2004年 春
   
5月30日(SUN)

早朝の嬬恋村バラキ湖は予報はずれの快晴。
 午後から浅間山は雲ですっかり隠れ、にわか雨少々。




公式WEB SITE
http://www.hanochi.jp/
 『札幌、午前3時59分』

 眠る前にNHKのラジヲで、偶然明日の日の出時刻を聴いたのである。

 札幌の日の出時刻は、午前3時59分。東京でも午前4時30分前らしい。そう言えば昨日深谷シネマで『半落ち』を見終え、外に出たらまだまだ明るく大陽が見えていたっけ。     もう6月なんだなぁ。

 『週末紀行〜バラキ湖編』

 AM5時に携帯のアラームをセットしたのに、結局午前6時を過ぎてようやく起きだす。出発したのはAM6時34分になってしまった。

 今年始めてのバラキ湖は、それはそれは静かなものだった。釣り人はまだ禁漁のせいか居ない。カメラマンもツツジがまだ早すぎたせいだろう一人も居ない。まぁ私にとっては一人だけの貴重な時間を、自然を独占でき好都合だったのだが・・・・・
 久し振りに時間も気にせず、2時間位か?湖畔を巡ってみた。湖の対岸まで来ると、山から流れ込むせせらぎがあり思わずしゃがみ込み、清らかな水の中に手を入れてみる。とても冷たい水だが、何故だかとても柔らかく感じられ、暫くぼんやりと水と戯れる。水辺には何という花だろうか、鮮やかな濃いピンクの花が咲いており、生まれて初めて見るその花は、まるで「私を撮って」と言わんばかりの様子であり、ささやかながら本日一番の収穫を得たのであった。

5月29日(SAT)

曇り。晴れ。




デビルレイズ戦の5回、第3打席に2試合ぶりの右越え8号ソロ本塁打を放つヤンキースの松井秀喜(28日、フロリダ州セントピーターズバーグ)
 『半落ち・・・・念願の深谷シネマ』

 深谷シネマで『半落ち』を観た。予備知識は、「半落ち」という言葉が、警察用語で全面自供ではない(犯行は認めているが、何かを隠してる状態)という事。寺尾聡はじめ主な出演俳優数人の名前と、横山秀夫と言う原作者の名前、それから事件の発端だけだった。

 16:30分開始の映画館は、30名位と程良い入場者数で、約15分の予告編に続き、本編の始まりを告げる東映マークが出るのを確認し、私は知らぬ間に30分ほど深い眠りについてしまった。目が覚めると既に主人公と思われる寺尾聡が柴田恭平から取り調べを受けているシーン。

 開始早々、爆睡のおかげで、前半は今ひとつ面白味に欠けたが、ストーリーの展開がわかり始めた中編から後編にかけて、『ひと』の持って生まれ優しさと弱さに触れた私は、正直見るに耐えがたいシーンの連続となってしまい、こんな映画なんか見るんじゃなかったと(一人で見るべきものだと)後悔し続け、眠った振りをしながら薄目で時には目を閉じたまま、何とかエンディングの森山直太郎の歌まで鑑賞できたのである。

 しかし、実際には履かないが、草履履きかパジャマでも来られそうな実に身近な映画館?と言うよりシネマであった。

5月25日(TUE)

晴れ。
 『Amzon.COMに軍配』

 ■例えばPRINCEのニューアルバム『Musicology』日本版税込み2,520円の所
タワーレコード輸入盤が税込み1,943円、
Amzon.comでは輸入盤が税込み1,580円。(その差940円と363円)

 ■Norah Jonesの『Feels Like Home』が日本版で税込み2,548円の所、
タワーレコード輸入盤で税込み1,943円
Amazon.comでは輸入盤1,580円(その差968円と363円)

 ■Quincy Jonesの『LOVE‘Q』が日本版では見あたらず、
タワーレコード輸入盤で税込み2,405円
Amazon.comでは輸入盤税込み1,658円(その差747円)

 ■Marlena Shaw『Who is this bich anyway』が日本版税込み2,345円、
タワーレコードで日本版しか見あたらず税込み2,345円
Amazon.comでも日本版しか見あたらず2,111円(その差234円)

 ■これから買ってみたいジミーヘンドリックスのトリビュートアルバム『Power of Soul』が日本版で税込み2,400円
 タワーレコード輸入盤で、税込み2,510円???何故??しかも16曲???
Amazon.comでは輸入盤税込み1,500円(日本版と同じ19曲でその差900円と1,010円。分からん。)

 ■国内版はわざわざ店までガソリン代と手間をかけて買いに行く。
タワーレコードはNet上でクリックし、確か2,500円以上送料無料。代引き手数料何点でも一律300円。
Amazon.comはNet上でクリックし1,500円以上送料無料。代引き手数料は何点でも一律300円。

 私にとって、どれを選択すれば一番よいのか明らかなのである。

5月23日(SUN)

曇り〜雨。




 午前11時、姿を見せた金総書記はいつものカーキ色のジャンパー姿。首相に「アンニョンハシムニカ(お元気ですか)」と声を掛け、右手を差し出した。
 『日本国首相 小泉純一郎』
 
 確か金正日氏と同級生62歳だと記憶している。

 北朝鮮から帰国した小泉氏は、都内のホテルで拉致被害者の家族に会談内容を説明し、家族側からは進展がなかったことや北朝鮮への支援に批判の雨あられ。 
「大変悪い結果。」「金総書記に騙されて平然としており、プライドはあるのか?」ここまで非礼な?言葉を浴びせかけられる小泉首相。

 これに対し小泉氏は「皆さんの長年のつらい思いは分かります。そもそも北朝鮮は『拉致問題は解決ずみ』という立場で、箸(はし)にも棒にもかからない。私は訪朝することによって進展することがあるならと思った。すべての責任は私にある。」と・・・・・・。
 
 私の知る限り首相が自ら当事者に相対し、このように直接対応した人を見たことがない。普通だったら官房長官やそれに類する別の人に対応させたのではないだろうか。これだけで充分、小泉首相を責める理由が私にはなくなったのである。

5月21日(FRI)

晴れ。台風一過の爽やかさ。





メッツ戦の4回、右に適時二塁打を放つカージナルスの田口。田口は 適時打2本を含む4打数4安打、2打点2得点1四球と活躍し、11−4の勝利に貢献した(20日、ニューヨーク)(時事通信)
 『二つの川越氷川神社』

 一人で、しかも行ったこともない川越氷川神社へ行った。

 それはそれは分かりづらいハガキに印刷した地図と、I-Netから取り出した川越インターから川越駅まで地図のプリントのみを頼りにして、カーナビもなく、殆ど土地勘もない川越インターを降りるのである。

 料金所で千円なんぼかの高速代をカードで支払い、国道16号をさいたま市・川越市街へ走らせる。間もなく行くと16号が大きく右折。鉄道の陸橋をすぐに渡り三つ目の『新宿3』と書いてある交差点を『川越駅』方向へ左折する。地図上にあるゼネラルのスタンドもあった。「間違いない!楽勝だ!」

 そこを曲がると間もなく「氷川神社と氷川会館があるはずだ。」と思っていた。
道路はにわかに混みだし、あるべき場所に一目で分かるだろうはずの、それは大きいと思われる氷川神社が見あたらない。不安は募るが、混雑している道路に車を止めるわけには行かず、何と川越駅まで着いてしまう。

 『イカンこれは間違えた。』と思い駅前ロータリーをひとまわりし、来た道を戻る。
16号に出るすぐ手前を右折してみる。間もなく行くと神社らしき杜が見えた。

 しかし、とても会館があるような神社ではなく、それはそれは小さな神社である。しかし鳥居の名前を見ると『氷川神社』の文字があり、地図と見比べると確かに地図の場所と一致しているのだ。

 「氷川神社はもう一つあるんだ。」と瞬時に気づいた私は、偶然に通りすがった自転車に乗った主婦に道を尋ねる。
 古くなったシーマだが主婦に車で近づき、助手席の窓から声をかけると、今時らしく何と私の事を警戒し、一瞬かわそうとする気配も感じられたが、「氷川会館はどこですか?」の問いに、「駅の反対側で全然離れていますよ。16号をずーっと走ると看板が出ている。」の答え。「地図が逆で氷川神社が二つあったのだ。」

 しかし、案外分かりやすく教えてくれた主婦のおかげで、国道16号をさいたま市方面へ走り、国道254号を左折し、川越初雁球場を左に見て間もなく「氷川神社」の看板が見えたのは3時50分。総会開始10分であった。

5月19日(WED)

雨。台風がやってくるらしい。半袖Tシャッ一枚で過ごしている。




 何とと言うべきか、やっぱりと言うべきか、40歳と8ヶ月で完全試合を達成したランディジョンソンさん。しかし、私より全然若い。
 『HARVEY MASON』

 夕飯に蕎麦を食べ、食後に牛乳を一杯のみ、部屋に行き月曜日から聴いているHarvey-Masonのアルバムをかけたのである。

 私の大好きな『FUNK IN A MASON JAR』(1977年発売)を聴き、改めてMavin Gayeのカバー曲「What‘s Going On」でGeorge Bensonのギターソロの、それはそれはメロウな素晴らしい70年代を思い出し、「Set It Free」(フットルース・トップガンでお馴染みのKenny Loggins作)では、Tom Scottのそれは大得意なティナーソロを思い出し、先日買ったNOEL POINTERのアルバムタイトルと同曲の『PHANTAZIA』では、Bob Jamesのらしいピアノソロを聴き、挙げ句の果ては私が最初に買った『Earth Mover』で、この人の作品を聴くきっかけとなった「K.Y And The Curb」まで聴く結果となったのである。(懐かしいが、いいものはいつまで経っても素晴らしい)

