宇宙には元があっただけでなく、また終わりもあるだろうということを、存在を受け容れるものから成り立つ宇宙の本性は、明らかにしている。と言うのは、この宇宙の本性は、部分的に絶えず滅んでいるからである。さらに、堅固で反論の余地のない信憑性を、神(の霊)を受けたその他の人たちの預言、および万物に臨む神のキリストの預言も提示している。敬虔な人たちばかりでなく、不敬虔な者たちもまた、これらの人たちが預言したその他すべてのことについて、彼らが真実を語っているのを見たのであれば、その彼らを偽りのない人々として信用しなければならないだろう。また、これらの不敬虔な者たちは、この宇宙全体が、完全に非存在へと進んで行くのではなくて、それは、我々の身体と同様に、神の霊の力によって一層神的なものへと装いを変え、たぶん我々の場合と同じように、分解され元素を変えられていくのを、彼らから学ぶことができるのであろう1)。