6月30日(MON)

晴れ。まぁ結構爽やかな方かなぁ?
 『2003年6月30日』
 こんな生活をしているうち2003年も半分が過ぎ去ってしまう。そして、私が生まれてから44年と6ヶ月が過ぎようとしている。当然の如く年格好は立派な中年になった。
 嗚呼この年月が長過ぎたのか、短すぎたのか?有意義だったのか、そうではなかったのか?楽しかったのか、楽しくなかったのか?頑張ったのか、頑張らなかったのか?ついていたのか、ついていなかったのか?本当の所今の私には分からない。イヤ、実は分かろうともしていない・・・・・・・・。?
 先週から歯医者へ行っている。向こうはどうだか、私は20年来の友人と思っているK田先生が、私に『子供が成人したのだったら、もうリタイヤしてもいいねぇ。』などと冗談半分?で言った。彼は私より10歳年上で54歳の筈だが、最近そんな事を真剣に考えている?ようである。『お金が無くても、動けるうちにリタイヤして、好きな所へ行ったり、好きな事をするのが最高の贅沢だ。』と言っていた。それは確かにそうだ。体の自由が利かなくなり、やむを得ずリタイヤしたって、やりたい事はたかが知れている筈。
 宝くじでも当たったら、本当にリタイヤ出来るのか?
6月29日(SUN)

爽やかな風〜梅雨の晴れ間。
 『何時もと違う道』
 午前中、今朝獲ったばかりの『味来』と『生うどん』『たんさん饅頭』を買って岩槻・平林寺へ行った。今までは北本まで、ずーっと17号バイパスを走り、北本から裏道で伊奈〜蓮田〜岩槻ルートをバカの一つ覚えのように走っていたが、どんなに順調に行っても1時間30分以上はかかってしまっていた。『どう考えても地図で見る距離の割に、時間がかかり過ぎている。』と、遅ればせながら感じた私は、違うルートを地図もカーナビも無いのに『綾戸智絵BEST』を聞きながら進んでいた。
 先ず、熊谷バイパスを鴻巣の手前、新幹線をくぐりすぐの信号を左折する。まもなく新幹線の測道と合流し新幹線沿いに走る。その後は殆ど記憶にはないのだが、鴻巣の北東部を通過、川里村を通過、菖蒲町役場付近(ラベンダー祭り?をやっていた?)通過、そして知らぬ間に、国道122号蓮田付近に出ることが出来た。時間にすれば、『道の駅おかべ』から1時間ほどでそこまで出ることが出来たかも知れないのである。
 『稲穂通り』
 M木氏から気になる名前を聞き出していた。岩槻の義兄もチラッとこの通りの名前を口にした。そして岩槻からの帰り道、もっと分かりやすく近道はないかと考えていた。
 地図もカーナビもないまま、少ない情報と自分自身の感だけで走り出す。
 蓮田駅前を横切り、旧国道122号を左折、踏切をわたり栗橋線のSHELLのスタンドがある交差点を右折、直ぐに122号線のバイパスを左折、手入れの行き届かないこの道を羽生方面へしばらく進む。左折菖蒲方面の表示板をいくつかやり過ごし、橋を渡ると左折『稲穂通り』の表示板が偶然にもあった。思わず左折。正しく名前の通り延々と続く田園風景。途中やや大きめの沼が二つある。そして白岡町〜騎西町〜川里町と通過する。途中左遠方に『鴻巣カントリークラブ』の森が見える。『稲穂通り』の終点付近で右折、直ぐ左折で行田・吹上の表示板がある。県道??号線だか直進する。暫く走ると右折『古代蓮の里1.5q』の表示。この道が何処へ出るのかを確かめたかったので、右折せずなお直進する。間もなく17号熊谷バイパスの大きな軍手の看板に出た。結局このルートで『道の駅おかべ』に着いたのは、蓮田駅前から約1時間10分の所要時間がかかったのである。そして今晩地図を眺めておさらいをしておこうと思う私である。 
6月28日(SAT)

雨模様〜晴れ。
 『EARL KLUGH』
 我ながら18,19歳でこんなもの?を聞いていたなんて信じられないのである。
1976年に発売された『LIVING INSIDE YOUR LOVE』 
1977年に発売された
『FINGER PAINTINGS』
 そして1980年?に発売された『Late Night Guitar』・・・・・と
 
