124 バルラアム主義者たちのすべての屁理屈を完全に粉砕し、それらが真っ赤な大風呂敷であることを証明するには、教父のわずかな言葉で足りる、とわたくしは思う。たとえば、(ナジンゾスのグレゴリオスは)次のように言っている。「唯一なる神は、元なきものであり、元である。そして、元とともにあるものである。しかし、神が元であることによって、その元は、元なきものから分けられているのではない。と言うのは、元なきものが神の本性ではないのと同様に、その元は、神の本性ではないからである。すなわちそれらは、本性をめぐるものであって、本性ではないのである1)」。では、それらは一体何なのか。元と元なきものとが、本性ではなく、本性をめぐるものであるからには、それらが造られたものだという者は、気違い以外に誰かいるだろうか。しかし、それらが造られざるものであり、神の本性に属するものであるとすれば、神はそれゆえに複合物となるのだろうか。決してそんなことはない。たしかに、神に本性的に属する数々のものが、もしも神の本性とは区別されず、むしろその本性であるとすれば、神的なものは複合物になる、と偉大なキュリロスも、他の教父たちとともに、多くの言葉を費やして教えている2)。しかし、どうかあなたは、偉大なバシレイオスの諸見解と、彼の弟がエウノミオスに反対して思索した、いかにも彼の弟らしい諸見解とをつぶさに調べていただきたい。実際、あなたはそこに、バルラアムとアキンデュノスに従う者たちが、エウノミオスと声を合わせて歌っているのを明瞭に見出すでしょうし、彼らに対する反論を充分に得ることでしょう。

 

次へ