『NEW-YORK・NEW-YORK』が流れたのである。

 
『実にシビア』
 しかしメジャーNYのファンは実にシビアなのである。暢気な日本とはまるで様子が違う。
 先日のRED-SOX戦でリーグ優勝を決める“サヨナラ本塁打”を放ったブーンがエラーをした時と、1番打者ソリアーノが得点圏で凡打を繰り返すと、大ブーイングの嵐。そして、たった一日でヒーローと愚者が入れ替わるのである。きっと尋常では戦えないのであろう。
 

10月19日(SUN)

晴れ。しかも暖かい。
 『日曜の朝』
 午前中は、ワールドシリーズをTV観戦し過ごした。結局、試合終了後、フランクシナトラではない、女性ボーカルの“ニューヨーク・ニューヨーク”が流れはしたものの、松井が5番バッターのヤンキースは初戦を落としてしまった。
 でもその方が結果的にこれから面白いのかもしれない・・・・・。


 『老眼?』
 一週間ほど前から紛失した眼鏡が見つからないので、安いメガネを作った。いろいろな視力検査をし、現在の私の視力は裸眼両方で0.5の視力と言うことになった。乱視も片目だけかと思っていたら、左目も弱い乱視と言うことであった。検査をし、レンズを決める際、店員から遠近両用のメガネを進められたのには、いつかは・・・・という予感もあったが、少なからずショックを受けたのである。
 そう言えばここ数ヶ月、近くを見る時、おでこにメガネを良くかけていたのを思い出したのである。もしかして『老眼』と言うことなのか?


10月18日(SAT)

晴れ。
 『焼酎の梅割』
 久し振りにO野・M下氏からお誘いの電話が入る。予定していた仕事を早めに切り上げ『S家』へ行き、久し振りに“焼酎の梅割り(お湯)”3杯と刺身、タン塩の厚切りをご馳走になってしまった。2年前、○IONS-CLUB三役を共にした絆は、今だ薄れないものである。当時は大変な役職だったが、とても良い人間関係が出来上がったようだ。
 しかし焼酎の梅割が旨い季節になったんだなぁ。

10月16日(THU)

晴れ。朝は寒い。
 『NY-BOSTON』
 松井が一年間フル出場したNY・ヤンキースと、野茂が二年前まで在籍していたBOSTON・レッドソックスが、ワールドシリーズを賭けたプレ・チャンピオンシップで、共に3勝ずつを上げ、いよいよ明日が最終戦となった。しかも明日は、両チームのエース中のエース、クレメンスとペドロ・マルチネスの因縁の投げ合いと言うことになった。
 正直、阪神対ダイエーで対戦する日本シリーズより、まだリーグ優勝決定戦であるはずの、このシリーズの方がはるかに面白い。たとえジャイアンツと西武が戦っても同じ事だろうが、野球とBASEBALLがこれ程違う物か!とまざまざと見せつけられる思いである。
 日本では大型選手であった松井が小さく見えるほどのメジャーリーガー達が、間違いない全闘争心と全パワーで、ただ野球をするだけ。そんなわかりやすい単純なゲームに、観客は熱くなり単純に喜び嘆く。
 だからM.L-BASEBALLは、日本の緻密な野球とは違い、実に単純に楽しいのである。

10月15日(WED)

晴れ。朝は寒い。
 『今日の価格・・・・ガソリン、リッター90円』
 今日ガソリンを入れたら、カードでも1リッター90円だった。長年お世話になった取引先の(晩年は仕事が殆ど無かったが)K社で、私の持っているカードが使えなくなり半年が経つが、すっかりいろいろなGSで給油する”ジプシー生活”になってしまったようだ。
 しかし慣れてしまえば別段不自由するわけでもない。地元や取引先に消費出来ないのは少し気後れするが、セルフ以外でカードが使えれば何処でも入れられてしまう。こうなると、価格の安い所に引きつけられるのは自然の成り行きなのである。

10月13日(MON)

曇り〜雨〜晴れ。夕方より強風になる。
 『Happy Monday』
 たった今、PRINCEの『Le'ts Go Crazy』がラジヲから流れたのである。出だしのイントロとMCでは不覚にも『1999』と勘違いしてしまった。それ程、あの名盤から私の耳は遠ざかっているのであろう。