 Harvey-Masonのソロ作品は、1970年後期中心にしか出していないので、当然紙ジャケットのLPレコードしかない。アナログレコードだけを聴けばよいの話で、特別にきっかけがなければCDも買うこともないであろう。

 ただ今晩聴いたHarvey-Masonの影響か、Amazon.comでMarvin Gaye の『What's Going On [Bonus Tracks]』とMARLENA SHAWの「WHO IS THIS BITCH,ANYWAY?」を思わずNet注文してしまう私なのである。

5月18日(TUE)

晴れ。PM9時を過ぎるが半袖シャッで充分



 『45歳・・・PRINCE』

 本当はYAZAWAおじさんより、この人の60歳を過ぎた姿と音楽を体験したいのかも知れない。


 昼過ぎのTBSラジヲ「それ行けマッピー」だったっけ?で、同級生PRINCE(とはいっても同じ学校ではないのだが)の『Musicology』が萩原健太氏の紹介と解説で流された。
 何でも明日が日本発売と言うことであり、移籍したビクターレコードの影響か?とにかく珍しい時間帯に流されたのである。

 何を隠そう、このアルバム『Musicology』を4月末日には入手していた私は、既にアルバム全体を程良く(飽きない程度に)聞き込んでいたせいもあり、突然に流れてきた懐かしい?音源には偶然も重なったせいで、とりあえず感激もしてみたものなのである。

 つい先日の日曜日も、車中ずーっとこのCDを聞いていて、「PRINCEも高音のセクシーヴォイスが出なくなったなぁ。」とか、「ミディアムテンポの曲は、まるで去年出たフォーククルセイダースみたいだなぁ。」とか、「ほとんど全部の楽器を演奏し、録音してるなんてぼろ儲けしちゃってるなぁ。」とか、「同い年なのに私とどうしてこれほど才能が違うものなのかなぁ。」とか、「皇太子も聞いたことぐらいあるのかなぁ。」とか、「いい歳こいて(45歳になって)よく買い続けているなぁ。」とか、ひとりレビューを頭の中で考えていたのであった。 
 
 まぁ私如き、生涯のうちに一つくらいこんな変な道楽があってもいいのかなぁ。

5月17日(MON)

晴れ?。PM9時になるがTシャッだけで充分である。



この人が民主党代表になる。年金は払っているらしい。
 『国民の??』

 やはりと言うべきか、小沢さんまでもが国民年金を払っていなかったのである。

こうなると小泉さんは益々高笑いで、今週土曜日に北朝鮮へ訪問し、金正日総書記長と何故か意味深な固い握手を交わし、拉致家族でも奪回してくる様なことがあれば、小泉さんにはもう怖いものは何もなくなってしまうのであろう。

 年金を完全に払い続けてきた日本国民は何故怒らないのだろうか?
皆、「完璧に払ってきた。」と大きな声で言える自信がないのであろうか?

 嗚呼「これでよいのか」「これじゃ悪いのか」私にはよく分からなくなってきた。しかし、どことなく騙されているような、いないような不思議な感じがするのは私だけだろうか?。
 日本国中、このままいつまで小泉さんの思うがままに操られてしまうのだろうか?

5月14日(FRI)

曇り。すこし蒸し暑いが夜は爽やかである。
 『キャリアや人格を否定する動きがあった・・・・・。』

 確か私よりひとつ年下の皇太子さまが、(奥さん)皇太子妃雅子様の苦悩について、言葉を選びながらも異例の発言をされた。同じ人間として?生を受け、お金や生活には何の不自由もなく、育ちも良さも並はずれ、それはそれは温厚そうな浩宮さまでさえ怒りを覚えている。と言うことなのだろう。我々とは違い、その苦悩もきっと計り知れないものなのであろうか?。


5月11日(TUE)

晴れ。真夏日30℃以上の気温になったらしい。




 『エスケープ』

 私の記憶の中で、今でも鮮明に残るそれは古い記憶がある。

それは昭和39年か40年の何れかの年だ。私は、危険が満ちた現在ではとても考えられないだろうが、家から歩いて1q以上離れた保育園へひとり歩いて通っていた。小学校へ上がる前なので5歳だったのだろうか?

 その当時は家の鍵などろくに閉める習慣がなかったのだろうが、今で言う私は鍵っ子であり、いつものように一人、家を出て、保育園への道のりを歩んだ。

 多分いつも歩んでいた道に違いはない。石屋の前の細い路地から駅通りを右折し、暫く歩くと駐在所があり、隣には今は無くなってしまった風間医院があった。
 私はそこまでまで来て、後ろを振り返るとると、駐在所の前で保育園の先生が自転車に乗ってこちらにやって来るのが偶然にも見えてしまった。

 それを見た瞬間、子供心に何を思ったのか、咄嗟に風間医院の入り口付近の大きな木陰に何故だか隠れてしまったのである。

 その行為がよほど後ろめたかったのだろう。木陰に隠れた私は、先生が木陰の前を通り過ぎるのを確認するまで隠れ、先生が自転車で走り去ると、私は来た道を真っ直ぐに家へ引き返してしまったのである。

 私が隠れた木陰も、風間医院も今はすっかり無くなってしまったが、40年前に隠れた木陰の緑の清々しさは今でも鮮明に脳裏に残って離れない。
 季節は今頃だったのか、私の性格の一部を形成したと思われる、古い記憶のひとつであるに違いない。



5月9日(SUN)

曇りのち雨。夜は曇り。
 『感触』

 今でもこの手に残っている感触は何年ぶりだろうか。

 この歳になり、思ってもいなかった我が野球チームのスタメンでキャッチャーマスクを被らなければならなくなった。私が初めから出場するこういう状態は(しかもキャッチャーとして)、我がチームにとり決して安泰ではなく、危機的状態に違いはない。

 初めはようやく2イニングだけでも守れればいいと考え始まった試合は、3回まで接戦となり何とか1対2と試合を作った。対戦チーム『弥生』はチーム創立以来(25年以上)一度も勝利したことがないチームである。相手の投手はじめ選手は、当然私よりも一回り以上若く、下手をすると私の娘と同年代である。彼らから見れば年寄りで打順が9番の私は、確実にワンアウトをとれる安牌カモなのである。

しかし、そんなロートルと思われていた私が始まってみると、何を間違ったのか・・・

 初打席、案の定投手の重そうなスピードボールについていけず三球三振。
 第二打席は3対2と逆転したところで、ワンアウト2.3塁からまた三振と思われた私は、執念のレフト犠牲フライで1打点。(よく当たった。しかし完璧に打ち取られていた)
 そして第三打席・・・・先頭8番バッターのM野氏が右中間2塁打。続く9番の私、カウントも覚えていないほど夢中だったのか、一振りした打球は自分で言うのも何だが痛烈なレフトオーバー。ライナーの打球は瞬間にそれと分かる本塁打。まるで先日のゴルフで圧倒的な飛距離?で獲得したドラコン賞を取った時のドライバーショットにも似た感触。

 これまで生涯何度か経験した感触ではあるが、45歳にもなってこの感触が味わえるとは夢にも思っていなかった。この先この感触を味わうことがあるのかどうかも分からないしその可能性は極めて無いか低いのである。

 終わってみれば6イニングマスクを被り、9−2のコールド勝ちで『弥生』から20年来の初勝利をあげたのである。

5月8日(SAT)

晴れ?かなり暖かい。
 『窮地』

 若き党首、管直人氏も窮地に立たされたものである。
もうこれ以上の弁明は、菅直人氏持ち前のクリーンで正々堂々とした政治姿勢を、かえって笑わせてくれる茶番劇を益々増長するようで、悲しいくらい笑えなくもない。
 やはり百戦錬磨の自民党の方が、だてに政権政党を担っているわけでなく、選挙も結果上手いが、トータルで政治が上手と言うことなのだろう。
 しかしかつての青年代議士も、奥様ともども老けたなぁ。そして疲れているなぁ。

5月5日(WED)

雨〜小雨〜曇り。少し寒いのか?
 『ゴルフ練習場』

 3日・4日の夜、それは隠れるようにゴルフ練習場へ通ったのである。しかも何年かぶりに・・・・。しかも遠方の境町まで遙々と・・・。
 
 2月に今年初めてゴルフをし、初めてスコアをつけることを断念(ギブアップ)してしまった。それは自分の成績を数字に表すのも耐え難いほどに、惨めで悲惨なゴルフをしてしまった結果とも言える。
 その時『もうゴルフはいいや。』と言うより『ゴルフはイヤ。大嫌い』と言う気持ちにさせてくれたのは言うまでもなかった。

 それ程大嫌いになったゴルフの練習を、何故二日も続けてしなくてはいけなかったというと・・・・・・・・本日開かれたLI○NS-CLUBの親睦ゴルフコンペの委員長を仰せつかり、20名程の参加者ながら、全てを取り仕切らないといけないからであった。流石にこういう状況だと“大嫌い”となったゴルフをしない訳にはいかない。ブービーメーカーでもBB賞でも何でもいいから最低、スコア提出を出来る位の数字を残さないと話にもならないのである。

