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9月30日(TUE) 晴れ。北西風が強い。 |
『移り変わり』 もはや夏ではない。いよいよ9月も今日で終わり、明日からは10月なのである。不順な天候で、大幅に遅れた曼珠沙華も見頃を迎え、コスモスも満開を迎えようとしている。 プロ野球ではダイエーが曼珠沙華と同じように、大幅に優勝を遅らせ、ジャイアンツの試合はやっているのかどうかも分からない。 時折、北風も吹くようになり赤城山から榛名山、そして浅間山も勇姿を見せるようになった。仕事は暇だが、何故か夜の予定や日曜の予定が11月中旬まで埋まってきている。 季節の移り変わりを、刻々と感じられるようになったのは、いつの頃からだろう。 |
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9月27日(SAT) 晴れ〜曇り〜雨。 |
『分かっていて・・・・出来ない?出来る?』 『わかっているけどが出来ない』のは、『分からない』事と同じであると言うが、そんなぁ事はない。単純に『分からない』ほうがまだ可能性があるからだ。『分からない』事を教われば充分にそれが出来る可能性を秘めているからである。 だから『分かっているのに出来ない』のは始末が悪いものである。『分かっているのに出来ない』を『出来る』に変えるには、別の違うエネルギーを発揮しなければならないのだろう。 |
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9月26日(FRI) 曇り。低温だったが午後から気温上昇。 |
『本当の理由(わけ)』 同級生であるジャイアンツの原君が、大巨人軍の監督を辞任した。昨年の華々しい日本一から一転し、下位に低迷しているのがその原因である。しかも阪神の優勝が決まったとは言え、まだ数試合を残したシーズン途中にだ。 三年の契約期間で残り一年を履行させて貰うことが出来ずに何と過酷な事であろうか。そして記者会見では、何故か後任監督の堀内氏(55歳)が「青天の霹靂である。」と・・・・・・・。それだったら辞任記者会見の席上に何故同席する。?仮に、本当に原監督が19日にオーナーに辞意を伝えたとすれば、殆ど原監督を慰留せずに短時間で堀内氏に監督を要請し、堀内氏がそれを受けたことになるではないか。そんな見え透いた嘘を何故言わなくてはいけないのか。原は何故本当のことを言えないのか。 よく一般的な社会人が、自分の会社を辞める理由には、殆ど違う理由を付けるそうである。まさしく原の今回の辞任もその通りなのであろうか。 |
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9月24日(WED) 曇り〜雨 |
『秋の早朝はコスモス・・・・・・』(内山牧場を訪ねて) AM1時過ぎに眠りについたにもかかわらず、アラームも無しでAM3時36分に目が覚めた。「本当に寝たの?」という感じが若干したので、そのままあと15分眠ることにする。すると今度は3時50分過ぎに目が覚めた。そして、めっきり物事が遅くなった私が、寝ぼけ眼で素早く身支度を整えている内に、M木氏からのCALL。彼らが出発した確認と、私が確かに起きている確認の電話なので、ほんの1・2秒で電話を切り、家の外に出て三脚とカメラバックを車から取り出し、久し振りのトレッキングシューズに履き替える。 外は昨日からの突然の寒さで、ユニクロで買った長袖シャツに、4年前に選挙運動用ジャンバーとして貰った、ヤンキーグリーン(蛍光グリーン)のウインドウブレィカーを着ていても、ほんの少し肌寒い。煙草を一本吸い終わらない内に、車のヘッドライトが門柱に映った。 AM4時10分位か、まだ真っ暗闇の中を車は走り出す。何回か寄ったことのある美里町のセーブオンで、ミネラルウォーターとコーヒー、昨夜食べたばかりのコロッケ入りパンとシーチキン入りおにぎりを買い求める。準備万端?でいよいよ出発である。 美里町から児玉町、国道254号を神川町から群馬県藤岡市へ。さらに吉井町を過ぎる頃にはようやく夜も明け始めた。富岡市から国道254号バイパスを走り、山道に差し掛かる頃には漸く素晴らしい日の出を窺うことが出来た。下仁田町を過ぎ幾つかのトンネルくぐり、神津牧場・軽井沢右折の看板を曲がる。すると数年前にたった一度しか(しかも夜)来たことのない、見覚えのあるロータリー?と店が見えた。誰もいない駐車場に車を止め、AM6時を少し廻った頃だったか、目的地である内山牧場の大コスモス園へリュックと三脚を担ぎ登ってゆく。ほんの僅かな距離であるが、平坦な道はいいのだが、登り坂と階段ではやはり息が切れる。とは言え階段もあっという間に登り切ったのである。 今までに見た事がない程の大コスモス園。しかも山のてっぺんなのでコスモス園が、嬬恋のキャベツ畑のようにうねっている。花は、ひとつひとつの出来は良く見るといまいちなのであるが、圧倒的な広さと背景の景色の良さ。そして青空と真っ白な雲。しかもK林氏が待ち望んでいた霧が到着後、私達を待っていたかのように隣の峰から迫ってきた。そしてみるみる幻想的な霧の中のコスモス園に・・・・・・。暫し時間も忘れて高原のコスモス園を楽しんだのである。やはり高原のコスモスは、近年減反の田によく植えてあるコスモスとは明らかに違い、『在るべき場所に咲いているコスモス』という感じがしたのは私だけであろうか。? ゆっくりAM11時前には帰宅し、秋の早朝を楽しんできたものである。 |
