100 もしも神の諸々のエネルゲイアが、神の実体と少しも異ならないとすれば、それらの諸エネルゲイアは、お互いに相違を持つこともなかろう。そうであれば、(神の)ご意思は、神の予知と何ら異なるところはないということになる。したがって、神はすべてを予知されているわけではない――というのも、神はすべての出来事を望まれているわけではないからである――か、さもなくば神は、数々の邪悪な出来事さえもお望みになるおん方だということになるだろう。なぜなら、神はすべてのものを予知されておられるからである。それどころか、神は、すべてのものをあらかじめお知りにならなかったことになろう。しかしそれは、神が、神でさえないというに等しい。さもなくば、神は、善いおん方ではなかったということになる。しかしそれも、神が、神でさえないというに等しい。かくして、予知は、神のご意思と異なるものである。また、たしかに、それらはいずれも、神の実体とも異なるものなのである。

 

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