 3日夜(初日)・・・・・久し振りに握ったアイアンは8番。20球ほど打ってみるが、別段異常はなく、まずまずのショットが出る。続いてドライバーティショット。左右に多少はぶれてはいるが、さほどびっくりするほど悪くはない。20球ほど打ち、手首の返しやバックスイングをチェックし、フックボールやスライスボールを打ち分けてみる。なるほど、なるほど、悪くない、調子が出てきた。『当たるじゃないか』・・・・
 何気なく20数年来バックに入っていて、何故か一度も本番で使ったことのない5番ウッドを打ってみる。クラブは少し短く、ヘッドも少しは小さいが他のクラブと対して違いないはずである。ところがところが、「何だこのクラブは?」まるでヘッドがないシャフトだけで打っている感覚であり、当然ボールもシャフトで打っているようなへなちょこボール。これはまずいと、調子の良かった8番アイアンを慌てて打ってみる。しかし何度打っても芯で捕らえる感覚は無くなってしまった。これは間違いなく2月の最悪不調なスイングそのままである。イヤな感覚を思い出してしまい、焦る私は次々と持ち変えるクラブから快音を聞くことはなく120球打ち終わった。しばしボーゼンとし、するあてもなく素振りを何度かくれ、帰りに無駄とは分かっても気休めに本屋でゴルフ雑誌を購入してくる。
 『・・・・嗚呼練習なんかするんじゃなかった。』・・・・・

 4日夜(二日目)・・・・・『練習なんか・・・・』と思ってみたが、昨夜の惨めなスイングがやはり脳裏から離れずに、「もう今日しかない」と、焦燥感が私を襲う。『ダメでもいいや、50球でも打ってこよう』
 昨夜と同じ8番アイアンから打ち出し、アプローチまでショートアイアンでボールを芯でヒットすることだけを心がける。腰がスライドするのだけは注意して、打つ打つ打つ。30球ほど打ち続け、次はコースを想定し充分に時間をかけたドライバーティーショットを打ち始める。しかしこんな練習も、所詮気休めに過ぎないのは分かっているのだが。
 『まぁ明日は腰がスライドするのと、バックスイングを真後ろに送り出すことだけを注意しよう』正直今となっては講じる策は何も無いのである・・・・・・。
 

5月2日(SUN)

穏やかな晴れ

 『Kristanna Loken』

 
『ターミネーター3』のビデヲを借りていたが、1週間過ぎて返却日を迎えるもまだ見ていなかった。
これでは何のために借りたのか分からないので、返却日5月1日を過ぎ5月2日の早朝?午前2時過ぎから見はじめて、どうにか見終えたのである。誰もが寝静まる深夜、個性的以外何者でもない女ターミネータが、とても魅力的に感じたのは私だけだろうか?

4月29日(THU)

雲一つもない快晴。
 『ADバンで浅間山』

 得意先に朝一で納品があったので午前8時20分に出発。
上里のファミリーマートで、1Lのミネラルウォーターとドトールコーヒーと朝食用のパンを購入しさらにADバンを走らせる。高崎〜榛名〜倉淵〜二度上がり峠〜北軽井沢へと11万キロを走行したバンにとって、この峠はややきつそうであったが、私の一番のお宝とも言えるレコードを運ぶためでやむを得ないのである。
 それでも10時少し過ぎには北軽井沢に到着した。

4月28日(WED)

晴れ。だが強風。



 『天使がくれた時間』

 確か月曜日の深夜1時20分だった。正確言うと火曜日の早朝とも言えるが・・・

それはいつものように風呂から上がり、眠る前の僅かな時間を惜しむようにTVのスイッチを付けた。
 TV画面には偶然にも「ニコラスケイジ」が大写しになり、丁度深夜映画が始まった所であった。しばしぼんやりと画面を見つめていると、ニコラスケイジと、私好みの美人で可愛い女優が空港で別れのシーンを演じているところであった。 偶然と言うべきか、当然と言うべきか、たまたまそのシーンを見入ってしまった私は、その後、自身の体力の極限と思われる午前3時までこの映画につき合う羽目になってしまった。翌朝6時45分にやっとの思いで目覚め、昨日の新聞で深夜映画のタイトルを探した。『天使がくれた時間』〜THE FAMILY MAN〜・・・・・・結局さすがに最後までは見ることは叶わなかったが、近日中この映画を再度見直す事になる事は間違いなさそうである。
 昨夜の眠りを惜しんだ時間は私にとって『天使がくれた時間』となるのかどうか?
 まぁこの年になり、興味がひとつ増えたと言うことで・・・・・・・・。

4月27日(TUE)

曇り一時ほんの小雨。
 深谷駅前『一力本店』での食事

 PM5時から熊谷H人会青年部の正副部長会議&総務委員会なるものがあった。
 暫くこの会合に参加していなかった事と、総務委員であるK田氏が出席する事と、何はともあれ、私自身が副総務委員長である事に初めて気づき参加した。

 会場は深谷駅前の『一力本店』で、午後4時40分までパソコンの前ではかどらない仕事をし、急いで身支度を整え、午後4時50分には自宅を急いで出て、午後4時54分の列車に乗り込んだのである。
 結果午後5時の開会には滑り込みで間に合い、何とか目的の?会議には出席できたのである。それは、どちらでも良い?2時間弱の会議を耐え忍び、終了後気取った田舎料理屋の和食をビール二杯と、焼酎の水割り1杯半でいただき『一力本店』を後にする。別段馴染みの店があるわけでもないので、歩いて数分の駅前の居酒屋へ偶然にも寄り込み、ウーロンハイを2杯いただき居酒屋メニューで夕食としたのである。K田氏と久し振りのお酒に、「一年に一度あるかどうかのこんな夕食もいいだろう。」と帰宅したのであった。

4月26日(MON)

晴れ。この時期らしい天候か?
 大宮駅西口『日高』の食事

 土曜の夕食はグラスビールとミニ春巻き、餃子と中華そばで済ませた。

日曜日は大宮のソニックシティへ行く用事があったので、時間的に駅前で昼食・・・と言うことになってしまい、結局T田先輩お奨めの「日高」と言うラーメン屋、(どことなくTVドラマ「渡る世間は鬼ばかり」の「幸楽」風の)西口駅前の店に入った。

 それはそれは正午少し前というせいもあり、店はごった返していたが偶然にも相席をひとつ作っただけで10人全員が着席できたのである。
 とりあえず、昨夜と同じビールをいただき(10人だから10本程か?)、“いつも100円”と言う餃子をいただき(ここまで昨夜と同じメニューだ!)ラーメンでは2食連続の同じ物を喰う羽目になるので、固焼きソバをひとりだけ注文したものである。

 しかし、この店、見かけによらず?『餃子』も『固焼きソバ』もなかなか美味く、何と言ってもあの混み具合、あのスタッフ人数にして手際よく、ビールグラスはかなり曇っていたものの、気どりのない値段がリーズナブルな店であった。
 何とびっくり10人で1万円を払いお釣りがきたのである。 

4月22日(THU)

晴れ。真夏並の高温になり午後10時を過ぎてもTシャツだけで過ごしている。
 『真夏日』

 ここは沖縄か・・・・・?

 朝晩は少し涼し気もするが、ここ数日、晴れると気温が30度を超すような高温である。世間ではまだこの異常さに気がついていないのか、私だけが異常に心配しているのか、まだほんの数日前に、桜が散ったばかりの4月の下旬なのにである。

 確か一日の最高気温が30℃以上になった日のことを真夏日と言い、夏日は最高気温がたったの25℃以上になった日の事を言うらしい。
 となると、ひいき目に見ても今の季節は間違いなく夏であり、地球が過去数年の平均値では計り知れない事態になっているのは間違いなさそうだ。

4月21日(WED)

晴れ。朝晩は4月らしい気候なのだが、
 『アラー、アクバル』

 結局の所、やはり戦争は終わっていないということか。?
テロリスト?サダム・フセインを捕らえることに成功した米国は、フセイン無きあとの、イラクの平和と自由を実現させるのかとばかり思っていたのだが・・・・・・・。
(20数年後にはイラク出身のMLBの選手も誕生するかと思ってもみたのだが・・・・・)

 どう見ても侵略してるのはアメリカにしかみえない。
 無知で平和ぼけしている私には、誰の為の戦いなのか?何の為の戦いなのか?
  ・・・・・・正直、よく分からない。

4月18日(SUN)

晴れ。4月なのにまるで五月晴れ。
 『17歳の差?』

 何と早いものか、4月末の日曜日の午後。
 有難い事に仕事をさせてもらっている。当然「何で俺だけ日曜日まで仕事を・・・」何んて考えは更々ない。日曜日まで仕事をさせていただき本心から有難く思うばかりである。
 しかし、こんな刺激的ではない(まるで老人のような)考えを私が思いつくのは、心身共に充実しているから?かもしれない。

 昨夜、私より17歳?も年下のI島君が久し振りに、ウスキングベークルをたくさん持って来てくれた。午後9時30分頃来て、11時頃から用事があると言っていた彼と、結局は午前0時30分頃まで話し込んでしまった。約17年も離れた彼とは不思議なことに、実に不自然ではない不思議な会話が弾むのは、彼のものの考え方が老けているのか?私の考え方が幼いのか?
 まぁ、私が彼と同年代であったら、間違いなく友人となり得ないタイプの人間であるに違いない。

4月16日(FRI)

晴れ。この時期にしては猛暑?。
 『本領発揮?・・・・・私が言ったのではありません』

 昨日、何かと大問題になり、別の意味で日本中を騒がせた三人がイラクで解放された。この一件に対し、参議院議員・鴻池祥肇氏が本領発揮の大辛口で以下のように斬った。

こうのとりが運ぶ国会通信
 第112号 平成16年4月16日
                        参議院議員 鴻池祥肇

 先週には咲き誇っていた芦屋川畔の桜花も、今日はすっかり青葉の並木道に変わりました。そして、緑の光の飛びかう季節となりました。

 さて、事件が明らかになってから1週間。昨夜、あの3人は解放されました。
明日の午後にはドバイを経由して帰国するそうです。何かを口にいれ、それを食いながらもごもごの34歳の女。泣きじゃくって、「まだ続けます」「イラクを嫌いになれない」と。「ご迷惑おかけし、誠に申し訳ありません」となぜ言えんのか、34歳にもなって。

