2月26日(THU)

とても温暖な昼間とは違い、夕方から猛烈な寒さになる。
 『27年前のアルバムがようやく届いた』
 Amazon.comからようやく届いたNoel-Poiterの『PHANTZIA』を聞いている。
 1977年発売(今から27年前、私が18歳の時か?)であるから、この手の音楽はまだ”フュージョン”とは呼ばず“クロスオーバー”などと呼んでいたはずである。
 CDを初めて自分の手にしクレジットを眺めて見ると、そこにはDave Grusin・Earl Klughらの作者たちと、当時は相当若かったはずのWill Lee・Steve Gadd・Ralf MacDonald・Lee Ritonourらの文字が当然のように並べられている。血気盛んだった私が何故、ROCKやSOULだけにとどまらず、こんな音楽に惹かれたのかは深い疑問でもある。

2月23日(MON)

晴れ。昨夜からとてつもない強風。
 『死ぬまで生きる』

 沖縄出身の「ビギン」の唄がラジヲから流れている。初めて聴く曲であるが、沖縄の楽器にを基調とし、歌詞もメロディも当然といえば当然なのだが、実にOKINAWAチックな音楽であり、じっくり聞くとボーカルの人柄と心が伝わるようで、涙がこぼれないでもない風である。

 私の亡父の従兄弟に当たる女性が土曜日に亡くなった。
 土曜の夕方挨拶に行き、日曜日に本通夜に参列し、今日葬儀と告別式が執り行われた。今朝までは、本通夜のみ参列し、葬儀と告別式・出棺・荼毘の参列は母親に任せようと考えていたのだが、何故か夕べのお坊さんの「“生きる”と言うことは、死ぬまで生きる事、生きぬくこと・・・・」説法を思いだし、急遽告別式まで時間の許す限り参列する気になった。「ただ顔を出せば良いんだ」と不埒に思いがちな気持ちを、夕べの説法で有り難く純真な気持を思い出させて頂いたのである。

2月19日(THU)

晴れ。朝は寒いが、昼間は暖房がいらないほどの気温になる。
 『新三種の神器』
 昨日のニュースで、日本のGDPとやらが実質7%(昨年比)増が見込めそうと報道していた。新三種の神器と言われている、デジタル家電関係の中国向け輸出が凄まじいらしい。どおりで隣の会社がここ数ヶ月、24時間稼働で忙しそうなわけだ。(嗚呼、羨ましい限り・・・・。)
 私の仕事みたいに、いくらデジタルを使用していても、出来上がる製品がアナログだけでは、恐らくマイナス成長に歯止めはかけられないのであろう。
 
 しかし、神三種の神器とは『プラズマテレビ』・『デジタルカメラ』・『携帯電話』の事を指すものであろうか?もしそうだとしたら、三つのうち私は『携帯電話』ひとつしか持っていない事になる。しかも写真と撮れない・・・・・・・。知らず知らずのうちに、すっかり乗り遅れてしまっているのであろうか。
 

2月17日(TUE)

朝寝坊をしたので、何故かとても暖かく感じた。
 『大先輩』
 そんな余裕はないはずなのに、PM7時からのLIONS-CLUB例会に出席した。
 何となく固定席となった高校の先輩、T田さんの斜め前に座る。隣は相変わらず席を一つおき、昨年議員に初当選したS原さん。知らない人には笑われるかも知れないが、幹事の開会宣言のあと、開会のゴング(まるでボクシングの始まりのようである。しかしあれほど高音ではないのだが)
 国歌“君が代”(何故か高揚します)斉唱。“LIONS HIM”斉唱。会長挨拶。と、毎回判を押したように続く。食事はメンバーS家のハンバーグ弁当。小エビ姿フライ・チーズがのっているハンバーグ・中華風春雨サラダ・味キュウリ・たくあん・マグロのずけ?にごま塩かけご飯。

 このマグロのずけ?イタリヤ料理?ではカルパッチョとでも言うのだろうか、実は私の好物のひとつである。出汁醤油とごまラー油(推測だが)に浸けられたこのマグロ、私も初めはコンニャクの煮付けと勘違いしたのだが、
 隣のT田先輩の食べ終わってから「何だこりゃ?」に・・・・。
 私・・・・「マグロですよ。マグロのヅケ。」
 T田先輩「俺はダイコンかと思った。」
  
 60歳も過ぎ、タバコもゴルフもやめる頃には、ダイコンもマグロも分からなくなる程味覚が鈍ってしまうのか?冗談はともかく、弁当を作ってきたT計さんに聞こえはしないかと気が気ではなかった。箸袋の店の名前も見えないのか、気にならないのか・・・・・。さすが、いい時代を生きた62歳。

2月16日(MON)

朝〜午前中は強風。
 『文字にして眺める歌』

 恋人よ 僕は旅立つ 東へと 向う列車で
 はなやいだ街で 君への贈りもの 探す 探すつもりだ
 いいえ あなた私は 欲しいものはないのよ
 ただ 都会の絵の具に 染まらないで帰って 染まらないで帰って

 恋人よ 半年が過ぎ 逢えないが 泣かないでくれ
 都会で流行の 指輪を送るよ 君に 君に似合うはずだ
 いいえ 星のダイヤも 海に眠る真珠も
 きっと あなたのキスほど きらめくはずないもの きらめくはずないもの

 恋人よ いまも素顔で 口紅も つけないままか
 見間違うような スーツ着たぼくの 写真 写真を見てくれ
 いいえ 草にねころぶ あなたが好きだったの
 でも 木枯しのビル街 からだに気をつけてね からだに気をつけてね