当時CROSS OVER・FUSION系の音楽を求めていた私にとって、これまでギターといえばリーリトナーやラリーカールトン等のエレクトリック・ギターのアーティストばかりを聞いていた。そしてアコースティック・ギター1本でこだわり続けているアール・クルーの発見。 ナイロン弦の奏でる音色は実に心地よく、20数年経った今でも絶妙の癒しサウンドである。『Late Night Guitar』はジャケットデザインといい、選曲といい私の生涯TOP40に入るアルバムである。
 まぁ、25年以上前に聴いていた音楽に今も感激できることはこの上なく嬉しい。
6月26日(THU)

晴れ?曇り?夕方は小雨。
 『初めての買い物』
 渋谷に『タワーレコード』がオープンした時は画期的な出来事であった。それまでは新宿の『CISCO』か住友ビルの小さな輸入盤屋でレコードを調達していたが、どちらも新宿駅からは程遠く、暇人だった当時の私にとってはそれ程苦にはならなかったと思う。
 渋谷に完成した世界の『タワーレコード』には、欲しいと思う輸入アルバムがそれはそれは必ずあったものだ。しかし『タワーレコード』が出来ても『CISCO』にはしょっちゅう行っていた。本当の音楽好きで、輸入レコードの知識が豊富な店員はやはり『CISCO』の方が断然多かったからである。
 今日『タワーレコード』からCDが2枚届いた。
EARL KLUGHの『Late Night Guitar』とG.BENSONの『20/20』である。共に当時のレコード盤は持っているのだが、Netで買えるようになった嬉しさで、つい購入してしまったのである。何を隠そう、WEB上で初めての買い物をしたのである。
 (1,690円×2)+代引き手数料300円+消費税184円=3,864円の買い物であった。
6月25日(WED)

どしゃ降りの雨〜蒸し暑い晴天〜爽やかな夕方。
 『OH!クラウディア』
 初めて見たときは『何だぁ〜このコミックバンドは〜。』と思った。
 バンドメンバーは全員ジョギングパンツにランニングシャツ(タンクトップ)と言うふざけた格好だが、ボーカルの錆れた声とノリの良さは抜群であった。しかし駆け出しバンド特有の、リズム(ドラムとベース)が演奏が進むうちに、どんどん早くなってゆくという、ド素人バンドの一面も、まだまだ垣間見られたのである。でも何故か『一発屋』と言う感じはなく、正直、期待感さえ感じさせたのである。ピンクレディと沢田研二の曲名を、たして2で割ったような『勝手にシンドバット』を初めて聞いたのは今から25年前の6月、私が19歳の時の出来事であった。
 年月が過ぎ、桑田(サザン)はカリスマにさえ手が届く存在となった。日本中で彼らの曲が嫌いという人達が、殆どいない程に愛される日本代表バンドとなっている。私もサザンオールスターズが好きとまでは言わないが、正直嫌いではない。デビュー初期のアルバムも数枚持っている。しかし新作アルバムを買うこともないし、コンサートへも行く気もない。
 今日、昼からのRadioで『OH!クラウディア』が流れただけである。
6月24日(TUE)

 『川の流れのように』
 『八方塞がり』・・・・・近年あまり耳にしない言葉を目にした??。
GOOの辞書で検索すると
(1)陰陽道(おんようどう)で、どの方角にも障りがあって何もできない状態。
(2)とるべき手段がなくなり途方に暮れること。
「―でお手上げだ」・・・・・・・・・とあった。
 恐らく、古くは方位や呪い(まじない)から発生した言葉なのだろうか?

 若干興味が湧き、今度はYahooで検索してみた。すると、こんな一文が・・・・

 『経営者に限ったことではないが、人間長く生きていると八方塞がりの境遇に出合うものである。右に行っても左に行っても、にっちもさっちもいかずどうしようもないという状況である。ある人が、こんなことを言った。まだ打つ手はある。その方向は上であると言うのである。上と下で、十方となるのであるが、下の方向は改悪となるので論外として、上位レベルの視野で見ると、展望が開けてくると言うのである。
 この話を聞いて、「なるほど」と思った。人間、向上すれば視野が広くなり、発想も豊かになり、出合う人の質も向上するということは言えることであると、私は思う。会社の質も、人間の質も向上すれば運は開けてくるものである。・・・・・・・・・・・』・・・と。
 ウーン。言葉のゴロ合わせで気休めか?。『八方塞がり』の状態は、実は『十方塞がり』であったり『十二方塞がり』であったり、・・・・・こんな時は美空ひばり+秋元康ではないが、川の流れのように、緩やかにこの身をまかせるべきなのかも知れない。
6月22日(SUN)