 どう考えてもあの3人も、その家族も異様としか思えません。TVの前で泣きじゃくったり、反戦デモ隊と一緒になって人権演説をした家族。無事を確認すれば自分達の「支援者」にだけお礼を言っていますよ。雪山での救出の費用は全額本人負担です。念のため。

 日本歯科医師会の臼田会長が逮捕されました。また近々、BSE対策にからんでの不正問題が大きく浮上します。

 桜花はまた来年も咲いてくれます。日本人の昔からの美徳や自制心は、散ってしまってもう咲かないのでしょうかね。

4月16日  午後2時半  自宅にて


 くれぐれも、私が言ったのでは・・・・・・。

4月14日(WED)

曇り。夜は雨。少し寒い。
 『睡眠時間』

 相変わらず忙しさに身を任せて過ごしている。眠るのは早くても午前2時過ぎで、少し度を超すと午前3時を回ってしまう。午前7時前には起床するようにしているので、睡眠時間が長くても5時間程、4時間だと流石に短いような気がするのでそれ以上は寝たいものなのである。

 だからか、昼食後は極力昼寝をするようにする。しかし、いいとこ長くて15分程度しか時間はとれず、結果、仕事中パソコンに向かっていると異常なほどの睡魔は免れない。私がこんな社員を持った会社の社長なら、間違いなくクビだな。

4月11日(SUN)

午前11時。曇っているが、紺地のTシャツ一枚で過ごしている。
 『日曜日・深夜〜早朝』

 私一番の愛蔵書「ADLIB」を棚に整理していたのと、M木氏が図書館で借りた本を、また借りで読んでいたので決して早い就寝とは言えなかった。

が、
南枕で寝入って一時間も過ぎた午前3時10分に、とてもイヤな夢で目が覚めた。あまりに残酷でリアルな内容をここに記す事は出来ないが、早朝久々のパティオからの帰宅後、すぐさま愛犬プリンスの様子を見に行ったのは言うまでもない。

 早いもので、もうチューリップの花が最盛期を迎えている。本当に久し振りに取り出したEOS-3も私に対し、どことなく他人行儀に感じてファインダーを覗くも思うような被写体がなかなか見つからず、ほんの数枚しかシャッターを押すこともなかったのである。


 『・・・・参議院議員 鴻池祥肇』

 他の政治家と視点の違う言動に好感が持て、メルマガを購読している。
昨日来たメールマガジンにこんな一説があった。(以下抜粋コピー)

 イラクで大変なことが起こってしまいました。外務省から邦人の撤退また入国に対しての厳しい注意を無視して入国した3人の日本人が、武装集団に拉致されました。「日本政府は3日以内に自衛隊の撤退を決定せよ。さもなくば3人を燃やす」と。昨日の政府は「自衛隊の撤退はない」と明言。

 人道支援という美しい言葉。やさしい行為。誰も「ノー」と言えるものではありません。その3人も美しい、やさしい心情のイラク入国であったでしょう。しかし、イラク国民にそれが通じるかどうかは自らの判断であるし、
危険を承知の行為ならば最終的には自己責任の覚悟が必要なはずです。

 彼らの家族は「命に別条ない形で帰ってほしい。その為に自衛隊を撤退してほしい」と。TVのコメンテーターはあなたの子供や孫がイラクでこうなったら同じ思いになるでしょうと。なに云うか!!私の子供や孫は「行く」とも言わないし「行く」と言っても行かせませんよ。

 
ウーン、実に明解だなぁー。


.4月10日(SAT)

晴れ。気温が24℃まで上昇したらしい。
 『泥沼』

 アメリカではMLBが本格的に開幕したと思っていたら、数日前イラクから「日本人ボランティア拉致で自衛隊のイラク国内からの撤退要求」という、とんでもないニュースが飛び込んできた。
 当然、待ってましたとばかりに日本国中大騒ぎとなったが、日本国民大半の感情は、小泉氏や政府の考えと同じ『断固自衛隊の撤退はしない』と頑(かたく)な意見が多い。

 私もどちらかというと、即時撤退には賛成できない。さぞかし被害者、被害者家族は藁にも縋る気持ちは十二分に察しは出来るが、一国の軍隊(自衛隊)が世界平和の旗印の下に、イラクの復興と自国の国益・・?を掲げ大金と人力を勇気を持って正々堂々と注ぎ込んでしまったのである。
 そう簡単には引き下がれないのが世の常であろうか。

 これまでは事なきを得ていた我が日本国も今度こそ本当に、目に見える深き泥沼に引き込まれてしまうのかも知れない。どうする日本。

4月7日(WED

晴れ?暖かい。











 『数年後にもっと価値の出る?NEWS』

 今日は朝からこのニュースでもちきりであった。
特別に松井のファンと言う訳ではないのだが、偉大なものにチャレンジする人は年齢に関係なく尊敬に値するのだ。


  ◆松井稼の打席別結果
  第1打席 1回 中越え本塁打 打点1
  第2打席 2回 右翼線二塁打 打点1
  第3打席 3回 押し出し四球 打点1
  第4打席 5回 右中間二塁打
  第5打席 7回 敬遠四球

BEFOR

頭央「1番・遊撃」デビュー

 メッツの2004年は、松井稼のフルスイングから始まる。アウエーのアトランタで迎える開幕戦。昨季21勝のナ・リーグ最多勝男、ブレーブス先発オーティスの初球、「1番」の松井稼は目一杯、振りに出る。

 3月8日、初めてのオープン戦。第1打席の第1球をフルスイングした。「こういう区切りの日には初球からいくタイプなんで」と松井稼は話している。日本時代のプロ初打席は95年4月9日、「雨の中で芝草さんからレフト前に打ったことを覚えています」。メジャーリーガーとしての公式戦初打席となれば、より悔いは残したくない。「(オーティズのビデオは)まだちゃんと見てない。スタイル、タイミングが合った中で振っていきたい」と宣言した。

 試合前日のこの日は、ブレーブスの本拠ターナーフィールドで前日練習を行い、メジャーリーガーとしての初舞台を入念にチェックした。「雰囲気いいですよね。土も芝も問題ないと思う」。アトランタ五輪のメーン競技場から改装された同球場。雲一つない青空と緑色の芝のコントラストをまぶしそうに眺めた。

 先発グラビンは「今年はチームの守備がよくなった。カズが遊撃に入って、二塁にはホセ(レイエス)やジョー(マクユーイング)が入って頼もしい」と信頼を寄せる。1番・遊撃での先発出場を明言したハウ監督は「守備面では堅い守備を。打撃ではこれから真価を発揮してくれるはず。潜在能力に疑いはないのだから」と語った。

 プレイボールは米東部標準時間午後7時35分(日本時間午前8時35分)。スタンドには美緒夫人、長女・遙南ちゃんが駆けつける。プレイボールのコールの直後、松井稼がフルスイングしたボールはどこへ飛ぶ。
(スポーツ報知)


AFTER

松井稼が初打席本塁打 大リーグデビュー戦で3の3

【アトランタ(米ジョージア州)6日共同】米大リーグ、メッツに入団した松井稼頭央内野手(28)は6日(日本時間7日)、アトランタのターナー・フィールドで行われたブレーブス戦で開幕を迎え、1回の初打席で先頭打者本塁打を放つなど3打数3安打3打点の鮮やかなデビューを飾った。
 松井稼は「1番・遊撃」で先発出場。昨季ナ・リーグ最多勝のオルティス投手と対戦し、プレーボール直後の1球目を中越えに本塁打した。メッツ選手の初打席アーチは21年ぶり3人目、開幕戦では初の快挙。
 その後も右翼線二塁打、押し出し四球、右中間二塁打、敬遠四球と快打を連発し、メッツは7−2で快勝した。
 松井稼は西武時代に7年連続の打率3割以上、盗塁王3度など日本球界屈指のリードオフマンとして活躍し、日本人初の内野手として大リーグに挑戦した。オープン戦では打率1割台と不振に苦しんだが、開幕戦で見事な活躍を見せた。
(共同通信)


メッツの松井稼、初打席で本塁打
=3安打3打点の鮮烈デビュー−米大リーグ

 【アトランタ6日時事】プロ野球の西武からフリーエージェント(FA)となって米大リーグのメッツに入団した松井稼頭央内野手(28)が6日、当地で行われたブレーブスとの今季開幕戦に1番遊撃で先発出場。1回先頭の第1打席でオルティス投手の初球をとらえ、中越えの先制本塁打を放った。この日は全5打席で出塁、3打数3安打3打点の活躍で7−2の勝利の原動力となった。 (時事通信)


MLB=メッツ松井稼、メジャー初打席で本塁

[ニューヨーク 6日 ロイター] 米大リーグ、メッツの松井稼頭央内野手は6日、敵地ターナー・フィールドで行われたブレーブス戦に先発出場し、メジャー初打席で先制本塁打を放った。
 1番ショートで先発した松井稼は1回表、ブレーブスの先発オルティス投手の初球を狙い撃ちした。
 松井稼はさらに、2回の第2打席でも勝ち越しの二塁打を放ち、鮮烈なメジャーデビューを飾った。
(ロイター)


<松井稼頭央>初打席初球を本塁打、3安打3打点デビュー

 日本人初の内野手として大リーグに挑戦しているメッツの松井稼頭央が6日、ブレーブスとの今季開幕戦でデビュー。一回表の初打席で、初球をたたいてセンターバックスクリーンへ飛び込む初本塁打を放った。その後も3打数3安打3打点の活躍で、オープン戦での不振を一気に吹き飛ばし、チームを7−2の勝利に導いた。
(毎日新聞)


