2月28日(金)PART2は午後11時23分。比較的温暖である。 |
『最良の判断』 PM7時から我が野球チーム『KINGS』の執行部会議を開いた。正直のところ私が監督を降り新体制で挑んでもらいたいところだったが、再び熟考した結果、今の状況でM田氏を後任に一切を任せられる状況にないと私なりに判断した。この決断が私にとって、チームにとって、良い判断かどうかは分からないが、いま現在の状況で最良の判断であることは間違いないと信じたいのである。 21名にも膨れあがった在籍メンバーを抱え大所帯になったチーム、責任も重大ではあるが、創立30年になろうとするKINGSを何とか存続させ、導いてやりたいと思うもの離れられない理由なのであろう。 とにかくやるからにはやるだけの事はやってみよう。・・・・と書いておこう。 |
2月28日(金) 晴れ。暖かい一日。 |
『何千万分の一かの?サクセスストーリー』 何と午前12時30分に目覚めてしまった。しかもいつになくスッキリと・・・・・・。 午前3時15分からのNYヤンキース松井の試合が気になったからだろうか?とにかく私にとっては異常である。普段の寝る時間より早く目覚めるなんて・・・・・・・。 それでもスッキリと目覚めてしまったので、午前1時30分には風呂に入り、歯磨きをして、ヒゲを剃る。風呂から上がり小腹が減っていたので、せんべい一枚と、オレンジを1個食べる。間もなく午前3時を迎えBSのMLBの中継を見始めたのであった。 思い起こせば私が最後に東京ドームへ行ったのは、何を隠そう松井のデビュー戦であった。確かあの年は長島がジャイアンツの監督に就任し、長嶋一茂がヤクルトからジャイアンツにトレードされ入団し、松井は7番でスタメン出場であったと記憶している。当時小学生の私の娘と二人で東京ドームの内野席、しかもベンチ上の前から10列目で観戦したものだ。あれからの松井は一年一年着実に成長し、ジャイアンツの4番打者から日本の4番バッターへ、そして今はNYヤンキースのレギュラーポジション捕りへの挑戦をしている。正にサクセスストーリーそのままなのである。 何千万人に一人の素晴らしい才能なのである。 |
2月26日(水) 晴れ。暖かい一日。深夜から風が吹く。 |
『RIDE ON TIME』 『青い〜水平線をォ〜 今、かけぬけて行ゥくゥ〜・・・・・』 RIDE ON TIME。 23年前?に買った山下達郎のシングルレコードである。そして日本POPミュージックの草分け的な存在の曲であろう。確かマクセルのカセットテープのCMに使われ、爆発的にHITし、山下の達ちゃんの顔の不具合をも世間に知らしめてしまった曲でもある。 この曲が日曜日のテレビドラマでBGMとして使われており、何と23年ぶりにヒットチャートに返り咲いたらしい。TVドラマと同じ局で、昼間のTBSラジオから何度となく流されるのは、正直とても懐かしいし、ついついボリュームを上げてしまう。何年もたっても、決して古びることのない曲の一つなのであろう。あの頃もスピーカーの音が割れるほどの大音量で聞いたものだ。 |
2月25日(火) 晴れ?花曇りか?。暖かいような気もするが結構寒い日であった。 |
『春霞の夕暮れ』 夕方花園へ行く時に浅間山を見ると、かすんでいて浅間山どころか児玉の山でさえ見えない。さほど暖かくもないが、何気なく春の気配がしたような気もした。 今朝のラジオニュースで昨日、北朝鮮がミサイルを発射したと報じていた。嗚呼!日本は何とのんびりしているのだろうか。昨日の午後のミサイル発射が、何故昨日の段階で報じられないなんて、公に出来ない何か不都合があるのだろうか?。と勘ぐってしまう。さっき見たI-NETのNEWSだと防衛庁は事前にミサイルの打ち上げの情報を掴んでいたというし、アメリカなどは着弾地点まで確認しているという。日本政府や合衆国は北朝鮮のミサイルの性能の悪さ?を熟知して、そんなに大騒ぎすることはないと考えているのであろうか? のどかな夕暮れの春霞の空に、黒いミサイルの幻を見たような気がした。 |