晴れ曇り。
 『高原へいらっしゃい』
 今朝小雨でも降っていれば、紫陽花見物でも出掛けたのに。
・・・・・残念ながら紫陽花も萎れるような梅雨らしからぬ天候であったのだ。
そして昨日は、遙か沖縄より『高原へいらっしゃい』のビデオが届き、ジャイアンツが野垂れ死ぬを見届け、『高原へいらっしゃい』1〜6話までを鑑賞してしまったのである。VTRを見て初めて気がついたのだが、第一話を見たのは初めてであり、何と懐かしい28年前?の中央線新宿駅付近の景色が映し出されていた。時代はバブル前でビルの隙間にも、点々と木造らしき生活感あふれる民家が映し出されており、ドラマのストリーといい、映像といい、たった28年の年月が、これ程までにあらゆるものを変化させてしまうのをまざまざと見せつけられた。
 物語は実に純朴でストレートである。あんな時代は二度と帰らないのだろう。
6月21日(SAT)

晴れ。なかなかいい天気。
 『週間新潮』
 今日、『週間新潮』を買った。
発売された木曜日の夜コンビニで買おうと思ったら、『文春』は売っていたが『新潮』だけがない。無いとどうしても欲しくなり、本棚の隅から隅まで探してみるがやはり無い。無いものはしょうがないので買わずにいた。そして今日たまたまコンビニへ行ったら、たった1冊だけ『新潮』があった。当然、思わず手に取ってしまったのである。
 購買意欲をそそったのは、土屋県知事のダスキン疑惑にまつわる記事であった。
6月20日(FRI)

晴れ。今年一番の暑さか。
 『男は弱く、女が強いのだ』
 『女は30歳を過ぎたら嘘しかつかないのよ。』 と彼女は可愛らしく、優しい言葉で言い放ったのが妙に印象に残っている。当然と言えば当然、自然と言えば自然、本能的に女は“甲斐性”(経済力)のない男に惚れる事はないというのだ。ベッカムのようにどんなにイケメン?でサッカーが上手くても、金を稼げなければ、ただのおかしな髪型をする兄ちゃんであり、これ程までチヤホヤされる事はないのだろう。だから大抵の女は、そんな男に自分を高く売りたいと(変な意味ではなく。)考えているというのである。
 自然界では女は男を喰って、最後まで必ず生き延びるのか。?
6月18日(WED)

晴れ。ものすごく蒸し暑い日。
 『?ヶ月ぶりの伊香保温泉』
 昨夜は久しぶりに伊香保で過ごした。そして久しぶりに宴会らしき事をし、ラーメン屋などで紹興酒を飲み、800円の醤油ラーメンを食べ、露天風呂に入り、楽しいマッサージ師と2時間ばかり話をし、気心の知れたM下氏とO野氏の間で何とか眠ることが出来た。しかし大きな声では言えないが、優しいM下氏の、まるで獣を思わせるような変速的ないびきには、夜中一人で笑いをこらえるのが辛かったのが忘れられない。
 そして約40日ぶりのゴルフには参った。スタートの1番ロングホール、いきなりのドラコン賞を獲得し、もしかして今日は・・・・・と思えたのもセカンドホールまで。ショットは早くも少しづつ乱れ、終わってみれば何と近年希にみるワースト記録。いささかゴルフを嫌いにさせてくれたた一日でもあった。しかし同伴した同級生Uちゃん、Y新社長、M下氏にはビックリさせられたのである。皆、午前中いまいちだったショットが、昼食でビールとワインを2本飲んだら見違えるように良くなったのである。普段はビールだけで止めておく私も、ワインを2杯余計飲んでみたが別段何も変わることはなく、欲求不満だけが残ったものである。まぁ同級生Uちゃんのお陰で『馬』が8,000円も当たり、ドラコン賞を一つ獲得し、17位の当日賞まで獲得し、ホテル代がタダになったと思えば、何故か気も晴れるのである。
6月16日(MON)