 今日は死語になりつつある“Happy Monday”。いわゆる昔?、長いこと10月10日に定められていた“体育の日”と呼ばれていた祝日である。しかし、この日が月曜日に移行しまだ何年も経たないのに、「今日は何の日だったっけ?」と言われるくらい“体育の日”とは縁遠い日と成り果ててしまったような気がするのは、私だけか?。
 実は夕方、娘に『今日は何の日?』と聞かれ、思わず「体育の日」と答えなくて良かった。と、しみじみ思った。そう何を隠そう、今日10月13日は、彼女の21回目の誕生日だったのである。だからと言うわけでもないが、家族全員でおよそ5年振り以上に出掛け、夕食を食べて帰った。我が家にとってもささやかな“Happy Monday”となったのは言うまでもない。


10月12日(SUN)

雨〜曇り〜一時晴れ間〜夜間は晴れ。
 『祭りのあと』
 コスモス祭りの主催者として、イベント総括をまかされていたのは、もう遠い過去の印象である。 あれから何年が経ったのだろう。
 そして現在は、主催者本部テントからは随分と遠巻きに後輩達の活躍ぶりを見ているだけ。
S田部長はじめ執行部役員達にに労いの声を掛けるが、彼らの積み上げてきた企画に対し意見はまったくない。ただ、自分がかつて通り過ぎた一時期を、彼らの活躍する姿に自分自身をダブらせて懐かしむのみである。
 既に4年の月日が流れ過ぎたのである。

10月9日(THU)

晴れ。午後から気温上昇。
 『体力の消耗戦』
 ほんの僅かばかりの仕事の入札が久し振りに行われた。地元二社と群馬嫌最王手?のA社が見積もりを合わせ、私の予想通り、地元には納税していないはずのA社が大差で落札していってしまった。
 ある程度は予想していたし、それを下回る金額で勝負しようとも思わなかったので、さほどのショックはないが、現実をまざまざと見せつけられ、どことなく虚しさを感じてしまった。地元から優先して採用された職員達に、何の苦もなく?当然だが事務的に「ご苦労様でした」と言われたのもショックだったが、自由社会・自由競争、そして体力の消耗戦の一端を垣間見た朝の一時であった。

10月8日(WED)

曇り。朝は何となく寒い。


  『週末紀行〜秋の浅間高原 その2』

 『午前8時前の浅間山』
 アラームを5時に2回も掛けたにも関わらず、全く気がつく事はなかった。目が覚めると午前7時30分を少し廻ったところであり、勝手に「曇っているなぁ」と思いこみながらも、東の雨戸を開けてみると、外一面が黄色とオレンジ色の世界。・・・・やはり紅葉が始まっている。
 朝日は既に昇りきっていたが、真上から西にかけては鮮やかなスカイブルーが広がっている。・・・・見事な秋空に鱗雲。
 慌てて顔を洗い歯磨きをして、浅間山の麓「六里ヶ原」へ行ってみる。遅く起きた午前8時前とはいえ、この浅間山の麓には“単独おじさんライダー”やら結構な熟年カップル、早出の観光バスの客、レストランのウェイトレス?等、数人が見られる。さすがに、浅間山を独占状態と云う訳にはいかなかったのだが、じっくりと青空をバックに従えた、爽快な浅間山と流れ来る真っ白い雲を暫し眺めていた。・・・・150円の缶コーヒーを飲みながら、嗚呼、何故5時じゃないのかとも嘆いてみるが。

 『午前9時前の魚止めの滝』

 初めからこの場所へは来ようとは思っていたのである。確か滝の回りが、素晴らしく紅葉しているような気がしたからである。
 相変わらず急な坂道を一人歩いて下りてみる。さすがにこの場所には人がいない。(人がいないのが実はいいのだが。)何気なく熊が出そうな気がしないでもない。
 滝の中央まで降りてみる。・・・・・紅葉していない。しょうがないので、リュックをおろし岩に腰掛け、ペットボトルの水を飲み干し、煙草を吸いながら春と全く変わらない景色を眺める。暫くすると私と同じようなおじさんカメラマンが独りで降りて来るので、慌てて三脚を立てファインダーを覗く振りをする。ファインダーを覗くと見慣れたこの滝も、相変わらずの勇姿を見せてくれる。・・・・・・この滝はやはり素晴らしいのだ。