 恋人よ 君を忘れて 変わってく ぼくを許して
 毎日 愉快に過ごす街角 ぼくは ぼくは帰れない
 あなた 最後のわがまま 贈りものを ねだるわ 
 ねえ 涙拭く 木綿のハンカチーフ下さい ハンカチーフ下さい

 松本先生の作品で「赤いスィートピィー」(松田聖子)と並ぶ代表作に「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)がある。
 一番の歌詞からテンポよくSTORYが展開し、最後の泣かせどころの「贈りものを ねだるわ ねぇ涙拭く 木綿の〜」まで、この短い楽曲の中で、男の不埒な心変わり、そして女の一途な思い・・・・・と、これほどに切に表現されている。さすが松本大先生ならではの詩である。
 しかし、実は、何故かこの時期(2月)になると思い出されるのは、多分松本先生作品ではないと思われる、太田裕美の「雨だれ」なのである。

2月15日(SUN)

晴れ。強風で寒く感じる。
 『住めば都・・・・も、あと幾日?』

 11月30日より今の借り住まいに住み始め、2ヶ月半が過ぎる。
 初めの一週間程は、慣れない生活から身の置き場がなく、落ち着かない状況であったが、「住めば都」とよく言ったもので、随分と慣れてきたような気がする。(しかし、猫か子犬ほどと思われる程のネズミ?の運動会には、今でもびっくりさせられるのだが・・・・・)
そして、
 何と築100年を越えるという、仮の我が家は、偶然にも現在建築中の家と造りが一致する所がある。それは梁を全部出した構造や、半分梁を出した、「半あらわし梁」が随所にある所だ。100年たっても木造建築の構造デザイン?はあまり変わらないと言うことらしい。

2月14日(SAT)

晴れ。かなり温暖と思われるが・・・。
 『Noel-PoiterとJust Once』
 13日の次の日だから14日と言うことになる。いわゆるバレンタイン・デイと言う日に違いない。

 今週、Amazon.comでNoel-Pointerの『Phantazia』(1,262円)と、送料を無料にする為、アナログ盤で全曲を持っていると思われるQuincy-Jhonesの『LOVE-Q?』なるBest盤を1,364円で購入した。新譜ではないが実に安い。送料無料で代引き手数料を合わせても、3,000円ちょっとの買い物である。同じ商品をTower-Recordで送ってもらうと実に4,000円以上かかり、その差1,000円以上となる。この差はいったい何なのだろう?
 Noel-Pointerは昔、何度となく聞かされたミュージシャンで、ある一曲が私の頭から離れないでいる。しかし残念ながら、視聴をした限りそのお目当ての曲は入っていない。(アルバムが違うのかなぁ)
 Quincy-Jhonesは、最近12ch(テレビ東京)の深夜番組の終わりに流れる『Just Once』(James Inguram)が、その番組を見終わるたびに感激させられるのである。
 私もすっかり懐メロ親父になってしまったようである。

2月13日(FRI)

晴れ。まぁ暖かくなる。
 『鳥インフルエンザではないが・・・・』

 13日の金曜日である。しかし、大安である。これが仏滅だとしたら、それは気分の悪い一日であったろう。
 私の体は大丈夫なのだが、昨日PCがウィルスに感染したしまった。I-netを接続すると設定したはずのYahoo-Japanがホームで表れずに、何度設定し直しても、怪しいHPに接続されてしまう。何やら悪いプログラムが組み込まれてしまったようである。
 いけないHサイトへ足を踏み入れてしまったせいだろうか?

2月7日(SAT)

晴れ。少し寒い。
 『合併』

 スモーキーロビンソンの「Being With You」がI-netのラジヲから流れている。スモーキーロビンソンはミラクルズのボーカリストだったっけ?はっきりと思い出せない。

 住民の大半が本気であまり関心を寄せていないが、私が住むこの町も、順調に運べば後11ヶ月で市町村合併し“新市”となる。地方自治体の財政が破たんし、苦肉の策?で合併をするようでもある。正直なところ、私には合併の善し悪しの判断が付かないでいる。しかし、クレバーな寄居町はその事にかなり慎重になり始めている。国、地方自治体も本当は住民がよく理解できないうちに合併してしまいたいのであろうか?

2月6日(FRI)

晴れ。今朝は寒かった。
 『夢を実現させる(Shall We Dance)』

 物事にあまりに熱中し、ついには“それ”を職業にしてしまう人がいる。たとえばプロスポーツ選手、プロカメラマン、プロミュージシャン、ダンサー、政治家などがそれであろうか。職業を選択する上で理想的な形なのかも知れない。しかし、残念ながら私の身近なところでは、地方政治家位のもので、その類の人達はいないと思われる。

 「Shall We Dance」と言う映画を数日前TVで観た。役所こうじ?と竹中尚人が出演していたコメディタッチの映画である。私はこの映画を見るたびに必ず、お得意先のダンススクールの先生を思い出してしまう。この先生、普段はパジャマみたいな、よれよれのジャージ(私たちより年輩の中年親父がよく着ている冴えないもの)を着て、どうひいき目に見ても、とてもダンスなどしているようには見えない。しかしこの先生、一転練習スタジオ(ホール?)に入ると、真っ白な胸の開いたシャツに黒いパンツで、背筋はピント伸ばし、軽やかで華麗なステップを踏む出す。この変貌ぶりは、とてもおかしくもあり、スタジオへ行くと必ず映画「Shall We Dance」を思いだし、失礼ながら笑いをこらえるのである。
 恐らくこのダンススクールの先生、若い時から社交ダンスに夢中になり、みんなが羨む“夢”を実現させた数少ない人であるに違いないのである。

2月5日(THU)