雨ではない。蒸し暑い。
 『月曜日に60点』
 久しぶりに間に合わない仕事があり、午前5時44分から仕事を始めた。取りあえず息をしているのだから、切羽詰まればまだまだ出来るものなのだ。お陰で午前9時に打ち合わせする予定が、午前8時20分に出来て、全てが先手先手で進行した。思っていた仕事が珍しく達成できた月曜日であった。結果は数字が全てではないが、お客様満足度80点、自己採点は60点としておこう。
6月15日(SUN)

小雨模様。一時晴れ?全般的には曇りか?
 『週末紀行・・・・バラキ湖編』
 バラキ湖の畔に着いたのは午前8時を少し廻ってしまった。午前5時45分に家を出て、高崎のSHELLでガソリンを入れ、スタンドのお兄さんに『塗れタオルを貸してくれる?』などと言ったのが遅くなった理由だろうか?車のあまりの汚さにスタンドのお兄さんが『今なら10分かからずに洗車できますよ。』の気の利いた言葉に応じてしまったのだ。本当はただ鳥の糞を取り除きたかっただけなのに。
 それでもこんな曇天のバラキ湖には、写真家が一人と、ボートに乗った釣り人が二人居るだけで、他に人影らしきものは見渡せなかった。トランクから三脚を出し、長靴に履き替え、リュックを背負い、携帯用の灰皿も忘れずに持って湖畔の左対岸へ歩み出す。丁度レンゲツツジが見頃を迎えているのだろうが、この花は近くで見るのと遠くで見るのは大違い。遠目には美しいオレンジ色をしてるが、実は結構枯れかかっていたりする。何と悩ましい花なのだ。長靴を履いている強みで、水辺のすぐ近くに咲いているレンゲツツジまで接近してみるが、特別に変わった被写体は得られない。しかしその事でがっかりすることもない。
 人気のない湖畔を暫く遊び、駐車場に近い湖畔まで帰り、最後に咲き始めた蓮などを望遠レンズで眺めていると、いつの間にか年配カメラマン集団が湖畔を陣取っており、その中の“先生”と呼ばれていた老人が私の横に三脚を構え『毎年いいのが咲きますね』と言った。老人は私が去年もこの場所に来たのを知っているか?などと勝手な想像をし、適当に無難な受け答えをしておいた。年配カメラマン集団が移動するのを待って、バラキ湖を後にした日曜日の朝である。めでたしめでたし?。
6月14日(SAT)

何だっけ?覚えていない。
 『あれから10年』
 LIONS-CLUB次期幹事のH本氏から電話があった。彼はCLUBの中でいまだに最年少であり商工会青年部の副部長も努める。今月に入り、すでに次期幹事のとして数多くの会議や根回し(段取り)をしているはずの彼が、『大変な時期に7月4日の商工会青年部の主張大会に出場することになった。』と言う相談であった。
 正直会長職よりもハード?な幹事となる彼が、7月1日よりスムーズに会を発足しなければいけないと言うプレッシャーは充分にわかる。そして重責もあろうが、『両方ともいい加減でいいんだよ』と私の更なるいい加減なアドバイスを聞き、気持ちがずいぶんと楽になった。と言ってくれ電話切った。
 確かに、この様な状況を前にするとプレッシャーも感じ、自分自身がつい消極的になりがちだが、たかがこんな事にそれほど重責を感じることは更々ないのである。言葉は悪いが『いい加減』にやれば肩の力も抜け、緊張感も和らぎ、自分への負担は軽減されるはずだ。
 それと・・・・・自分が感じるほど、相手は気にかけていないものなのである。多分・・。
 それにしても私が主張大会に出場したのは平成五年で、何と今から10年も前の出来事なのを確かめ驚くばかりである。
6月13日(FRI)

晴れ?かなり暑い日。
 『生保の約束不履行』
 いい歳こいてお金には無頓着な方である。だからお金が貯まらないのか?
 慌てて見積もりし、ある行程の見積もりを計算しなかったり、儲けのでない仕事を引き受け後で後悔したり、一応経営者の端くれとしては反省するばかりである。
 昔、誰だか忘れたが(亡父だったか?)『商売の損得ばかりを考えていたら絶対にいい仕事なんか出来ない。だから帳簿は女に任せておけ。』と言われたことがある。一つの仕事の儲けばかり考えていたら、利益によって手抜き仕事をしたくなると言う理由だったと思う。そんなやり方でも、何とか利益が出ているうちはまだよかった。ここ数年売上が減少し、利益率も低下し、税理士が十数年前に言い放った『社長は最低でも会社のバランシートだけでは把握しておくものだ。』の言葉が今となっては懐かしく骨身にしみるのである。
 数日前、生命保険会社が契約者と約束した予定利率を破たん前に引き下げられる保険業法改正案なるものが国会で可決された。一度約束した保険の利率を勝手に下げられるなんて、なんて無茶苦茶な話だろう。国家が法律により認めていなければ、間違いなく詐欺行為ではないか。そんなデタラメな法律がまかり通るなんて、我が日本も何でも有りの時代に突入してしまったのであろうか。
6月10日(TUE)