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9月22日(MON) 晴れ。とても寒いので長袖シャツに上着。 |
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9月19日(FRI) 晴れ。相変わらずに蒸し暑い日。 |
『阪神優勝と道頓堀』 18年間も優勝しないと、大阪ではああいう事が起きるのか? 男、星野仙一が18年ぶりに阪神タイガースを、監督2年目にして優勝へ導いて道頓堀が大騒ぎであったらしい。何でも5300人以上が糞尿にまみれるのを顧みずに、道頓堀へ飛び込んだというのである。そして何故か、かに道楽の巨大看板のカニの目を二つ取られて、川へも投げられたという。信じられないがこれが大阪の現実なのか・・・・。 仮に私が大阪に住んでいて、仮に阪神ファンだったとしても、25歳を過ぎていたらそんな馬鹿げたことは出来ないであろう。(二十歳前後では分からないが・・・・・) しかし5300人以上?とは誰かが数えていたのか、大変な数字である。昨年、道頓堀の飛び込みの名所まで尋ねて見たが、川面はネオンに揺れてそれは綺麗であり吸い込まれそうな錯覚にも陥ったが、あの高さからゴミの浮いた川へ飛び込むのは決して尋常ではない。5300人以上が飛び込んで死者がたったの一人というのも、何とも幸運な道頓堀であろうか。 |
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9月17日(WED) 晴れ 蒸し暑いが夜は秋らしい。 |
『秋の静けさ』 それにしても静かな秋の夜である。聞こえるのは今タッチしているキーボードの音と高速ペンティアム4を冷やしているファンの音、それと外から聞こえてくる、秋の虫たちの羽音だけである。嗚呼、こうやって日に日に秋は深まるのか。 今日の読売新聞埼玉版に、日高市の巾着田の曼珠沙華が今週末から見頃を迎えると書いてあった。昨年、友人達と訪れたが、その時は圧倒的な数の曼珠沙華とカメラマンに度肝を抜かされ、感慨半分で、こんな物か?と思ったふしもあったが、今こうやって思い返すと、不思議と何故かまた訪れてみたくなるものなのである。 |
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9月15日(MON) 晴れ 結構な暑さ。 |
『鱗雲』 昨日の午前中ような秋晴れはなかなか見ることが出来ないだろう。 何故か風は強かったが、天高くPLフィルターをかけなくても広がる青空に、真っ白で細かな鱗雲が南の空から沸き出しては流れ、沸き出しては流れ・・・・・、それ程に雲などを眺め続けていた経験も実はない私だが、あのような青空はいくら見ていても飽きないであろう。しかしながら、あの雲が噂の大地震を予兆させる雲ではないことを祈るばかりの私である。 |
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9月14日(SUN) 晴れ〜北風が強く、何とも素晴らしい秋晴れ。 |
『本日の試合結果』 我が野球チームの初回の攻撃パターンだけは、どういう訳かあまり変わらない。 初回の攻撃だけを見ると、いきなり対戦チームにプレッシャーをかけ、一見強豪チームのように見えるのだが、実状はそうではなく、実にか弱い子羊のようなチームである。 まず四球か相手守備エラー、あわよくヒットで出塁し、盗塁(または相手守備エラー)により進塁・・・・・ノーアウト又はワンアウトでランナーが二人以上出るパターンが非常に多い。傍目に見ると初回一挙にビッグイニングになり、初回でゲームを決められるパターンが出来るのだが・・・・・・。 問題はその後である。 今日の一回戦は、偶然にも三試合連続で初戦に当たって、奇しくも二連敗しているG-チームである。一回の表、ほぼベストメンバーが揃った我がチームは、1番T橋の四球、久々に2番に入れたH地のセンター前ヒットで、いきなりのノーアウト1・2塁のチャンス。3番ピッチャー大野がショートゴロの間に、ようやくのダブルプレー崩れの1アウト1・3塁。・・・・(相手投手は大ピンチで、チャンスは広がった。) 前回の試合で良いところを見せ、4番に昇格したO田が内野フライで2アウト。・・・・・(せめて外野フライか内野ゴロを打てよ。)5番K林が内野ゴロエラーの間に、漸く先制の1点。・・・・(よく1点取れたものだ。ラッキー。) 結局、我がチームはこの1点のみ(俗に言うすみ一?)で、結果1対8のコールド負け。 実力では決して劣っていないのに、なんでこうなるの? |
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9月12日(FRI) 晴れ。暑い一日だが夜になり南東の風が吹く。台風の余波か? |
『大地震がやってくる?』 今月の16日・17日前後に南関東で大きな地震(M7前後)が起こる可能性が85%?あると予測した人がいる。八ヶ岳南麓天文台長の串田さんという人だが、何でもFM電波の変調により数日〜1週間前に予知できるという事である。この人、天文学会ではかなりの著名人であり、関西神戸地震の数日前にも地震の予兆を知りながら、生かせなかった事が地震予知への道を探求し始めたきっかけとの事・・。 しかし85%の確立で起こるのなら、15%の確立で起こらないと言う事であり安心もするのだが、不気味なのは、今晩のあまりの静けさと、串田氏がここ数年来M5以上の地震を90%以上の確立で予知していると言うことだろうか。 |