晴れ。夕方から結構な寒さ。
 『明日は金曜日』

 何と、もう木曜日になってしまい、当然の事だが明日は金曜日である。
今週は何をしたのか?と思うほど、今週は何もしていないような気もする。まるで時間だけに流されているようでもある。『いい年こいて、こんな事ではいけない!』。と思いながら念入りに付け始めたスケジュール帳を眺めてみると、予定だけは何とかこなしているものの、とてもHARD-WORKとは言えないのが実は寂しいのである。やはり追い、追われ、予定を忘れてしまうほどの生活が、私には丁度いいのかも知れない。

2月4日(WED)

久しぶりに感じた?見事な晴れ間。

 『バーブラ・ストライザンドの思い出』

 コモドアーズのボーカリストだった、ライオネルリッチーの『ALL NIGHT LONG』?がBoomer-Radioから流れている。彼をそれほどに好きな方ではなかったが、それくらいは分かる。

 世間の人より限りなく少ないと思われる(・・・たぶん指折り数えられるかも知れない程に・・・)映画鑑賞歴の中で、思い出深い映画がある。バーブラ・ストライザンドの『スター誕生』である。そもそも数が少ないのだから、全てが思い出深いのであるが・・・・・・。

 若き18歳の時、デートらしき事で新宿伊勢丹裏の映画館へ入った。別に『スター誕生』が観たかったわけではないが、多分矢沢永吉の掲げる、宗教と化した「STAR」と言う文句に触発されたからと思われるが、とにかく観たのである。案の定、映画に慣れていない私は、それは大きなスクリーンに見にくい字幕のせいでストーリーは殆ど分からなかった。

 忘れられない想いではここからで、映画館から出てコーヒーか軽食でも(当時はお食事など出来なかったのである。)と思い二人で歩んでいた時、通りすがりの見も知らずの男が私に歩み寄りわざわざ『ブスな女』と大変失礼なことを言ってしまったのである。それが聞こえてしまった彼女は少し「ムッ」としたような表情となり、それをマジマジと見ると、ふくれっ面の顔が私にも確かに「ブス」に見えてきてしまったのである。まだ若く、人の意見に流されがちな私はその一件があり、彼女とはすぐに決別する結果となってしまった。

 そして数年後、街で偶然に出会った彼女は社会人となり、誰が見ても女らしい美人になり、すっかり私は見返されてしまったものである。その時、彼女との交際を知らない友人が『きれいな女だなぁ』と言ったのが、うれしくもあり忘れられないのである。
 『スター誕生』は、バーブラ・ストライザンドのテーマソングと共に、秘めた思い出のある映画の一つなのである。

2月3日(TUE)

曇りだが朝から暖かい。
 『ジャネットジャクソン』

 何事も許される自由の国アメリカは、以外にもあんな事には厳しいものである。
 国民的スポーツ、スーパーボールのハーフタイムショウトやらで、ジャネットジャクソン(探せば一枚ぐらいのアルバムはあるかもしれんが決してファンではない。)が歌っている途中で垂れたオッパイがポロリと露出したと、大問題になっているらしい。何故??もうジャネットが若くはないからだろうか?

2月2日(MON)

曇り?雨?
 『何年目?の野球チーム』

 久しぶりにBOOMER-RADIOの『SWEET-SOUL-MUSIC』を聞いている。ブラザーズ・ジョンソンの『ストロベリー・レター23』(どういう意味だ?)がルイスの心地よいチョッパーベースにのせて流れている。この心地よさといったら、若造には(おじさんでなければ)わからんだろうなぁ。

 昨日はすっかり恒例となった、私が四半世紀在籍している我が野球チームのボーリング大会と新年会があった。「もうボーリングはいいよ。新年会には寸志を包んで出るから。」と幹事のO塚に強く言ったのに、律儀?な彼はわざわざ迎えまでをよこし、結局両方とも参加する事となった。
 ボーリングは108、144と持ち前の実力?で5位となり、賞品も持ち前の運の悪さで何も当たらなかった。しょうがないので7時前には、助監督M田と退席しようと思っていたのだが、生ビール1杯と、久々の「焼酎お湯割り+梅」を2杯頂いて代行を頼み帰宅したのである。
 その後、若い奴らはどこまで行った事やら・・・・。しかし私のチームのメンバーは皆、チームカラーに染まると言うか、そういうメンバーが集まると言うか、皆、どちらかというと、おとなしいまじめな連中ばかりだなぁ。肝心なところで勝てないのは正にチームカラーなのかもしれない。

1月30日(FRI)

朝一時曇るが、のち晴れ。さほど寒くはない。
 
 この異常な眠さは何だろう。悪い病気でもなければよいのだが・・・・・。
毎日数度異常に眠くなる。午前中11時前後に1回。身体が要求していると思い、昼飯を食べ10分〜15分程度うたた寝、時には爆睡。そして昼寝をしたのにも関わらず午後からもう一度。夜、BEDに入るときは不思議にその眠さは全くない。しかし不眠症というわけでもなくすぐに眠りにつく。
 こんな事が数ヶ月と続くが、いよいよ私の体内時計がいかれてて来たのだろうか。
 考えてみれば知らず知らずのうち、私は仕事の大半でPCの前に向かって居る。私のPCに眠くなさせるソフトでも組み込まれたのであろうか。

1月28日(WED)

