122 神のおん独り子ばかりでなく、聖霊も、聖人たちの間でエネルゲイアおよびデュナミスと呼ばれている。しかも、おん父とつゆも異ならずまったく同じ諸デュナミスと諸エネルゲイアとを持つおん者として、である。なぜなら、偉大なディオニュシオスによると、神は、「一切のデュナミスをご自分の内にあらかじめお持ちであり、しかもそれらを超えるおん方として1)」、デュナミスとも言われているからである。それゆえ、個別存在化された[位格化された]聖霊がデュナミスないしはエネルゲイアと呼ばれるとき、聖霊は、それらのいずれをも、まさしく同時に理解されるもの、あるいは同時に表出されるものとして持っているのである。このことは、あらゆる点で偉大なバシレイオスも言っている通りである。彼は、「聖霊は、実体化され、実在化され、個別存在的化された、聖化するデュナミスである2)」と言っている。他方彼は、霊に由来するすべての諸エネルゲイアが、まさに霊をめぐる数々のものの中において個別存在化されずにあることも表明している3)。これによって彼は、明らかに、それらの諸エネルゲイアを数々の被造物から区別しているのである。なぜなら神は、聖霊に由来する数々のものを、諸被造物として個別存在化されたもの、すなわち性質を与えられた諸実体として、お造りになられたからである。

 

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