 『正午からのペンキ塗り』
 やはりベランダのペンキを塗るのは1年がかりである。この前(8月?)に来たときは日中のあまりの暑さにめげ、結局何も出来なかったのだ。さびを削り取り、ジョイフル本田で買ってきた錆止めを塗りおえる。「オォー我ながらいい出来映え」と、一休みをし錆止めの使用法を見ると“乾燥に夏期3時間以上”と書いてあった。・・・しまった。これではペンキを塗る時間が無い。
 しょうがないので乾燥を待たずに強引にホワイトグリーンのペンキを塗り始める。結局、全てが終わらずに帰宅の徒につくのである。

0月5日(SUN)

浅間山付近は素晴らしい快晴。

 『週末紀行〜秋の浅間高原』

 『夕暮れの峠道』
 榛名町を過ぎ倉淵村にさしかかる頃には、山と空との区別がまるで付かない暗闇に包まれたのである。
 そもそも土曜日の夕方と云うこともあり、本庄〜高崎〜榛名と結構な車の量であったが、相変わらずにセブンイレブンを過ぎ、権田交差点を左折する頃には、峠を登る車は殆どいなかった。辛うじて峠を下る対向車が程良い間隔ですれ違うので、さほど寂しさも味わうことなく二度上がり峠を駆け上ったのである。

 『素晴らしい夜景』
 出発したときは、あれ程の素晴らしい秋晴れだったのに、何故か榛名町付近から雨が落ちてきた。しかし程良くコーナーを濡らした雨は、高速で駆け上ってゆく私の車のスピードを緩めさせる程のものではなかった。この峠は「はまゆう山荘」を越えてからは慣れないと結構ハードだが、夜道の方が対向車線のヘッドライトでコーナーが走りやすい。そして普段は素晴らしい景色も真っ暗闇で、余計に運転だけに集中できるのかも知れない。そして知らぬ間に頂上へ・・・・・ほんの僅かだが、真っ暗闇な山と山の隙間から素晴らしい高崎の夜景が望めたのである。

  『寂しさ、虚しさ、そして寒い夜』
 この時期に山の中で一晩過ごすのは心細いものである。40歳も半ばなので、さすがに“恐い”という程の感情でもないが、やはり寂しい気がするのは確かだ。
 40分程風呂を沸かしている内に、ダイマルヤで買い求めた缶ビールと発泡酒、セーブオンで買った430円の唐揚げ弁当で夕飯にありつく。静まりかえった山中でテレビも無く、感度の悪いラジヲをNHKの落語を聞いているのだが、ちっとも面白くもない。ビールを2本空け、弁当も食べ終わると、もう何もする事はなく、どちらかというと虚しいと言う思いで、ほんの僅かだが眠りにつく。が、今度は虚しさに加え、あまりの寒さで目が覚めてしまう。
 電気コタツに潜っていたのだが、肩だけが異常に寒いのである。時計を見るとまだ9時前なので、沸かした風呂に入り本屋で買ってきた“DIME”と“週刊ポスト”を見ながら眠りを待つが一向に眠れそうもない。・・・・・・・・・まだ10時前。携帯のアラームは午前5時に合わせたので、あと何時間こんな時間を過ごすのだろうか?結局午前2時まで眠りにはつけなかったのである。

10月4日(SAT)

秋晴れ。実に爽快である。
 『H人会?青年部会』
 先日、熊谷H人会青年部の理事会とやらがF谷の駅前『一力本店』で開催された。議論に値するような議事はまるでなく、終わってから、何の為?と正直思ってしまった。まぁ会費無しでビール2杯と焼酎の水割りでご馳走を戴き、私の帰りを待っていたかのように電車がやってきたので帰宅するのである。
 しかしこの団体をローマ字で隠すと、H人会とは・・・・・・・・・・。