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郷土の偉人 芳賀権四郎翁 (慶応3年〜昭和22年)1867〜1947 芳賀権四郎翁は、生涯を我が国の蚕糸業の発展に尽くし、その不朽の功績が認められ、昭和11年(1936)に勲一等瑞宝章を受章した岡部町が生んだ偉大な人物です。 慶応3年(1867)、岡部藩士春名周輔の四男として岡部村(現岡部町大字岡部)に生まれ、その芳賀家の養子になりました。明治25年(1892)に東京帝国大学農科大学(現東京大学農学部)を卒業し、農商務省技手等を経て、同32年(1899)に横浜生糸検査所技師兼絹業試験所技師、同42年(1909)に農商務省農務局蚕糸課長、大正8年(1919)に生糸検査所長兼絹業試験所長に就任し、昭和11年(1936)に勇退しました。 権四郎は、在職中輸出生糸の品質向上と国際的信用向上のため献身的な努力をしました。その業績としては、明治44年(1911)の蚕糸業の積極的な保護奨励を目的とした「蚕糸業法」の制定、生糸の任意検査から強制検査への改正、生糸正量取引の実施の確立などが挙げられます。特に昭和2年(1927)の「輸出生糸検査法」制定には全力で挑み、以後日本産生糸が海外で高い評価を確立することができました。 |
本郷藤田神社の獅子舞 本郷地区で古くから伝えられた舞で、ササラを楽器として舞うのでササラ獅子と呼びます。この獅子は俗に雨乞獅子といい、この獅子を舞うと必ず雨が降ると云われています。(岡部町教育委員会発行・岡部町の文化財地図より) |
岡部町の花 コスモス辞典 日本中でこの花を、各市町村自治体の花として制定している所は多いのでは・・・とにかく山口百恵が歌っていたからではないが、日本中で愛されるこの花「コスモス」が岡部町の花として決められており、10月中旬には桜祭りならぬ「コスモス祭り」が開催され一日中大変な賑わいを見せている。 ●学 名 Cosmos
bipinnatus 「コスモス」とはギリシア語で装飾とか美しいとかいう意味で、花弁の形が桜の花びらに似ていることから秋桜の和名でも親しまれている。秋には150cmにも育ち、直径4cmほどの頭花が多数咲く。頭花の中心部には黄色の筒状花が集まり、外側には8個の舌状花が整然と並ぶ。つむと特有の匂いがする。日本には明治9年(1876)、イタリアの芸術家ラグーガが持ち込んだといわれており 群れ咲く花々を揺らして吹き抜ける風に「日本の秋」を感じさせますが、生まれ故郷はメキシコです。今では「日本の秋の名花」として広く親しまれています。 |
志戸川の彼岸花(曼珠沙華) 秋の彼岸が近づく、9月中旬から後榛沢地区の青々とした田んぼのいたるところで、緑の中に真っ赤に燃えるような花が咲く。曼珠沙華だ。緑と赤のコントラストが実に素晴らしい。特にここを流れる志戸川沿いは美里町まで延々と(美里町の方がたくさんあるのだが・・・・)咲き誇る。ただよく近くで見ると、深紅の鮮やかな赤色はほんの数日間だけで、時期が過ぎると正直言って寝ぼけたような赤になり近くで見ると綺麗ではない。 よくよく見ると、花びららしきものは見あたらず、不思議な形をした植物(花)だ。 |
中宿歴史公園(古代倉庫群) 古代倉庫群の復元(1200年の時を超えて) 平成3年に岡部町教育委員会で発掘されたこの遺跡は、埼玉県において今だ類を見ない大規模な総柱式建物跡で「中宿古代倉庫群跡」という名称で埼玉県の指定遺跡となり復元された。 この倉庫群は、校倉造り・板倉造りと異なった工法により建てられ、7世紀後半から10世紀にかけて存続し、主に脱穀済みの籾殻をバラ積みの状態で収納していたと考えられています。有名な奈良県の東大寺の正倉院が同じ工法で造られていることが有名です。 |
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