2月23日(日) 雨のち晴れ?おおよそが曇りか?。 |
『ジョイフル本田』 群馬県新田町のジョイフル本田へ行った。特別に買う物があったわけではないが、たまにはこんな場所で独り、世間の動向を探ることも必要かと思われ出掛けてみた。巨大なショッピングセンターには、午後4時を過ぎていたが相変わらずの客の入りようであったが、しかし割とすんなりと駐車場へは入れた。取りあえず必需品の『アウスレーゼのスーパーハードムース』2本と『サクセスのヘアーウォーター?詰替用』と安いアフターシェーブローションを買い求めた。本当は『シーブリーズ』のローションも2本買いたかったのだが、いくら探しても無いので諦めた。ほんの一瞬、アルバイト店員に聞こうかとも思ったが、聞いたところで時間をかけて500円程の『シーブリーズ』を探し出せないのではらちがあかないと思い、やはり聞くのはやめにしたが・・・・。 しかしこの店には、銘柄さえ指定しなければ本当に何でもある。訳の分からない建材から高級ドア、農家の小物道具から耕耘機・ネギむき機まで。山の風呂が壊れたときも、こんな風呂とボイラーを繋ぐパイプなど無いと思っていた物があった。まぁこんな場所にいれば、あっちを見たりこっちを見たりし、楽に3時間程は過ごせるのである。 しかし客は外人も多いし、確かに入っているなぁ。 『BOOK OFF』 数週間前から整理していらない本を売りに行った。大きめの紙袋で2袋あったので、予想では少な目に見積もっても800円近くになると思っていた。中味は古い本ばかりだったが、かなり装丁の良い物などがあり、あわよくば1,000円以上になるのでは、との期待もしていたのだが・・・。私なりの800円と言う査定があったので、少し時間がかかるのでは?と思っていたのが、5分もしないうちに名前を呼ばれ、カウンターへ行く。 『220えんです。』・・・・・・・・・・・唖然。 いささかガッカリしたのと、恥ずかしいような複雑な気持ちになった。持っていった本の半分以上は値段が付かないとのことで、持ち帰ってもしょうがないので、処分してもらうことにした。しかし私の持っていった本と同じ宮崎学の『突破者』が本棚で800円しており、あれはいくらだったのだ。?と若干の不信感も湧いたBOOK OFFであった。 |
2月21日(金) 晴れ?幾分か寒さも一休み。 |
『関東平野の緑色部分』 今朝一番で群馬県の東村へ行く用事が出来た。深谷市の北端 上武大橋で利根川を渡り、世良田の東照宮を左に眺め、世良田駅を過ぎるとまもなく上武国道を左折する。ここからは眺めの良い一直線である。右前方には頂上に少し雪をかぶった赤城山が、手に取れるほどの距離に見える。正面やや左手には真っ白な浅間山が見える。赤城と浅間山の間には手前に榛名山、そして遙か遠くには三国連山が望める。何と雄大な景色の中を走っているのだろうか。確認はしなかったが、浅間の左手には妙義山、その奥は北アルプス、もっと左は秩父連山も望めたことだろう。 私には日常の風景ではあるが、この景色を眺めていると関東平野の外れの、緑と茶色の地形図がよーく分かるような気がしないでもない。 |
2月20日(木) 晴れ?。曇り。?またまた寒くなってきてしまった。 |
『396歩のマーチ』 午後7時に煙草が無くなってしまったので、駅まで買いに行く。少し風が出てきて寒かったので、一瞬車で行こうかと考えたが今日の所は止めた。道中が若干暇であるので、何気なく家の門の所から歩いて何歩でいけるかを数えてみた。すると何と偶然にも200歩丁度であった。昔と違い?大股で歩かなくなったので、1歩が60p〜70pとしても120メートル〜140メートルの距離である。調子に乗り帰りも数えてみたら今度は196歩であった。嗚呼、車で行かなくて良かったとつくづく思ったのである。 BEE-GEESの『NIGHT FEVER』が流れている。 |
2月19日(水) 晴れ?。曇り。?また寒くなってきてしまった。 |
