96 もしも、アキンデュノスの数々の馬鹿話や、彼に従って思索する者たちのいう通り、神のエネルゲイアが神の実体と何ら異なるところがないとすれば、エネルゲイアに属する創造は、実体に属する誕生および発出と、何ら異ならないことになろう。しかし、もしも創造が誕生および発出と異ならないとすれば、諸々の被造物も、誕生物および発出物と少しも異ならないことになるだろう。そして事実がもしも、彼らのいうように、この通りであれば、神のおん子と聖霊とは、諸々の被造物とは何ら異なるところはなくなるだろう。また、被造物はすべて、おん父なる神からの数々の誕生物であり、数々の発出物だということになろう。そして、創造は神的なものとなり、神は諸々の被造物と同列に置かれることになろう。そういうわけで、神的なキュリロスは、神の実体とエネルゲイアとの違いを指摘して、「産み出すことは、神の本性に属している。他方、創造することは、神の神的なエネルゲイアに属している」と言ったのである。そのうえ彼は、これに付け加えてこう宣言している。彼はきっぱりという。「本性とエネルゲイアとは同じものではない1)」と。

 

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