朝はやはり寒い。昼間は気温が少し上がる。
 『嘆き』

 大阪で起こった、実の親とその愛人による子供への虐待(殺人未遂)。
 全国の大学?病院で限りなく起こっているらしい、補助金の(不正受給)。
 九州選出代議士の学歴詐称問題・・・そんな馬鹿らしい事で、代議士本人がわざわざ米国まで真意を確かめに行き、アホみたいに地元で泣きながら弁明演説をする(詐称罪?)。
 生産者の気持ち分からないでもないが、半年前の卵を、あたかも昨日採れたような表示で大量に販売する。(食品の不正表示)
 私にとっては視聴率などどちらでもよいのだが、日本テレビによる視聴率不正操作。
 何故かあまり騒がれなかったが、元代議士による少女(買春事件)。
 良くあることなのだろうが、県会議員が公費を使っての海外夜遊び事件。
 誰もが知っているのに、改められないエリート官僚達の不当天下り。
 全国で毎年争って騒ぎを起こす、ガキ達の成人式。
 訳の分からない子供の拉致事件。
 もっと訳の分からない通り魔事件。
 金に困った中年女による、郵便局強盗。
 一年前から決まっていたという、自衛隊のイラク参戦。
 払った分だけは決してもらうことが出来ない仕組みになっている年金問題。

 めちゃくちゃな時代だなぁ。
 『AIDS』も『SARS』も『BSD』も『鳥インフルエンザ』も、あまりに秩序のない『ヒト』に対する神の制裁なのかも知れない。

1月25日(MON)

晴れ。週初め相変わらず氷が張るのである。

 『真冬の週末紀行』

 それにしても目覚まし時計無しでもAM4時15分に起きられるのは、我ながら実に不思議な事である。
 しかも睡眠時間4時間30分。年に1度あるかの二日酔い。氷点下の気温。これだけの条件が整いながら、このうえなく目覚めの良い朝である。

 AM5時・・・・・真っ暗闇の岡部を出発する。(途中本庄のローソンでミネラルウォーターとローソンオリジナル98円コーヒー、パンを二個、ガムと飴を買う。)
 高崎〜18号を走り安中、松井田、碓井バイパスを駈け上がる。

 AM6時20分・・・・・碓井バイパス最上部のパーキング付近で霧氷を探す。東の空からかすかにオレンジ色の光が差し出す。山肌を南西方向?からガスがゆっくりと流れ、予想通り?水気が樹木に満遍なく絡みつき、徐々に霧氷が付きだした。この霧氷、光が差し出すとたちまち消え失せてしまい、何とも貴重な代物には違いない。
 バイパス沿いで、あまり条件の良い場所ではなかったが、暫し真冬の自然行為を眺める。

 AM7時過ぎ・・・・・中軽井沢〜峠の茶屋を駆け上る。途中、真っ青な空の下、真っ白になっている、これぞ浅間山を、六里ヶ原の下方?から眺めてみる。気温も−4℃で実に良い天気である。

 AM8時・・・・・北軽井沢を抜け、大笹街道を3週間前に訪れた嬬恋村の『キャベツの丘』?へ向かう。あれ程の好天・青空も、嬬恋高原パルコールゴルフ場を左折し、パノラマラインに入ると、雪がチラホラと舞い出し『キャベツの丘』に到着する頃には弱い地吹雪?となってしまった。しかし、丘は3週間前の雪の量からはるかに増えており、「これで青空が望めたら最高なのになぁ」とつぶやいてみる。・・・・丘の頂上をキツネ?らしき動物が2匹駆け抜けていった。

 
 AM10時頃か?・・・・・北軽井沢のセーブオンで88円の肉まんと、飲み尽くしてしまったミネラルウォーターを補給する。県道54号線?を二度上がり峠方面に向かい、久し振りに『浅間大滝』で凍てついた滝と薄氷を暫し眺める。

 帰路に就きPM1時過ぎには、無事帰宅するのである。
 私にとって有意義な真冬の午前中であったには違いない。

1月24日(SUN)

岡部〜軽井沢〜北軽井沢までは晴れ。嬬恋キャベツ畑は雪。倉淵村山岳部で雪。後は晴れ一時曇り。
 『酔っぱらい』
 昨夜は久し振りに酔っぱらった。紹興酒をおよそ四人で四本も飲んだからである。
まぁこんな夜も、1年に一度あるかないかの出来事だから良しとしておこう。
 2年前のL−CLUBで三役を共にし、すっかり親交を深めたO野氏夫妻・M下氏夫妻、特別参加のK村夫妻と私の所合わせて8名で深谷の松原亭へ繰り出した。4,000円で予約した中華料理を囲みエビスビールで乾杯。すぐに紹興酒に切り替え、飲むは飲むは、食べるは食べるは・・・・・。午後9時で店を追い出され、帰りにスナック「A」で今度は歌うは、歌うは・・・・・。PM11時を過ぎ帰路に就く頃はすっかり酔っぱらってしまった。久し振りに気持ち悪くなり、寒いベッドへ直行したのであった。
  そして、本当に不思議な事にAM4時15分に飛び起きれるのである。

1月22日(THU)

晴れているが、とても寒い。
 『日の丸』
 自衛隊が戦後初めて?戦地?へ赴いた。
 如何にも今回のために作ったような、それはそれは汚れの知らない迷彩服を着て、同じく新品の軽装甲車(これは実にかっこいい)に乗り小銃を携える。間違いなく初めての経験である自衛隊員も、緊張の色は隠せずに初々しく(弱々しく?)も見えるが、あのような場所であのような格好をしているだけで、何故か勇ましくも見えるのは私だけであろうか。
 ようやく我が日本も、『国際貢献』が出来る日が来たのである。形ばかりの『ショウ・ザ・フラッグ』ではなく、今回は間違いなく上陸してしまったのである。

1月21日(WED)