「これで本当のメジャー」 快打に日本球界は驚嘆の声

 米大リーグ、メッツの松井稼頭央内野手(28)が6日(日本時間7日)、ブレーブスとの開幕戦で初打席の初球を本塁打して鮮烈デビューしたことに、日本球界では驚きと祝福の声が相次いだ。
 松井稼が昨年まで在籍した西武の伊東勤監督は「これで本当のメジャーリーガーになったな」と褒め、自らも大リーグ挑戦の夢を持つ松坂大輔投手は「すごかったですね。敬遠(四球)もされたし、見ていて感動しました」と、先輩の大活躍に心を奪われた様子。
 大リーグの厳しさを熟知している2人も、松井稼のプレーぶりを素直に評価した。メッツの前監督で、今季からロッテを指揮するバレンタイン監督は「センターに本塁打するのが非常に難しいターナー・フィールドで打ったということは、圧巻の一言」と驚嘆した。
 昨季メッツに在籍した日本ハムの新庄剛志外野手は「プレッシャーの中で初球から打てるなんて、すごさを感じる」と心底驚いた表情だった。
(共同通信)


メッツの松井稼、初打席で本塁打
=3安打3打点の鮮烈デビュー−米大リーグ
(時事通信)

 【アトランタ6日時事】プロ野球の西武からフリーエージェント(FA)となって米大リーグのメッツに入団した松井稼頭央内野手(28)が6日、当地で行われたブレーブスとの今季開幕戦に1番遊撃で先発出場。1回先頭の第1打席でオルティス投手の初球をとらえ、中越えの先制本塁打を放った。この日は全5打席で出塁、3打数3安打3打点の活躍で7−2の勝利の原動力となった。


夢見心地でベース1周 松井稼、先頭弾など3安打

 夢心地でベースを1周した。メッツのハウ監督は「おとぎ話みたいだ」と言った。
 開幕戦の先頭打者として、初打席初本塁打の鮮烈なデビュー。松井稼は「かなり速くベースを回っていたと思う。初球を本塁打できたということで、今までにないぐらい興奮したし、あっという間に(本塁まで)かえってきた」。上気した顔つきで言った。
 キャンプでは苦難の連続だった。右手中指のけがに始まり、大リーガーのくせ球に戸惑いノーヒットの日々。右手首痛もあった。
「野球人生で最高の試合?」と問われると「もちろん」と間髪入れずに答えた。「キャンプで少し苦しんだ中、開幕でこういう形で打ててチームも勝った。一番うれしい」。喜びをかみしめるように、ゆっくりした口調だった。
 2本の二塁打を含めて3安打3打点。いきなりの派手な活躍で、2戦目以降は間違いなく相手バッテリーのマークが厳しくなってくる。スコアラーらによる分析も急ピッチで進むだろう。そのときの対応いかんで、真の評価が定まってくる。
 「挑戦」は始まったばかりだが、心配する必要はないだろう。公式戦に入って「集中力が出たと思う」という28歳は、オープン戦で苦しんだことで「自分本来の形」を見つめ直すことが十二分にできている。
(アトランタ共同)


松井稼が差し出した忘れ難い「名刺」
「KAZUO INSIDE」 VOL.3(前編)
大リーグに乗り込んだ松井稼の強烈な「あいさつ」

 日本にいるときと、北米を拠点にしているときでは、名刺の減り方がまったく違う。まず名刺を交換してからでないと、話し込んではいけない雰囲気が日本にはあるが、北米ではまずあいさつと会話が先にくる。親しく話し込んでから、「ところで……」と名刺を差し出すのが普通だ。もちろんそれは取材する側の話で、大リーガーはほとんど名刺を持たない。それとサイン色紙という便利なものが普及していないので、球団か、選手個人で、たいていファンサービスに一貫として、選手の写真をプリントしたものを用意している。

 しかし、大リーグに乗り込んだ松井稼頭央の差し出した「名刺」は、そのどれよりも強烈な印象と清らかな感動を人々の胸に刻んだ。開幕戦の初打席で初球をいきなりバックスクリーンへのホームラン。まだ花火と戦闘機で演出されたセレモニーの余韻がグラウンドには残存している最中、松井稼はちょっとヘルメットに手をやってから、小さく会釈して左打席に入った。ブレーブスの栄えある開幕投手は、昨年に21勝を挙げたラス・オルティーズ。超一流だ。
 ファンにとってはドラマチックこの上もなく、相手ピッチャーにとっては絶対に忘れられない、とんだ「あいさつ」があったものである。

 この2カ月、長い道のりだった。右手中指の裂傷、右手首の炎症にみまわれ、オープン戦の打率は2割を割った。天然芝の守備にも悩んだ。

「松井稼がトップバッターになれるのには時間がかかるのではないか?」
「ほかに候補は考えていないのか」
 地元ニューヨークのマスコミは連日、アート・ハウ監督に容赦のない質問を浴びせたのだが、
「松井稼頭央は才能豊かなプレーヤーだ。ここまで順調に仕上がっている」
 とガンとして譲ろうとしなかった。また、松井稼の方もどっかと腰を据えていて、こういうときにありがちな夕飯後の特打ちとか、はたまた取材陣のシャットアウトとか、余分なパフォーマンスは一切行わず、淡々と練習をこなす様子はかえって異彩を放っていた。

「正直ケガには戸惑いましたが、考えようによっては今の時期で良かった」
 という言葉も、言い換えれば、正面から「大リーグ」に立ち向かい、これまで外から見聞きしていたものを体内に取り入れ、熟成させる期間が持てたということなのだろう。


【MLB】松井稼、衝撃デビュー!
 本塁打&2二塁打でメッツを勝利に導く
(ISM)


【ジョージア州アトランタ、6日】ターナー・フィールドで行われたアトランタ・ブレーブスとの開幕戦に1番ショートで先発出場したニューヨーク・メッツの松井稼頭央遊撃手は、初回にいきなり先制弾を放つと、その後の打席でも二塁打2本と大活躍。鮮烈なメジャーデビューを飾り、チームを7対2の勝利に導いた。

 プレーボール直後の初球、「ストライクがきたら思い切り行こうと思った」と言う松井は、ブレーブス先発のラス・オティース投手が投じた真ん中やや高めの甘い球を見逃さずにバックスクリーンへ叩き込んだ。この結果には本人もさすがに驚いたようで、試合後「まさかホームランになるとは」と苦笑いしていたが、この日の松井は絶好調。2回2死二塁の打席でも、ライト線へのタイムリー二塁打を放ち、さらに3回2死満塁の場面では、ブレーブス2番手ホアン・クルーズ投手に対してフルカウントまで粘ったあと、7球目のボール球を見極めて押し出しの四球を選んだ。

 最初の3打席で3打点を稼いだ松井の勢いはその後も止まらず、5回2死走者なしの場面では2ナッシングと追い込まれたあとの3球目を右中間に弾き返して、この試合2本目の二塁打を記録。そして7回2死二、三塁のチャンスで迎えた5打席目は、なんとブレーブスベンチがバッテリーに敬遠を指示して5度目の出塁を果たした。3打数3安打、3打点、2四球と、切り込み隊長としての役割を完璧に果たした松井は、守備でも無難なプレーを披露。ゴロが来ることはなかったが、フライやライナーをさばいたほか、ダブルプレーを2度成立させている。

 試合は、松井に引っ張られたメッツ打線がオティースらブレーブス投手陣を攻め立て、4回までに7得点。主砲マイク・ピアッツァ捕手も今季第1号を放ち、メッツがストでシーズンが打ち切りとなった1994年を除き12年連続で地区優勝しているブレーブスを撃破した。メジャーデビュー戦で最高のパフォーマンスを見せた松井は、「チームが勝ったなかで、勝利に貢献できてうれしい」と素直に喜びを表した。


稼頭央、ド肝抜く130メートル弾デビュー
幸運の印…裏返し尻ポケット


【アトランタ(米ジョージア州)6日=米沢秀明】リトルと呼ばれた男が、でっかいことをやってのけた。メッツの松井稼頭央内野手はブレーブスとの開幕戦に1番遊撃で先発出場し、一回先頭打者のなんと初球をたたき、バックスクリーンに放り込んだ。目を疑うような本塁打で華々しくデビューした稼頭央は、その後の打席でも2二塁打を放ち、本場のファンのド肝を抜いた。

 1番、信じられないような表情をみせたのが、当の稼頭央だった。「初球がストライクなら打とうと思っていた。まさかホームランになるとは思っていなかった。誰も思っていなかったろうし、自分自身も思っていなかった。本当に興奮した。もう最高です」

 打率1割台に低迷したオープン戦。2度の故障。そんな苦悩も、メジャー移籍初球本塁打、その後も2二塁打で猛打賞の大爆発の前に吹き飛んだ。「おとぎ話のようだ」と、稼頭央を1番に起用し続けたアート・ハウ監督も本人以上に喜んだ。

 開幕のセレモニーで星条旗を見上げ、米国国歌を感慨深そうに聞き、花火と戦闘機の演出の興奮が冷めやらぬ中、稼頭央はメジャー最初のバッターボックスに向かった。ブレーブスの先発は昨年21勝を挙げ、ナ・リーグの最多勝を記録した最強の右腕ラス・オルティス。稼頭央は、西武時代と同じようにヘルメットのひさしに手をやり、小さく会釈して左打席に。そしてメジャーでの初球を待った。

 オルティスは、日本から来た小柄な先頭打者を見下したかのようにマウンド上で堂々の振る舞い。大きく振りかぶると、ど真ん中へ91マイル(145キロ)の快速球で真っ向から力勝負。うなりを上げる速球を稼頭央は手元まで思い切り引き付け、一瞬カッと目を見開いて振りきった。バットの芯でつぶされたボールは快音を残してセンター上空に高く舞い、バックスクリーンに吸い込まれた。