『Boomer Radio - "Sweet Soul Music"』 The Brothers Johnsonの『 I'll Be Good To You』とDonna Summer『 Last Dance』がI-NET RADIOからたて続けて流れた。先日遅ればせながら見つけだした『Boomer Radio“SWEET SOUL MUSIC”』と言う番組である。これはいい。BGMには大変便利である。まさに私の為に生まれたような?Radio番組である。 しかし考えてみれば夢のような生活でもある。コンピュータの前にいれば何でも出来る。 仕事も?集中すれば出来る。CDもCDがあれば聞ける。DVDもDVDがあれば見られる。Radioも気に入ったチャンネルがあれば、世界中のラジオが聞ける。手紙(メール)も出す相手がいれば、郵便ポストへ行かなくても出せる。見る気だったら恐らくTVも見られるのだろう。買い物も支払い能力があれば何でも買える。小説も読める。私の活用法はそのくらいだが、考えてみれば出来ないことを探す方が大変かも知れない。 と書いている間に Aretha Franklinの『I Say A Little Prayer』とGeorge Bensonの『 Turn Your Love Around』が流れたのである。 |
2月18日(火) 曇り。?晴れ? 一時北風が強い。 |
『長野県 小布施町』 長野県小布施町へ行ったことがある。まだ景気が良かった数年前、お得意先との一緒のバス旅行で同行させてもらったのである。 更埴ジャンクションを過ぎ中野インター?で降りて十数分で到着したような記憶。北斎記念館とやらがあり、落ち着き放った由緒正しき山あいの町で、信州の宿場町と言った印象が強く残っている。短い時間だったが、独りで街を時間の許す限り散策もしてみた。帰ってきてからも時々「また行ってみたいなぁ。」と思い出す町でもあるのだ。 今晩のLIONS例会で、偶然にもその小布施町が登場したのである。3月に、ある講演会が行われ、その講師が小布施町の関係者であり、紹介者が何度も『こぶせ』『こぶせ』と言うものだから訳が分からずにパンフレットを見ると、小布施(おぶせ)を間違って読んでいるのに気がついてしまった。私も実際に『小布施』を訪ねていなければ、当然『こぶせ』でも、間違いに気がつかなかったであろう。どんな旅であっても、こんな些細な出会いを教えてくれるものなのであろう。 今年こそは『小布施』まで足を伸ばしてみたいものである。 |
2月16日(日) 曇り。11時頃から雨が降るが夕方には上がる。 |
『日本語でまくどなるど=マック・ドゥナ〜ルドゥ?』 マクドナルドが昨年12月の決算で23億円の赤字を計上したらしい。創業間もない30年ぶりの出来事だという。狂牛病が発生し、客が減りその回復策として驚異の57円?バーガーを発売したりして一時は客が増えたものの、確かに素人消費者ながら無理があると思う。昔はいくらだったか忘れたが恐らく今の価格は昔の半値以下では?。570円出せばハンバーガーが10個。いくら安くてもそんなには食えない。5,700円で100個ものハンバーガーが買えるのである。 Macのハンバーガーは、私が中学三年か高校一年の時に初めて口にした食べ物であった。新宿の伊勢丹近くの店で、田舎の子供にとってはMacシェイクとハンバーガーは、それは衝撃的な味であった。しかし子供の私はMacシェイクを食べると、いつも腹を冷やし痛くしたものである。 今でもMacを時々食べる私だが、正直フィレオフィッシュ以外のハンバーガーはさほど旨いとは思わない。価格が安いから食べるようなものであり、57円ハンバーガーが100円以上もしたら、コンビニで買い求めるヤマザキパンの『あんバターコッペ』の方がはるかに旨いのである。まくどなるど(マック・ドゥナ〜ルドゥ)。藤田 田氏のこれからが本当の手腕の見せ所なのか? I-net Radio(Boomer Radio)から、嗚呼懐かしのア・テイスト・オブ・ハニー『今夜はブギブギ』が流れた日曜の夜であった。・・・・・あっ今度はG・BENSONの『マスカレード』だ。 |