朝は曇り。のち晴れ。日中ようやく暖房を切れる位の陽気。
 『悪口・・・・・ とうとう言ってしまった。
 数日寒さも緩んだが、明日からまた寒さが戻ってくるようである。
完全に正月気分も無くなり(もともと無かったか?)気分的には2月を迎えた(迎えたい)気持ちの方が強い。シーズンオフとなっていた私の野球チームも、2月1日に新年会を兼ねたボーリング大会を開き、いよいよ球春近し?で、私の立場は今シーズンはどうなってしまうのだろう?。助監督は相変わらずお調子者?で、言い訳ばかり並べやがって監督を引き受けないし、「今年だけは、今年だけは・・・・・・。」と何年言ったことやら・・・・・。近日中に私の所に来ると言うが、なんて言い訳するのやら。ホンマニかなわン。

1月14日(WED)

晴れ。昼間でもあまり気温が上がらない。
 『一度食べておいた方がよいもの』
 アメリカのBSE(狂牛病?)騒ぎで、「吉野家から牛丼が無くなってしまうかも知れない。」と思っていたら、今度は他国の出来事と思われていた『鳥インフルエンザ』なるものが日本で発生してしまった。さぁこれから鶏肉も、卵も数年前の牛肉のように敬遠されてしまうのだろうか?。私の大嫌いな川魚も『鯉ヘルペス』などと訳の分からぬ病気が蔓延したし、いよいよ『ヒト』が食べるものまで制約され、食肉で一番安全で偉いのは今のところ『豚』だけ?と言うことになってしまう。『豚』までが何かに犯されたなら、日本中が否応なしにベジタリアンで溢れる日が来るかも知れない。
 今のところ、焼き肉で『カシラ』が好きでよかった。そして本当は、吉野家の旨い牛丼も一度食べておかなければいけないかも知れない。

1月13日(TUE)

晴れ。結構な寒さ。
 『正しい選択』
 犬の散歩と、自分の散歩の為に毛糸の手袋を買ってしまった。「コメリ」で460円もする買い物であったが、190円の伸び伸び手袋にしようか、690円のウエットスーツと同素材の頑丈手袋にしようか随分と迷った挙げ句、中をとって460円の毛糸の手袋と相成ったのである。早速手袋をはめて犬の散歩をしてやると、これがなかなか優れ物。毛糸の裏地に、何だか分からないが肌色をした、とても暖かい素材が組み込まれておりそれは暖かである。これで氷点下15℃の世界でも手だけは耐えられれそうな気がする。
 迷いに迷った挙げ句の、『我ながら正しい選択をした。』と密かに密かに思うのである。

1月12日(MON)

晴れ。東京では初氷が張ると報道されるが、わりと暖かく感じた。
 『申』
 気まぐれで桐生の町を散策に出掛けてみたが、そのまま桐生を通り越し、大間々町を抜け、日光まで後20キロ程の足尾まで行ってしまった。
 一度来たことがある松木渓谷入り口まで行ってみたのだが、足尾の町はやはりイメージ通り、お年寄りが多く歩いているのをよく見かけたのである。
 そして今日一番感動させられたのが、足尾の町を闊歩するサルである。我が物顔で住宅街を歩いているサルは、乳母車を押したお年寄りが歩くほんの数十歩前を平然と歩いており、妙に町並みにマッチして見えたものである。そして帰り道、足尾の町を抜けたところでも、数十匹のサルたちが自動車道路を行進?しているところに出くわした。そう言えば先日、倉淵村でも道路上に佇むサルを見かけたし、正月早々友人M氏も、サルの写真を大量に撮影し、『入浴中のサル』の写真をメールで送ってきた。年賀状もイラストの大半が猿ずくめだし、今年ほど干支の『申年』を感じさせられた年はないのである。

1月11日(SUN)

晴れ。寒いが昨日ほどでない。
 『日曜の朝』
 昨夜観たDVDのタイトルが思い出せない。イヤ、実は借りていた時から分からなかったのである。ニコラス・ケイジの戦争物の映画であったが、約一時間ほど観て大筋が掴めずに、居眠り状態に陥った。AM1時に気がついたときには、まだ冒頭と変わりのない戦闘シーンで、リモコンのOFFスイッチに手が伸びたのである。返却日は昨日だったので、午前8時前には無人返却BOXに投げ込んでしまった。二度とこの映画に対面することは無いであろう。

1月9日(FRI)

昨日から特に寒い。
 『発想』
 「店を見ていたら突然思いついた。」
 私の住むところにはないが、ディスカウントの『ドンキホーテ』に青酸カリを送りつけ、5000万円を脅迫した62歳老人の逮捕された時の言い訳である。還暦を過ぎた男が実に面白い事を思いつくものだ。思わず手帳に書き留めてしまった。言い訳というか、発想とはいろいろな発想があるものだが、私にもこんな発想が浮かばない事を祈るばかりである。

1月7日(WED)

寒いが天気はよい。

 『セコいんだよ。』
 平日にも関わらず、二日続けて酒を飲んだ。私にしては珍しい出来事である。
月曜日は平均年齢推定65歳?以上の隣組新年会で、ビールと日本酒を頂く。私が家長となり16回参加?しているこの新年会では、皆、結構な年配となり酒量も随分と減り、逆に酒の弱い私が二番目か三番目のいける口となったようである。この会では関脇クラスと言うところであろうか。
 火曜日は平均年齢推定55歳?LIONS−CLUBの新年会で、BEERとウーロンハイを頂く。11回参加?しているこの新年会では、気の利かないコンパ女ォンが遠路、飯能からお酌をしにやって来た。まぁ私にはどちらでも良いのだが、小金を稼ぐのには手っ取り早いのだろう。しかしこんな時は女は得だ。と思う私はセコい証拠だろうか?