 信じられないメジャー初打席、開幕戦先頭打者初球本塁打。飛距離は429フィート(130メートル)、メッツでのデビュー打席本塁打は21年ぶり3人目。メジャー初本塁打を開幕戦の先頭打者として放ったのは、1938年のドジャースとの開幕戦でフィリーズのエメット・ミューラー選手以来、66年ぶり。1900年以降の近代大リーグでは2人目の快挙だが、これが初球となると、メジャーにも記録がない。球場は一瞬静まり返り、飛ぶようにベースを一周した稼頭央は、ベンチでもみくちゃになりながら、自らも信じられないというような表情で祝福を受けた。

 稼頭央の活躍はこれで終わらなかった。一回裏に走者と交錯しながらノーステップで一塁へ転送する見事な併殺を決めると、二回一死二塁の第2打席は、オルティスの内角をえぐる93マイルの速球を鋭く腰を切って払い打ち、右翼線の逆転タイムリー二塁打。三回に押し出しの四球で3打席連続打点を記録すると、五回には再び右中間へ二塁打。七回にはメジャー初の敬遠四球も経験した。

 ヤンキースの松井秀喜外野手の活躍に背中を押されて飛び込んだメジャーリーグ。ようやく迎えた開幕戦の興奮は、「自分が想像していた以上のものだった」。興奮のあまりに、せっかくのデビュー弾を楽しむ余裕もなく、「かなり速くダイヤモンドを1周したと思う」と稼頭央は話した。記念すべきホームランボールは稼頭央の手に渡り、「家に飾ります」という。

 稼頭央以上に興奮していたハウ監督「ものすごかったな。初球本塁打で開幕できるチームなんて、私の記憶では初めてだ。試合前、幸運があればいいと思っていたのだが、まるでおとぎ話みたいだ」と話した。

 稼頭央1人にやられたような敵将のボビー・コックス監督は「春のキャンプでみたときから良い選手だと思っていた。技術が多彩だ」と脱帽し、初球本塁打を許したメジャーを代表する右腕のオルティス投手は「見たこともない選手で、資料もなかった。自分の調子は悪くなかった。真ん中へ投げたのも間違って投げたわけではない。すごい選手でなければこれほど騒がれることもないはずだから、もちろんいい選手であることは間違いない。攻め方はこれから研究していくことになるだろう」と悔しそうに話した。

 試合中、気になったのは、稼頭央のユニホームの尻の左のポケットが裏返り、外側にたれ下がっていたことだった。

 稼頭央によれば、「最初は気づかなかったんだけど、ホームランが出たので、ひょっとしたら縁起がいいのかなと思い、そのままにしておいた」のだという。

 あまり格好よくはなかったが、それでこれほどの活躍ができるのなら暗示にもなる。あすの開幕第2戦も、稼頭央の尻のポケットに注目だ。
(ZAKZAK)


(スポーツ報知)稼頭央、本塁打など3長打デビュー

3打数3安打3打点
米大リーグ、メッツの松井稼頭央内野手(28)は、現地時間6日(日本時間7日)、開幕戦のアトランタでのブレーブス戦に「1番・遊撃」で先発出場し、日本人内野手として初のメジャーとなる1回表の第1打席で先頭打者本塁打を放つなど、3打数3安打3打点の鮮烈なデビューを飾った。1900年以降の大リーグで開幕戦の先頭打者で1号本塁打を記録したのは、66年ぶり史上2人目。試合は7―2でメッツが勝った。

 先発はメッツがグラビン、ブレーブスはオーティズ。
 稼頭央は、第1打席は左打席に立ち、初球を打って、センターバックスクリーンへの本塁打。
 2回2死1塁の第2打席は、カウント1−2の4球目をライトへの適時二塁打。
 3回2死満塁の第3打席は、この回から代わったクルーズに対し、カウント2―3から四球を選び、押し出しで1打点がついた。
 5回の2死走者なしの第4打席はカウント2―0の3球目を打ち、右中間二塁打だった。
 7回の2死二、三塁で迎えた第5打席は敬遠の四球だった。

 メッツ・松井稼頭央内野手 「まさか初球からセンターに本塁打がいくとは、自分でも想像していなかった。誰も想像していなかったんじゃないかな。非常に興奮した。相手の投手はすごく速い球を投げるので、負けないように強くたたこうとした結果。野球人生で最高の試合? もちろん。初めての場所(大リーグ)に来て、自分がいいスタートを切れて、チームも勝てた。最高です。」
(共同)


4月6日(TUE)

確か晴れ?寒くはない。
 『たまには・・・泣き言でも』

 実にありがたいはずの忙しさなのに、何故だか憂鬱である。そして些細なことでもストレスを感じてしまう。それは恐らく“仕事”を追っているのでなく、逆に追われている証拠であろう。
 こうなってしまうと、仕事以外の出来事は全てが邪魔臭く感じ、半ば投げやりに考えるようになるのが私の悪い癖である。しかし、遅れて間に合わない仕事を投げ出すことは到底出来ず、いつもジレンマに陥る私なのである。

 と、結局は泣き言を書いてしまうのである。

4月5日(MON)

昨夜までの雨が嘘のように晴れ渡った。
 『電話ではないのに“もしもし・・・”と言ってしまう』

 仲人をした手前、従兄弟の子どもが小学校に入学するので、お祝いに金一封を持っていった。

 数年前に新築した今風の小綺麗な住宅のドアは頑丈に閉まっており、ドアチャイムを何度鳴らしてもなかなか出てこない。
 「おかしいなぁ車はあるのに。」と思いながら、ガレージから表の方を覗いてみる。
 しかし居る気配がまるでない。
「おかしいなぁ。別の誰かの車で出掛けたのだろうか?」と思いながら、諦めついでにもう一度ドアチャイムを鳴らしてみる。
 どうせ留守だろうと思い半歩帰りかけようとすると、チャイムの向こうから奥方の声で「はぁーい。」と・・・・・・・。
 びっくりした私は何を思ったのか、まるで電話でも応対するように「もしもし・・・・・」と話し始めてしまうのである。

 若かりし頃では、顔から火が出るような思いだったろうが、流石にこの歳になると恥ずかしさも半減し、少々自分が滑稽に感じるのみである。

4月4日(SUN)

天気予報で最高気温9℃とあり、かなり寒い。そして『花散らし』の雨が降っている。
 『花散らしの雨と日曜日』

 『花散らしの雨』・・・・日本語は繊細と言おうか、うまい言葉があるものである。

 その「花散らしの雨」とやらが降っている。

 会社が土日休みとはいえ、やるべき事が沢山あり、どれもこれも中途半端になってしまい、なかなかはかどらない。例えば、昨日(土曜日)などはこんな具合である。

@ しばし決して終わらない仕事を少しでも片づけ、AM2時30分に入浴する。
A 寝る準備をし、くだらないと思われるTVだが、ボーッと眺めAM4時頃までM木氏から頂いたボディソニック装備のソファーに腰掛け、ほぼうたた寝状態で時を過ごす。
B AM9時30分頃起きだし、親戚の法事に出掛ける準備をする。
C AM10時30分、T叔母さんを迎えに行き、法事場所であるI塚家へ・・・間もなく49日の供養が始まる。後、墓参りへ行き、本庄市の五州園でご馳走になる。
D PM3時30分帰宅し、当然終わらない昨夜の仕事の続きをする。
E PM6時50分仕事を一旦終了し、深谷の姪の所へ「就職祝い」なるものを届けに出掛ける。ほとんど立ち話状態でお邪魔し
F PM7時20分。M木氏事務所である例会会場で楽しく時を過ごす。
G 日付が変わり、AM0時30分頃に帰宅する。

 こんな土曜日であったが、家長として親族と懇親をはかり、友人達に久々に運の良い所を見せつけ、イトーヨーカドーで仕入れた780円の寿司と、つまみのシュウマイ、500ml入りのビール1本と少々いただき、デザートになめらかプリンをご馳走になり一日を終えるのである。

4月1日(THU)

昨日よりはほんの少し肌寒いが、暖かく午後7時を回ってもワイシャッを腕まくりしている。








 『本当は忙しくても、“忙しい・忙しい”と言っていては格好悪いのである。』

 おかげさまで忙しく毎日を過ごさせて頂いている。・・・・実にありがたい。

 そして
 “あっ”という間に桜も満開になり、“あっ”という間に木曜日の夜を迎える時刻となった。この忙しさがいつからだったか忘れてしまったが、まぁとにかく一生懸命に今日まで働くことが出来たのである。 とは言っても、この有難い事が終わってしまった訳ではないのだが・・・・・。

 『MLB−3.30−OPENING GAME』

 何とこんな時期にMLB開幕戦『NYヤンキース対TBデビルレイズ』を観戦できる幸運に恵まれたのである。(やはり私は運がいいのだ) しかも、三塁側のベンチ上11列目の特上のシートであった。
 試合は二番松井の二塁打、ジアンビーの先制ツーラン始まり序盤戦はNYの楽勝ゲームと思われたのが、200勝目をかけて登板した、ムシーナが6回のTBの攻撃を押さえられずにNYが惨敗してしまった。
 しかし、多分、恐らくMLB(ヤンキース)の開幕戦など、私が息が出来るうちに二度と観戦することは出来ないであろう。と考えると、この幸運は、入場券破格の25,000円+新幹線往復6,750円(本庄早稲田駅〜)+ビール1,200円(2杯分)+水割り1,200円(2杯分)+幕の内弁当3,000円(2個)+土産2,100円(2個)には代えられないのである。

 『アメリカ国歌斉唱』

THE STAR SPANGLED BANNER
by Francis Scott Key
 
Oh, say can you see, by the dawn's early light
What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming?
Whose broad stripes and bright stars, thro' the perilous fight,
O'er the ramparts we watched were so gallantly streaming?
And the rocket's red glare, the bombs bursting in air,
Gave proof thro' the night that our flag was still there
Oh' say does that star Spangled Banner yet wave,
O'er the land of the free and the home of the brave?
 
