111 さらに、何ものかを実体において分有するものは、必然的に、分有されるものと共通の実体を持ち、またある点でそれは、同じ実体を持つ。では、そもそも一体誰が、神と我々とに、ある点で一つの実体が属していると聞いただろうか。そのうえ偉大なバシレイオスは、次のように言っているのである。「神の数々のエネルゲイアは、我々のところに降ってくる。しかしそのおん方の実体は、近づきがたいものとしてとどまっている1)」。また、神的なマクシモスはこう断言している。「神であるところのすべては、恵みによって神化された人のものにもなろう。ただし、実体における同一性を除いて2)」。してみると、神の実体を分有することは不可能であり、また神の恵みによって神化された人たちでさえもそうすることはできない。しかしながら、彼らは、神のエネルゲイアを分有することはできるのである。「たしかに、この代で限られた真理の光輝は、わたくしをここまで、すなわち、神の輝きを見て、それを体験するところにまで連れて行ってくださいました3)」と神学者グレゴリオスは言っている。また、賛美歌唱者である預言者によると、「われらの神の輝きは、われらの上にありますように(Ps 43.3)」とある。さらに、「神と諸々の聖人たちとには、一つのエネルゲイアが属している4)」と、後者に数え入れられるマクシモスは、明瞭に書いている。そしてマクシモスは、「彼らは、キリストの生けるイコンであり、恵みないしは同化によってキリストと同じである5)」とも書いている。

 

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