1月4日(SUN)

相変わらず温暖。AM5時30分に起きても寒くはない。
 『2004週末紀行 その1(その2はあるのか?)』
 AM5時30分・・・・・早寝をした訳ではないのだが、アラームが鳴る前に不思議と起床できる。何故?目覚めるのだろう?。全く寒さは感じない。(股引が見つからず、取りあえず出来うる防寒着を用意し出発。)

 AM5時45分・・・・・事務所に着くと、私を待っていた愛犬『PRINCE』が散歩をねだるので散歩してやる。車から2ヶ月ぶりにカメラリュックと三脚を取り出していると、パジェロらしい車のヘッドランプが見える。M木M彦氏迎えにきてくれる。実に有り難い。

 AM6時・・・・・・・・・岡部を出発。国道17号を走り本庄のファミリーマート?で、ドリンク2本と朝食用パン2個とガムを購入する。久し振りに眺める朝焼け・・・やはり冬の朝は美しいのだ。 高崎から国道18号を松井田を抜け、碓井バイパスへ。朝日を浴びた妙義山がやけに美しい。

 AM7時30分・・・・・軽井沢へ入る前、峠の樹氷がとても美しかった。が、先を急いだので見ただけで通り過ぎる。本日一番のシャッターチャンスを逃がしたようである。
 軽井沢18号から塩沢湖入り口交差点を右折。新幹線の陸橋を越え、信越線の踏切を渡り、中軽井沢方面へ左折する。すぐに中軽井沢駅前を草津方面へ右折。道路に雪はまるでない。

 AM8時30分頃か?・・・・妻恋村のキャベツ畑の真っ只中。道路に積雪はなく、畑の雪も所々土が見えている。あまりの雪の少なさと、暖かさで、雪景色を期待していた私たちは少々ガッカリする。しかも行きたいと思っていた所は、除雪して無く道路と畑の区別が付かない有り様で雪のはげたキャベツ畑をウロウロしてみる。そして、偶然にもM彦氏の目的としていた、丘の上のカラ松が10本ほど並んでいるポイントを発見。以外にもこの場所は、私が数回訪れている、良く通る場所であった。見る場所と、見るものが違うと、これ程に絵になるものであろうか。深く感心し、2ヶ月ぶりにEOS3をリュックから取り出す。

 AM10時30分頃か?・・・・バラキ湖方面を目指すも、パノラマライン北ルートは雪のため全面通行禁止。しょうがないので、雪の少ない浅間山六里ヶ原へ行ってみる。2ヶ月ぶりに、至近で眺める浅間山は相変わらずに美しいので、EOS3を取り出し、しばし山を眺めてみる。それにしても浅間山の素人さんが、HIP・HOPファッション(ジャージ?パジャマ?)らしき格好してきて、『寒〜い。』なんて言わないでもらいたいものだ。

 AM11時30分頃か?・・・・せっかく二人出来たので、某珈琲工房へ初めて行ってみる。思っていたより、こぢんまりと営んでおり、私が泡の立っているカプチーノ、M彦氏がエスプレッソを2杯飲む。長年行ってみたいと思っていた店も、いざ行ってみると少々イメージとは大きくかけ離れているものだと感じた。
 
 PM12時頃か?・・・・・・・あまりの雪の無さに、走り慣れた二度上がり峠を駈け上がり、倉淵村経由で帰宅の徒につく。途中、天丼+蕎麦で昼食を済ませ、セルフでガソリンを給油し無事に帰宅したのであった。

2004年
1月3日(SAT)

晴れ。実に穏やかな正月。
 『貴重な体験』
 暮れから正月にかけ、実に穏やかな天候が続いている。平穏な一年を表していると良いのだが、嵐の前の静けさでもあるような気がしないでもない。
 大晦日は、生涯あろうかと予想もしなかったNHK『紅白歌合戦』を、母親と家内と私の三人だけで酒を飲みながら、年越しそばを喰いながら、しかも正式な自宅でない場所で観戦した。久し振りに観たコウハクは、さすが合戦らしく出場歌手が真剣に心を込めて熱唱しているかのようにも感じられ感動もしたのである。まぁ、この先何度こんな体験が出来るか分からないが、貴重な体験として心にとどめておこう。

12月31日(WED)

晴れ。少しは寒いが風もなく実に穏やか
 『2003年の終わり』
 12月31日とは思えぬほど、実に穏やかな大晦日だ。
当然2003年が終わろうとして、2004年を迎えようとしている。しかし正月を迎える気分はまるで無く、当然2003年を振り返る気にもならないのである。
 ただ、私が44年間の人生を過ごし、45歳を迎える事が出来るのは間違いなさそうである。 
       ・・・・・有り難い。

12月29日(MON)

晴れ。風もなく穏やかな年末。
 『多分、自分らしい買い物』
 さすがに自分らしい買い物をしてしまった。
7泊8日で借りた『壬生義士伝』を、一週間のうちに3回観て漸く大筋を掴めた私は、ビデヲを返却したその足で、文庫本売場へ向かった。そして大量に積み上げられた「新撰組」に関連の文庫本を片っ端から手に取り、迷いに迷ったあげく、結局総括的にまとめられていると思われた、歴史群像シリーズ『血誠・新撰組』を1,165円で買い求めるのである。
 ・・・・・実に私らしい?。
 

12月28日(SUN)

晴れ。寒いが考えていたほどの寒さでない。

 『上棟式』
 遅ればせながら、それは簡素に、そしてあまりに形ばかりの『上棟式』を行ったのである。
終わった今から思うのは変だが、職人さんに充分な労いが出来たのか?疑わしい限りである。実際はハウスメーカーからの受注であるが、施主である私に昔ながらの対応を心掛ける職人さんに対し、少なからずも私から観ると、不充分な『上棟式』に思えてならないのである。しかし終わってしまったのだからしょうがない。か・・・・・