 
星ちりばめ光り輝く旗

ああ、夜明けの浅い光の中、黄昏の最後の光の中で、
我々が誇らしく喝采を送ったあの旗が君達には見えるだろうか
危険な戦いを通してあの太い縞と輝く星は、
我々が見守る塁壁の上で堂々と翻っていた。
そして火矢の赤い炎、空中で炸裂する爆弾の中、夜を徹して
我々の旗が健在であることを証明してくれた。
ああ、あの星条旗は、自由を謳歌する大地と勇者の祖国の上に,
今も未だ翻っているだろうか。

 
生でこれを聞いたのは初めてである。日本人である私が意味も分からずこれを聞いて、夢と希望と勇気が湧いてくるような気がするのは何故だ?テレビで見るのと同じように、フィールドの選手全員が右手で左胸を押さえて祈っている。
 

2月28日(SUN)その2

久し振りの『その2』
 『初めての本庄早稲田駅』

 午後9時過ぎに新幹線本庄早稲田駅まで行ってみた。
明後日のMLB開幕戦(NY−TB)へ行く為に、初めてお世話になる可能性が出てきたからである。

 私の家からこの時間だと、約10分弱。自慢の1,000台おける駐車場はガラガラで、駅入り口の一番近い場所に車を止めると、そこから歩いて1・2分の距離である。何と切符を買う時間も含めても、家を出てから20分後にはゆっくり新幹線の人となれる訳である。

 乗ってしまえば田舎者の私でも、50分後には東京駅に降り立ち、おのぼりさん的な振る舞いと、「○○だんべぇ」とさえ言わなければ立派な都会人に見えなくもないだろう。

2月28日(SUN)

晴れ。寒いようで?かなり温暖。
 『薔薇色の?合併』

 私の住む町でも、お上のお達しから近隣自治体の合併が画策され、やはりトップダウンの弊害からか見事数日前に破綻してしまった。やはり短期間のうちに計画され、ましてそこに住む住民から持ち上がった話ではないので無理があるのだろう。

 正直、我々末端の住民のそう言った難しい事への意識、認識は極めて低いのである。特に我々みたいに地域性を重んじる小さな商売を営む人間にとって、合併は未知であり不安な要素のひとつでもあるのだ。あまりに無知な話かも知れないが、お上のお達しは「財政難に陥った自治体など無くしてしまえ。貧乏人は麦を喰え。」と言っているように聞こえなくもないのである。

 これからの社会は、ひとりひとりが自分の懐具合と度量で、ギリギリの生活でも生きていかなければならないのである。

2月27日(SAT)

晴れ。ほんの少し春を感じられた。
 『21歳の耳』

 約5ヶ月ぶりに30pLPを引っ張り出して回した。
 その栄誉あるアルバムに輝いたのはLee-Ritonerの『RIT』であった。特別、理由はないが、100枚ほど出したアルバム中、何故か一番初めに目に留まったからであり、出してきた段ボール箱は偶然にもJAZZ-Fusion系の箱であったからである。
 ジャケットから丁寧に取り出しプレーヤーの回転板に乗せてみる。
 確か中古輸入レコードを購入したこのアルバムは、私が娘と同じ年頃(21歳)の時に夢中になったアルバムだ。嗚呼、何という違い?なのか。
 深夜の部屋で音量を絞り耳を傾けてみると、デジタルCDではとてもかなわない、澄みきったRitonerのギター音が、21歳当時の私の耳に聞こえてきたのである。

2月26日(FRI)

晴れ?。北風強しく少し寒い。
 『桜の蕾 2004年 その2』

 予想に反して、桜の開花が遅れている。
日曜日の段階で、今日あたりで三分咲きくらいの桜を予想していたのだが、あれから予想以上に桜の蕾は固く、一向に思いっきり開花する気配がない。私の見たところ場所によっては違うが一分咲きにも届かない0.5分咲と言ったところであろうか。
 この調子だと、来週の日曜日4月4日あたりが満開になるに違いない。久し振りに写真機など引っ張り出して花でも眺めてみたいものだ。

3月23日(TUE)

曇りのち晴れ。朝はやけに寒いのである。
 『迷い』

 例えばどんな時“迷う”のであろうか。?

 コンビニのパンを選ぶとき。?
 念願の冷蔵庫を買うとき。?
 欲しくて欲しくて仕方がなかったFONTSoftを買うとき。
 行かなくてはならない用事に行けず、言い訳を考えている時。
 一人で気軽に山へ出掛ける時。
 その行った山で何をしようか考える時。

 仕事で言えば、入札見積価格で単価0.○円引いた計算する時(僅か合計で数百円なのだが)。
 間に合いそうもない仕事を無理矢理引き受けてしまうとき。
 クレームに対する値引きで積算をやり直す時。
・・・何だどれも大した事はないなぁ。

 しかし何かに迷っている時は、必ず何れかをすごく『やりたい』(欲しい)と言うことに違いないはずである。
 だからとても“迷う”(迷っている)と言うことは、すごく『欲しい』(やりたい)ということなのである。

3月21日(SUN)

晴れ。平年並み?の気候だろうか・・・。
 『桜の蕾 2004年』

 春、彼岸中であるにもかかわらず、まして引っ越しの片付け、やりかけの仕事、今週提出の見積もりなど、やらなければならない事が山ほどあるというのに、ノー天気然と我が野球チームの初顔合わせ(初練習)に出掛けなければならなかった。
 案の定、午前11時頃、助監督M田氏が、いつもの調子よいドタキャンの言い訳を言いに我が家へやって来た。私もいささか、「本当はオレも野球なんかやっている場合じゃないんだよな。」と嫌味?をM田氏に言ってしまったのである。・・・・・が、

 桜の木の下で、歩くほど遅いランニングをした。本当は無理をせずウォーキングでも良いのかも知れないが、しばし桜の蕾をひとつ一つ確認しながら走った。イヤ走れた。開花している蕾はひとつもないが、とにかく数日後には確実に桜花が開くのが分かり、柄にもなく嬉しくなったのである。
 昨年も同じ場面で同じ風景を眺めた事を思い出し、午前中M田氏に嘆き節を言ってしまった自分に反省し、本当は『今日休まず参加して良かった。多忙さから休もうと考えていた自分は、いささか無理をして参加でき、実についている。」と思ったのである。

3月20日(SAT)

雪にはならなかったが、ものすごく寒い。
 失敗しても〜『あーいい経験が出来て良かった。自分は運がよい、ついている』と思え。

 何故だか?、ヒト(他人)の話を聞きたくなった。決して自分が寂しい訳ではないのだが・・。

 昨夜、商工会の『経営講演会』なるものに、自ら参加してみた。私が申し込みをしている事を、当然忘れているのを見越したT越氏は、有り難いことに、朝の9時頃に確認の電話をわざわざ携帯まで入れてくれた。子供じゃあるまいし、ここまでしてもらい欠席するわけにはいかないのである。

 愛知県から遙々?やって来た講師の先生は、何と昭和35年生まれ。実に私より一つ後輩なのである。愛知県在住のプロフィールに、どことなく喋り方が「ミャーミャー」聞こえ、名古屋弁に近いものを感じた。
 誰もが分かり切っているはずの、実にシンプルで基本中の基本、プラス思考の当たり前の事を話すのであるが、それがなかなか出来ていない自分がよーく分かってしまったのである。講演会終了後、この講演会に参加できた私は実に運がよい。と正直思えたのである。

3月17日(WED)

何となく曇っていたが、暖かい。気温が25℃まで上がる。?
 『異常?事態』

 PM7時・・・・Tシャッの上に直に作業着を着ているのである。

 気温が25℃まで上昇し、桜の開花が始まったらしい。さほどニュースなどで騒がなくなったのは、多分近年では珍しいことではないからであろう。
 しかし、まだ何と言っても3月であり、私が育ってきた気象感覚からすると、この暖かさは間違いなく5月の連休明け位か、それ以降の季節に感じる。私の訪ねる北軽井沢などでは、少し寒い真夏並の気温に相当する。
 世間では確かに珍しい事ではなくなっても、明らかに地球の何かが大きく変わってきていると心配しない訳にはいかないのである。



 今日思わず覗いたZAKZAK-三流デバガメNEWS。

@教諭、鍵かけ別室で勤務…生徒から暴行受け・・・・・・・
    『先生、頼むよ辞めてくれ』
Aエロ79歳、女児の裸撮影し逮捕…お菓子で誘惑・・・・・・・
    『お前、もう80歳だろう』『冥土の土産なのか?』
B“グライダーの勝手でしょ”と飛んではだめ・・・・・・・
    『タイトルだけで、内容はどちらでも』
C「アンケートを」女子高生が振り向くと、丸出しで…
    『趣味とはいえ、人に迷惑は絶対いけないのである。』
Dチャンネル争いで兄は逮捕、弟は内臓破裂…
    『番組はやっぱりK-1だったのか』
D教え子と交際の30歳男性教諭を懲戒免職・・・・
    『ドラマ高校教師を思い出したのである。』
E京都で不明の中2女子無事保護「野宿していた」・・・・・
    『きっと臭かったに違いない』

3月16日(TUE)