曇り?雨?
 『首長になった彼』
 日曜日野球に出掛けた後、思わぬ来訪者があった。彼が直々に私の所に訪ねてくるなんて何事かと気に掛けていたが、緊急の用件なら必ず携帯電話に連絡を入れてくると思い、何となくそのままにしておいた。月曜日になってもやはりその事が少々気になっていたので、夜9時頃電話を入れてみた。2コールの呼び出しで電話に出た彼に不在の否を詫びると、特段用件があったわけではなさそうで、近くまで来たので私の顔が見たかったなどと嬉しい言葉を云ってくれた。4月30日から公務を多忙に過ごしている彼とは、大勢いる周りの取り巻きや来客とに阻まれて、なかなか以前のように気軽な言葉を交わせなくなったが、電話で交わした言葉の調子は4月30日以前のままでありホッとしたものである。
6月8日(SUN)

晴れ。気温は上がるが爽やか。
 『完敗と完勝の違い』
 昨晩ほぼ一ヶ月ぶりの麻雀大会が開かれた。
たった三戦の短期戦なのに「四着」「四着」「二着」と良い所が無く散々たる成績であった。開始早々、ご挨拶代わりの二役の安手で上がったまでは良かったのだが、それが裏目に出たのか?その後は自分の都合の良い上がり手しか考えられず、集中力もまるで無く徐々に悪いほうへ悪いほうへと深みにハマリ出した。
 こうなるとたかが遊び事である麻雀も辛いものがある。ただ牌を積み上げ、ツモッテは切り、ツモッテハ切り、時々振り込む、そして他家にツモラれチップを支払う。それを何度と繰り返すのみ。まるでジャイアンツの如く負けつづける。惜しいという負け方ではなく完敗と言うのはこういう事を指すのであろう。と変に感心してみる。
 そして今日これまた1ヶ月ぶりの野球の公式戦があった。深谷市の会長旗杯の第一回戦でこちらは攻めて攻めての関脇?相撲で、4−0での完封勝利。攻撃していたわりには得点差はさほどではないが、10−0でもおかしくはないゲーム運びで、ほとんど負ける気のしない失礼ながら格違いの完勝であった。
 奇しくも麻雀の終了時間が午前1時30分。野球の終了が午後1時40分。半日うちに完敗と完勝を体験できた貴重な一日であった。
 しかし変なもので野球の完敗はさほど悔しくはないが、麻雀の完敗は最悪。
麻雀の完勝はHAPPYだが、野球の完勝はそれほどでもないのはどういう訳であろう。
6月6日(FRI)

晴れ。少し暑いが快適な日。
 『総会・・・・ここに来る意味は何?』
 金曜日とあって朝から慌ただしかった。予定では午後3時から、熊谷法人会青年部の理事会に出席するべきところだが、その時間にはまだ川本のお客さんの所に居り、サンルート熊谷まで辿り着くためには、大麻生でもう一件打ち合わせを済まさねばならなかった。午後4時開会の通常総会には楽々と思えたが、結局サンルート熊谷へ着いたのは3時50分であり、受付を済ませトイレへ寄り着席したらすぐに総会は始まった。
 実は昨日から今朝にかけて、今日のこの予定をキャンセルしようかと随分と迷っていたのである。自分の大切な仕事を犠牲にしてまで、何故?と言う思いがなかなか頭から離れなかったからである。しかし私的には精一杯、万障繰り合わせて午後4時からの総会と5時からの税務署副署長の講演のみ参加してみた。結果はどうか?当然午後6時からの懇親会にも出席出来ず、ここに来る意味は何?
 事前に通告されていた私の役割・・『講演会の講師への謝辞』があったからか?
 岡部町からの参加者が少なく、我が岡部を代表しての事か?
 プラス思考になりたかったからか?
正直、親会の正会員である私にとっては、本会と青年部の二重の会費を無駄に払っている印象は拭えないのである。