12月23日(TUE)

晴れ。暖かい一日である。
 『壬生義士伝』
 『壬生義士伝』を観た。DVDが無かったのでVTRを借りてきたのである。
ストリーは全く覚えていない『たそがれ清兵衛』(確か面白かった)よりも数段と楽しい映画であったように思う。、初めは冴えないと思われた、田舎侍吉村(中井貴一)の「死にたくないから人を切る。」の台詞が印象的であり、まぁ俗に言うところの“男は何のために生きるのか”を上手く見せてくれている映画であった。コタツに入り、酒を飲みながら鳥鍋を腹一杯喰って、久し振りに楽しい一夜を過ごしたのである。

12月22日(MON)

晴れ。眩しい日差し。
 『後ろの車の女』
 2003年も残り僅かになったが、何故か気が重い。重要と思われる案件がまだ累積しているからか?とにかく自分に正直に、そして地道に頑張るしかないだろう。

 朝から私の後を走る車の女が気になった。
@深谷バイパスの交差点で信号待ちをしていたら、ルームミラー越しに映る若い女性ドライバーが、それは大きな口を開け歌を歌っている。昨日カラオケに行ったことでも思い出したのか?好きなミュージシャンのCDが大音量で流れているのだろうか?私は信号が青になるのも忘れ、その若い女の子に見入ってしまった。私の娘にだけは注意しなければいけないと思った。

Aコスモス街道セーブオン交差点で信号待ちをしていたら、ルームミラー越しに映る若くもない女性ドライバーが、やはり大きな口を開け自分のルームミラーを覗いている。そして、おもむろに歯ブラシを取り出し歯磨きを始めたではないか。歯医者へ行く途中であろうか?歯磨き好きで習慣になっているのか?私の娘だけには注意しなければいけないと思った。

12月21日(SUN)

晴れ。
 『鎖国政策?が一番』
 我が国の自衛隊?がイラクへ派遣される。戦後の日本史上、年表上では確実に特太ゴシックで記される特筆すべき出来事であるには違いない。日本国のトップである小泉首相も、派遣しなければ人道的にも国際社会の一員としての義理が果たせないし、派遣すればしたで、「日本国憲法で戦争を放棄する」と言う前提項目に抵触する。
 時代の流れとはいえ、いよいよ我が日本も押してもだめ、引いてもだめ、逃げ出せばもっとだめ、という八方塞がり、アリ地獄に陥ったようである。江戸徳川時代の鎖国制度でも持ち出すしか手が無さそうである。

12月19日(FRI)

晴れ。夜から寒くなっている。
 『−6℃〜−9℃』
 夜あまりの寒さに北軽井沢(妻恋村)の天気予報を見てみた。何と明日20日(土)の最高気温が−6℃。最低気温は−9℃。・・・となっていた。一瞬、どちらが最高でどちらが最低なのか分からなくなった。
 私の秘蔵のLPレコードや、お気に入りのCDアルバムは、無事に冬を越せるのであろうか?

12月18日(THU)

晴れ。今年一番の寒さとか。
 『CHAR』
 50歳も間近というのに、何と変わらない格好良さを維持し続けている、おじさんと化した『Char』が最近よくラジヲに出演している。実は昔から大好きなミュージシャンの一人であった。特に初期の「SMOKY」「NAVY BLUE」「SHININ’YOU SHININ’DAY」「気絶するほど悩ましい」(確か阿久ゆう作)「YOU GOT THE MUSIC」「WONDERING AGAIN」(これが私のBEST1か?)「THRILL」等のPOP調の音の方がどちらかというと好きである。TOTOのルカサーと共作したアルバム『U・S・J』までは買い求めたのだが、その後はあまりにもHARD-ROCKと化して私にはついて行けなかったのを思い出した。そのCHARが何故か、ラジヲで多分大きく成長した?子育ての話をしていたのが実に普段通りでまた好感を持てたのである。

12月17日(WED)

曇り〜晴れ。
 『浅間山も白くなった』
 今年も残すところ二週間ばかりとなった。北軽井沢でも遅ればせながら一面雪景色となったようである。それは澄んだ冷たい空気越しに見える浅間山を見れば、もう明らかである。

12月16日(TUE)

晴れ。強風の一日。
 『飲んだ勢いでドーナツを買う人?』
 まぁ朝の、北風の寒いこと。しかし不思議な事に温度計は室内だが11℃であった。
 『さすがに冬らしくなってきたな。』と一応思ってみる。

 少し温めのビール一杯と、紹興酒を数杯飲んでグランドホテルからほろ酔い気分で今帰ってきた。9時19分の電車にも充分に乗れたのだが、何故か一人で駅前のMr.ドーナツのコーヒーを飲みたくなり38分の電車で帰ってくる。ほんの十数分の道草だがたまにはいいのかなぁ。と思う。・・・・・しかしあの時間のMr.ドーナツは、ほろ酔い客が次から次へと家族への罪滅ぼしか?手土産のドーナツを買っていくものである。一人のおじさんなど、飲んだ勢いでドーナツを5000円も買っていったのには驚いた。普通の一家族だけでは流石に異常な量である。明日にはとても食べられないMr.ドーナツをあれ程買うとは、おじさん分かっていないなぁ。しかしMr.店からしてみると特上の客であることに違いはない。

12月12日(FRI)

曇り〜何と暖かい?。
 『順応』
 古い家で新しい生活が始まり2週間になる。早起き生活、早出出勤、朝食抜きも何とかこなし、家内が私の為に作ってくれる昼食の弁当も相変わらず旨い。・・・と感じる。
 大きく大きく変化した生活も、不思議なもので確実に順応してきたのが自身よく分かる。
 すでに2週間経過するのだ。来週と再来週で、本年も凡その仕事を収め、ささやかながら正月の準備をするのであろうか。