雲のち晴れ。かなり温暖であると思われる。
 『春の夜』

 駅前の大きな一本桜のをまじまじと見上げて見ると、数日後には間違いなく蕾が開花しようとしているのがよく分かった。
 
 雄叫びで有名な?L-CLUBのチャリティゴルフ大会があった。主な仕事は午前中で終わり、午後いったん本業の仕事に戻り、PM4時頃またゴルフ大会の仕事に戻り、時間が来たのでパーティ会場を抜け出した。しかし、睡眠不足も手伝い夕方にはすっかり疲れ果ててしまったのである。
 体が三つないと用が足りないので、PM5時からのH人会青年部正副部長会議は欠席し、印刷工業組合深谷支部会のみ出席し、従ってL-CLUBの懇親会も欠席した。三っの中で、やはり本業が最優先と考え『きんぎょや』へ出向いたのである。
 良かったのか悪かったのか分からないが、役員改選とやらで埼玉県組合の理事と、深谷支部長を仰せつかった。妙に断るのも大人げないと、いつもの私らしく、二つ返事ならぬ五つ返事くらいで引き受けてしまった。それ程大約を引き受けたとも思わないし、とにかくその場の流れをスムーズに流したかっただけなのかも知れない。
 まぁ出来るか出来ないか分からないが挑戦してみよう。明日からはまた仕事である。
 

3月15日(MON)

朝、曇りで少し肌寒いが、日中は上着を脱ぐほどの暖かさである。
 『白木蓮』

 知らぬ間に白木蓮が咲ほころんでいる。今朝咲いたものだろうか?。
確か青空に映える、この花が咲くと間もなく桜が開花するんだったような。
しかし、「木に咲く蓮」と書く『木蓮』とはよく言ったもので、確かに蓮の花に実によく似ている。本当にそう言う意味で『木蓮』の名が付いたと言うことは、いかに『蓮』が古い花(『木蓮』が新しいのかも)と思わせなくもない。今年はゆっくりと『木蓮』を眺める機会は無さそうである。

3月14日(SUN)

晴れ。温暖で平年より暖かい。と思われる。
 『本庄早稲田駅開業』

 昨日、上信越新幹線「本庄早稲田駅」が開通したらしい。
 我が家から「本庄早稲田駅」まで車で約15分程度の距離と思われる。
見事に遅れた道路整備のおかげで、狭い県道や抜け道のような道路、新幹線下の測道、挙げ句は土手の縁を走り抜け15分以上も?かかると言うことは、仮に遠い将来?幹線道路が整備されれば10分もかからずに「本庄早稲田駅」まで到着できるようになると言う事であろうか。
 政治的手腕を発揮して、こんなに簡単と思われる遠い未来を、手の届く未来に近づけるのは果たして誰だろう。

3月13日(SAT)

例年の気候であろう。
 『ラブユー東京』

 昨夜、初めての夜をひとり過ごした。
 慣れぬせいでAM4時を過ぎてようやく眠りについた。と思ったらAM6時30分には一度目覚め、その後極めて浅い眠りと、はっきりとしない目覚めを数度繰り返し午前8時を迎えたのである。真っ暗な部屋から僅かに差し込む街明かりをおぼろげながら眺め、何故か「ラブユー東京」のメロディが頭の中を離れないでいた。

 サザンオールスターズのヴォーカリスト桑田氏の父親が亡くなったと朝のラジヲの芸能ニュースでやっていた。どうしてBGMに「ラブユー東京」が流れるの?と違和感を感じていたら、どうやらこの曲桑田氏と亡き父の想い出の曲だったらしい。そして告別式では桑田氏らしく、この想い出の「ラブユー東京」を参列者の前で弾き語りで唄ったらしい。実に人生を精一杯謳歌していると思われる桑田氏らしいではないか。思わず「ラブユー東京」のメロディが聞きたくなったのである。

3月10日(WED)

まるで春、真っ盛りのよう。実に温暖。
 『文字にする名曲 その3?』

 確か亡き尾崎豊は、私よりも随分と若かったはずである。
彼を私が本当に認識し、彼の音楽を聴き始めたのは、実は尾崎豊が死んでからである。今でも特段のファンという訳ではなく、実にミーハーな存在であるに変わりはない・・・・。
 当時、衝撃的な亡くなり方により各テレビ局は、ここぞとばかりに特番を組んだ。確かあのNHKまでが彼の貴重なLIVEを流していた・・・・・。

 NHKから流れた映像は、白いTシャツにGパンで、首には当時流行っていたGOLDのチェーンネックレスを付け、それは頭からお湯をかけたようにずぶ濡れになり「I LOVE YOU」を熱唱していた。その姿は、私の心をいっぺんで引きつけた。正直、スタイルは違うが、カリスマ“矢沢E吉”おじさんよりはるかにハートが熱く感じられたものなのである。

 何故だか、リアルタイムなファンにならなくて良かった。?と思う程に繊細でストレートな詩を書いたものである。


『卒業』


校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持 感じていた
チャイムが鳴り 教室のいつもの席に座り
何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた

放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコアー 競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも大げさにしゃべり続けた

行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過した
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業

誰かの喧嘩の話に みんな熱くなり
自分がどれだけ強いか 知りたかった
力だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかした
友達にさえ 強がって見せた
時には誰かを傷つけても

やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを強く信じた
大切なのは何 愛することと
生きる為にすることの区別迷った

行儀よくまじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス壊してまわった
逆らい続け あがき続けた 早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過した
ひとつだけ 解ってたこと
この支配からの 卒業

卒業して いったい何解ると言うのか
想い出のほかに 何が残るというのか
人は誰も縛られた かよわき小羊ならば
先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向うべきなのか
これからは 何が俺を縛りつけるだろう
あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるだろう

仕組まれた自由に 誰も気づかずに
あがいた日々も 終る
この支配からの 卒業
闘いからの 卒業

3月8日(MON)

寒い朝。昼間は思ったより温暖になった。
 『たんさん饅頭』
 何故か!??。  昨夜喪服をしまったはずなのに、夕方また不幸(葬儀)の連絡が入ってしまったのである。

 今日は正午から、銀行ごとき?で2時間も時間をつぶしてしまう用事が出来てしまい、週初めの月曜日ということも重なり、とても忙しい一日を過ごさせていただいた。
 ようやく午後2時過ぎから、カップヌードルとおにぎりの昼食にありつき、それこそ、飯をかみかみ車に乗り込みまた得意先の所へと出掛けた。
 花園町のB先生のお宅で打ち合わせ中、花園の道の駅で売っているという、B先生お奨めのそれは大きな「たんさん饅頭」をお茶請けに出された。まだ昼食をとったばかりの私だったが、お得意様に出された、この「たんさん饅頭」を食べない訳にはいかなかったのは言うまでもない。
 少しぼそぼそとした「たんさん饅頭」をお茶と一緒に、さすがの私でも食後の満腹感からか、上品に手で少しずつ割って食べ、ようやく食べ終えたのである。決して「結構です」などとは口が裂けても言えない私なのである。

『今日の戒め』
 人様から好意で勧められた食べ物は、絶対に拒んではいけないものなのである。

3月7日(SUN)

晴れ?曇り?寒い一日だった。
 『喪服』
 数日前、喪服を引っ張り出してきてから、事務所のハンガーに掛けっぱなしになっている。すぐにしまわないのは、決してそれを望むわけではないのだが、一度喪服を着る機会があると、かなりの高確率でもう一度それにお世話になることがよくあるからである。
 もちろん、ただの偶然なのだが・・・・・。

 今回は一度着た後、続けざまに三度着る事になるとは思ってもいなかった。昨日などは午後1時からの葬儀に参列し、帰ってきて金曜日に執り行われてしまった葬儀に参列出来なかった家まで、焼香だけに行って来た。
 帰る途中、2回目の葬儀が誰のだったか、不謹慎にも一瞬思い出せなかったのは言うまでもない。
 決して縁起を担ぐわけではないのだが、早速喪服をしまってしまおうと正直思ったものである。

3月4日(THU)

晴れ。午後から曇りで寒くなる。
 『同窓生とは何だろう?。』
 8年ぶりに30年前の中学校卒業同窓会が開かれた。
幹事代表の挨拶をし、参加者と恩師に厚く御礼を述べた私が言うのも変な話だが、こんな事は主催者でなければ恐らく参加などしていないはずではないか?と思う。
 同じ故郷で、同じ青春期のほんの一部だが過ごしたはずの、この同窓生の温度差は何だろうか?。
 遙々、青森県十和田市から飛行機を乗ってきたT子(1時間も居ずに飛行機の時間に間に合わないと帰ってしまう。)、福島県西白河郡から奥さんと、まだ幼い子供二人を連れやって来たK。千葉県から、八王子市から、浦和から、群馬県から・・・・皆、何かに惹かれるようにしてやって来たのである。
 本当は参加したくても、都合がつかず来れない者もいる。誰かに誘われなかったから来ない人もいるだろう。親しい連れがいないので来ない人もいるだろう。何となく?葉書に記載されている幹事の名前が気になり参加しない人達もいるはずだ。
 しかし、200人以上居たはずの30年前の同窓生達は、きっと葉書を手にして一人一人が様々な形で何かを思い出してくれたと思いたい。
 タイミング良く尾崎豊の『卒業』が流れた。
 本当はイヤだと思っていた幹事をさせてもらった事は、実は気の弱い私にとり、本当に有り難い事だったに違いない。

3月1日(MON)

ほんの少し少し寒い。
 『2004年 春』
 止めてしまおうと思ったこのページを、昨年11月以来更新してしまうのである。

まぁ、春暖の3月を迎えるに当たり、気分転換と言うか、若干の心境の変化と言うか、僅かな希望が出たような出ないような、相変わらずゆとりは無いはずなのだが、せめてもの趣味と言おうか、気晴らしというか、私の記録とでも言うか、まぁとにかく更新してみたのである。ロゴを作る時間はないが、せっかくだから『2004年 春』というタイトルでも付けることにする。