人はまた、我々の周囲に近接する(領域の)中に風があるのに気づくだろう。その風は、それら(の領域)の上層にあり、それらから分離されることなく、それらの回りを運動する。しかし風は、より上方へと決して進まない。それは、(より上方に)場所がないからではなく、風を超えるそれら(の領域)が、風よりも一層軽いからである。そして、風が、その接している(下位の領域の)表面に留まっているのは、風がその本性においてそれら(の下位の領域)よりも軽いからである。しかもこの風は、魂の本性によってではなく、それ自身の本性によって、それらの回りを運動している。わたくしが思うに、あらゆるものに賢明なソロモンもまた、まさにそうしたことの適度の類似を指摘しようと望んで、天体を風と同じ名称で呼んだのである。彼は、天体について、こう書き記している。「風は、円を描いて回り、前へと進む。そして風は、回転し、もとの円へと戻ってくる(Si.1.6)」。しかし、我々の周囲にある風の本性は、まさにもっとも上方の(諸領域の)軽さを持たない分だけ、数々の上方のものから遠く隔たっており、また、それらのもっとも速い運動からもかけ離れているのである。