2月15日(土) 晴れ。暖かい日中だった。 |
『お得意のホトケノザ』 田圃の畦道にホトケノザの群生を見かけた。枯れ草の中を、ほんの一部だが薄紫色に染めていた。決して近づいてみることはなかったが、それはマクロレンズで覗くと、確実に春の息吹を感じさせてくれるに違いないのである。お楽しみはこれからだ。 |
2月14日(金) 晴れ。 |
『電気は素晴らしいのである』 夜中に漏電ブレーカーが落ちてしまったようだ。 昨晩は少し残しておいた泡盛を一杯飲んだだけで、コタツでうたた寝をしてしまい、AM4時頃あまりの寒さに目が覚めた。コタツは勿論の事、テレビはつかないし電気という電気が見事につかなかったのである。一瞬、北朝鮮並に『停電かな』と思ったが、窓越しに事務所の外灯がついているのが見え、我が家だけの出来事と初めて自覚する。 手元にあったカメラのリックから、アメリカ製の強力ペンライトを取り出し、抜き足差し足でブレーカーの点検に行くと、何故か自分のその姿が泥棒か強盗に思えて仕方なかった。しかし電気がつかないのだからしょうがない。案の定お袋の枕元を通ったものだから、普段は目が覚めない彼女もさすがに私の姿にビックリして起きてしまった。(やはり物取りか強盗に思ったに違いない。)漸く配電盤の所にたどり着き、いろいろ試みるが、漏電ブレーカーは元に戻らない。しょうがないので電気屋さんのM木氏が起き出すまで寒さに耐える事にする。 7時過ぎに漸くM木氏へ連絡が取れ、応急処置を教わり緊急事態を回避できたが、電気のない日常生活がこんなに心細いものだと言うことを、改めて身に染みた朝であった。 |
2月12日(水) 晴れ。強風で寒い一日。 |
『うりづん』 もう『うりづん』?。昨日友人住む沖縄本島、那覇で気温22.7℃を記録したそうである。 私が初めて訪れた沖縄で『うりづん』なるタバコがあるのを知り、その時は『うりづん』がどんな意味があるのかも知らなかったが、とても響きの良い言葉に感じたのは確かである。 沖縄で4月頃の一番過ごしやすい季節を『うりづみ』と呼び、それが訛ったのが『うりずん』であると言う。まさに言葉のイメージ通り、心地良い南風が吹いて、木々が芽吹き、春というよりも爽快な初夏と呼ぶにふさわしい、1年でもっとも快適な季節なのであろう。この『うりづん』なる爽やかな言葉は、決して埼玉にいては味わえない言葉なのであろう。 |
2月11日(火) 曇り一時雨。 |
『小雨の中の通夜』 昨日FAXで訃報が届き、午後6時からお通夜に参列した。私の知る得る人物の中でも最も気概があり、尊敬できる先輩の長男の通夜であった。焼香を済ませた私に先輩が、深々と心から礼をしてくれた姿が忘れられない。 |
2月10日(月) 晴れ。少し暖かい。 |
『赤城不動大滝』 昨日は赤城山中の『不動大滝』まで片道40分の山歩きを楽しんだが、どういう訳か脚が痛くも何ともならない。どういう訳だろう?昨日の段階では確実に筋肉痛は覚悟したものだが・・・・・。山歩きとはいえ片道40分、往復80分と言うことは6qは歩いた筈だ。しかも息が切れるほどのウップダウンで。ゴルフで6qだったら間違いなく筋肉痛の所だが、まぁ痛くないのに越したことはないのだから良いことにしておこう。 |
2月8日(土) 曇り。少し暖かくなったのか? |