2月9日(TUE)

晴れ。寒いのはこれからが本番。
 『更地〜基礎へ』
 何にもなくなった更地の上に基礎の基礎となる?穴を掘り大き目な石が突き固められた。何となく部屋の輪郭が現れたようで一人暗闇で眺める私は、一人で想像を膨らませる事をしないわけにはいかないのである。文章にならないが、とにかく既に更地とは呼べなくなったのである。

2月8日(MON)

晴れ。寒い一日である。
 『月曜の朝とパンク』
 今冬初めて車のフロントガラスに霜が降りた。ウインドゥウォッシャーを吹き付けワイパーをかけても、瞬時にウォッシャーとワイパーで氷の膜を作ってしまう。時間を待てないので、水の勢いでほんの数センチ膜の溶けた部分だけで車を走らせる。すると今度は車の後部でイヤな音がする。一瞬『パンクでは』と思ったが走り始めてしまったのでそのまま走る。走り初めて数分後、私の考えが間違っていなかったのを確信する。
月曜日の朝から、寒いし、パンクはするし、何となく一週間が思いやられる気がした。
 でも、大丈夫。

12月5日(FRI)

晴れ〜曇り。寒いのである。
 『更地』
 久し振りに酒を飲んだ気がした。瓶ビールをコップに3杯?と、ホットウーロンハイを2杯程である。こんな量でも私には丁度良い。仮の我が家には帰らず、会社の事務所へ戻り一人で11時頃まで過ごす。
 二日前まで瓦礫の山と化していた我が家は、既に見事としか言いようのない更地に変身している。愛犬?プリンスをそこで散歩させてやると、少しとまどいながらも、我が家の広さに喜び、飛んで跳ねたような気が一瞬した。

12月2日(TUE)

久々の晴れ。風がなければ沖縄並の気候か?
 『解体2〜瓦礫の山』
 3日前まで寝食を共にしていた家が瓦礫の山と化した。
狭いと感じていた我が家も、敷地一部の全貌があらわになり、『こんなに広かったのか?』と、逆に思えるから不思議である。

 PM9時、12分かけて仮の住まいから歩いて事務所に戻る。犬の散歩をしてやるのと、やりかけの仕事をするのが目的ではある。しかし、本当の隠された目的は、明日には完全に無くなりそうな我が家の側に少しでもいたかったからかも知れない。

12月1日(MON)

曇り〜雨〜また曇り。
 『解体』
 確か、昨日の朝までは、生活感に満ちていた我が家が、ほとんど廃墟と化した。
正直、見るも無惨な光景である。当然ながら部屋の中には何にも残っておらず、玄関ドアやサッシ、建具は取り払われ、屋根と柱と壁を残すのみ。明日には跡形も無くなっているのであろう。  そうだ。犬の散歩をしてやらなければいけない。

11月30日(SUN)

雨〜一時曇り〜雨。
 『引っ越し』
 初めての体験の“お引っ越し”が無事に済んだ。そして、私が物心ついた頃から慣れ親しんだ家が、もぬけの殻となった。夕方私一人が家に残ると、何とも言い難いセンチメンタルな気持ちとなった。『寂しい』?『切ない』?『虚しい』?何て言えばいいのだろう。

11月29日(SAT)

多分今は曇り。
 『能率の悪さ』
 金曜日の深夜と言おうか、正確には土曜日の未明である。
 AM1時10分。今まで仕事をしていた。
 早く済ませる気なら、集中して3時間ほど前には終わっていたはずの仕事量だが、パソコンの前に座って仕事をしているのがそもそもいけないのである。気分転換にI-NETでHPをだらだらと眺めてはチラシ広告を作る。これでは能率が悪い訳である。ちょっとだけ見るつもりが、いつの間にやらNetサーフィン?か・・・・いい歳こいて。
分かってはいるのだが、まるで麻薬中毒患者のように、いつの間にかNetを中を彷徨う。すっかりはまってしまったようである。

11月27日(THU)

曇り。しかしそれ程の寒さは感じない。
 『衝動買いとカウントダウン』
 20数年間、いや40数年間?貯めに貯め込んだ私財?を整理しているのに、タワーレコードでGeorgeBensonの新譜『irreplaceable』とTheBeatlesの『Let It Be・・・・NAKED』の2枚のCDをネットで購入してしまった。しかし、宅配用の封は切ったものの、CDの透明ラッピングは今だそのままである。
 いわゆる衝動買いであり、実のところ買ったCDを聞けるものは、今のところ私の車しかないのである。  どうする?アイフル。

 12月まであと3日、長年住み慣れた我が家に寝られるのは、今日を併せてもたったの3回しかないのである。しかし妙に今年は暖かい。

11月20日(THU)

雨。まるで春雨のような陽気である。
 『大人の会議』
 たった今、熊谷法人会の支部役員会から帰ってきたところである。6時開会であったが、仕事柄とてもその時間には行けないので、遅ればせながら6時30分に会議場へ入る。大凡議事は進行しており、所謂その他の議事にはいるところであった。不思議な事に、この会合の参加メンバーは、男性陣の大半がロータリークラブメンバー、女性陣の殆どがライオンズクラブメンバーの奥方である。・・・・しかし、何故だ?
 好んでおばちゃん?の近くに・・・・ではないが、当然私は女性陣の近くに座るしかないし、席もそこしか空いていない。しかも、残念ながら話も合うのである。
 大人の会議?らしく、終了後、寿司とビールをご馳走になり、まるで春雨のような雨の中を帰宅するのである。