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9月11日(THU) 晴れ。朝から蒸し暑い。 |
『28試合ぶり』 NYの松井が28試合ぶりにホームランを打った。28試合と言えば約1ヶ月本塁打を打たなかったことになるではないか。あの小柄なソリアーノでさえ30本以上打っているのに、やはりパワーだけではないのか。 私のゴルフと一緒で、どんなパワーヒッターでもボールを捉えてこそ飛んで行くものなのである。あと4本、20本塁打出来るのだろうか? |
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9月10日(WED) 晴れ。結構な暑さ。 |
『早いのか?普通なのか?』 先週末、曼珠沙華(彼岸花)が一輪だけ先に咲いているのを発見し「随分と気の早い奴もいるなぁ」と、思ったものだが、今日になってその“気の早い彼岸花”が田んぼの畦に、チラホラと観られた。もうそんな時期だったか?と昨年のことを思い出した。確か去年はわざわざ日高の巾着田まで足を伸ばしたものだが、彼岸を明け25日過ぎでなければ見頃ではなかったような・・・・・。とすると、今年は異常に早いのか?これが普通なのか?それとも私が今日見かけたものだけが、異常に早いのか? まぁ、どちらにせよ、季節感があまり無くなった近年では、遅かろうが早かろうがそれ程気にする事もない。 |
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9月8日(MON) 曇り。朝はかなり涼しい。 |
『桜の花が・・・・』 毎晩の散歩も少しずつ距離を伸ばし、3qに達してから約1週間が経つ。 初めのトライでは、そんなに歩くのか?と若干躊躇したものだが、不思議なもので3度も経験すれば、なんて云う距離ではなくなる。後1qぐらい伸ばしても、体力と時間は何とかまだ確保出来そうである。 数日前、車で通りかかった桜の木に『桜の花』が咲いていた。それは少し白っぽくて、弱々しいものであり、私は一瞬目を疑い、違う木の花か?と結論付け、その事は忘れていた。そして今朝、違う桜並木を通りかかったとき、やはり同じように桜の花が二つ三つ見られた。『やっぱり桜の花だ。』と感心して眺めてしまった。写真を撮り新聞社でも送ってみようか?それとも私だけの秘密にしておこうか・・・・・・・? しかし夏の終わった初秋に、桜の花が付くなんて、暖桜じゃあるまいし、あり得るか? |
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9月7日(SUN) 曇り〜霧雨 |
『Q』 嗚呼、懐かしのJames Ingramの『Just Once』が12chのTVから流れたのだ。 1981年に発売されたQuincy Jonesのアルバム『The Dude』に収まっていたのをすぐに思い出し、少々ラッピングに埃をかぶった30pLPレコードを引っ張り出し、週末の2日間、寝る前に少年のように部屋を真っ暗にしてかけてみた。 邦題が『愛のコリーダ』と言うこのアルバムは、私が今から22年前、心待ちにして買ったもので、私の秘蔵アルバムの中でも、完成度bPと云っても過言ではないかも知れない。 自慢?ではあるが、他の数あるアルバムの大半が屑に見える?程である。 それまでQuincy Jonesのアルバムは『Staff Like Thats』しか持っていなかったが、当時、彼の作品はすでに絶頂期を迎えており、かなりのBlack Musicのアルバムにはプロデューサーとして参加していた筈である。Michael Jacksonの『Off The Wall』・『THRILLER』・『BAD』を世に送り出す前は、懐かしのチョッパーベース、ルイスジョンソン、The Brothers Jhonsonの全アルバム、George Benson『GiveMe The Night』、パティオースティン、・・後は想い出せないが、Quincy Jonesのクレジットされたアルバムばかりを探していた時期もあり、アルバムにその名前が記されているだけで買ったものも間違いなくあったはずである。 あまりの感激に、WEB SITEで『Quincy Jones』を検索してみた。すると、2830件HITし、その中に1933年3月14日シカゴ生まれ。のプロフィールが・・・・・・・・・・・絶句。 暫く聞かぬ間に、今年で何と70歳のお爺さんになっていたのである。 |
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9月4日(THU) 晴れ。結構な暑さか? |
『9月の風』 9月になり少しサイケデリックな背景画面を作ってみた。精神的な何かが、地味な私にこんな色彩を選択させるのであろうか? すっかりマンネリ化したこのページも、7月頃から?イヤもっと前か?ネタが無くかなり(視点が制限されて?)重荷となっていた。日常の相対する人のことを記すると、中傷や悪口になりそうだし、自分のことを書くと嘆き節になりそうだし、そうかと云って世間の出来事などのコメントは、文章力が無いのが自身によーく分かり嫌気がさすものである。 さて、どうしたものか? ・・・・・・9月の風が吹き出した。 |