119 諸々の属性が何に属しているかが、必然的に問われねばならない。そして、もしもそれらが何ものにも属していないとすれば、それらは(何ものかに)属しているものでもない。したがってそれらの諸属性は、(何ものかに)属しているもの[属性]ではない。ところが、もしも諸属性が何かある一つのものに属しており、しかもこの一つのものが実体であるとすれば、また、もしもこの実体が、連中のいう通り、すべての属性の各々およびそれら全部と少しも異ならないとすれば、そのうえ、もしも諸属性が多くあるとすれば、その一つの実体は多くの実体となるであろう。そして、あの実体的に一なるものは、実体的に多くのものとなるだろう。かくして、それは多くの実体を持つことになる。そして、もしもそれがまさに一なるものであり、そのうえ多くの実体を持つとすれば、それはまったく必然的に、複合物だということになる。そこで、神的なキュリロスは、これほどまでにはなはだしく不敬虔なそれらの無知蒙昧から、信者たちを引き離そうとして、他ならぬ「諸宝庫」の中で次のように言っている。「そもそもただ神だけに属しているもの、これが万が一、神の実体でもあるとすれば、神は、我々にとって多くの実体から合成されることになろう。実際、本性的にただ神だけに属していて、他の存在者のいずれにも属さないものは、多くある。事実たとえば、王、主、不滅な、目に見えない(といった多くの属性がある)。またそれらに加えて神的な聖書は、神についてそのほか無数のことを言っている。したがって、神に属しているものの一つ一つが、万が一、実体の次元に置かれるとすれば、単純なるおん方は、どうして複合物とならないだろうか。こんなことを考えるのは的外れもはなはだしいのである。1)」

 

次へ