『ピストルを見た夕暮れ時』 警察官がピストルを腰に下げてBOM(写真現像コーナー)にやってきた。昨日の夕方のことである。どうやらプライベートな?写真の現像を取りに来たようであるが、おまわりさんの制服も昔とは違い威厳が無く、一見警備員か工員のようにしか見えず、男が腰にピストルを提げている様は、あまりにその場所に不釣り合いな異様な光景であり、私はその腰にある拳銃をまじまじと眺めてしまったのである。 今だったら一瞬のすきを付いて、この男に飛びかかれば簡単にピストルが奪えそうな、そんなバカな気もしたのが、流石に新聞に登場してしまうのでそれは遠慮した。 確か昨年の夏も、菅平のコンビニで、ピストルを携行した警察官に出会ったことがある。その時も人混みでピストルを見せびらかすように弁当を買っており、いささか少しの恐怖を覚えたものだ。 こんな事もあった、ある食堂で夕飯を食べ終わりレジで勘定をしていると、パトカーが店の玄関に横付けされ、お巡りさんが入って来た。ビックリした私は丁重に「何かあったんですか?」と訪ねると、お回りさんは不機嫌そうな顔になり「警官も夕飯ぐらいは食べるんです。」みたいな事を言い放った。パトカーで乗り付けた警官は、あの警備員みたいな格好では、さすがに店で食事をとるわけにはいかず、弁当を取りに来たようである。これらの行為は法律的には合っているのかどうかは知らないが、小市民の私にとってはどちらも異様な光景に映ったものである。 嗚呼、日本は平和なんだなぁ。 きっと・・・ |
2月4日(火) 晴れ。昨日と同じような天気 |
『シーブリーズとTVコマーシャル』 数10年来、ヘアートニックとアフターシェーブローションを買っていない。それらの代わりに『シーブリーズ』を使用しているのである。初めは風呂上がりに、スーッとして気持ちがいいので、当然ボディローションのみとして使っていたのだが、いつの日からか『シーブリーズ』を頭とヒゲ剃り跡にも用いているのである。大して変わらぬと思われるアルコール成分なのだから、頭髪とヒゲの殺菌作用があるのでは?と言う確固たる自己判断と価格の安さ、それに一つで二つの機能性・・・・・。これは便利。 それと何と言っても使い始めの発端は、その昔矢沢永吉の曲がCMに使用されたからなのだ。こうなるとTVコマーシャルの効果は絶大なものである。 |
2月3日(月) 晴れ。風はないが寒い一日 |
『節分・立春』 昨日は早朝から榛の森公園で、桜の植樹と手入れを行った。既に桜の木には花芽も付いており、数十日後には少しばかりではあるが桜の花が咲きそうな気配である。河原へ独り降りてみると、枯れ草の間から『ホトケノザ』の可憐なつぼみが見えた。 二月を迎え今日が節分で、明日が立春。確実に春が近づいて来るような気がする。 |
2月2日(日) 晴れ。寒いと思われたが、さほどでもなかった。 |
『スペースシャトル=すぺーすしゃとる』 アメリカ人・・・「信じられないことが起こってしまった。」イスラエル人・・・「神の制裁だ。」 昨夜AM2時頃帰宅し、テレビをつけてみたら、臨時ニュースでスペースシャトル爆発墜落のニュースをやっていた。スペースシャトル「コロンビア」が16日間の飛行を終え帰還する数十分前の出来事だったようだ。興味がない私は、それが飛んでいることも帰ってくることも知らなかったのだが、私はアメリカ人ほどの衝撃は受けなかった。どちらかというとイスラエル人がTVのインタビューで答えた「神の制裁だ」に賛同してしまう。やはり人間が侵してはならない領域という物があるのではないだろうか?核兵器や話題のクローン技術による「クローン人間」。自然を破壊し生態系を壊し、二度と取り戻すことの出来ない自然や生物。 神の存在は人の心の奥底だけにあるとものと思うが、そんな神の領域を侵すことは人自身の存在を危うくするものではないだろうか。 |
2月1日(土) 晴れ。風が少し吹いている。 |
『2月1日』 二度とやって来ない、2003年の1月も昨日で終わってしまった。たかが1年の12分の1、時が流れただけではあるが、確実に2004年に近づき、2002年からは離れてゆく。当たり前の事だ。身の回りにある全ての事が一日一日の積み重ねで結果を招くのであるが、万一今日死んでしまっても悔いを残さない一日を送らなければならないのである。 それは充分に分かっているが、なかなか出来ない事でもある。 我ながらよく続いたHPの開設1周年を記念して、本ページをリニューアルしてみました。 |