127 生成消滅するものは、偶有性である。それによって我々は、さらに数々の分かたれざる偶有性をも了解する1)。また、本性的属性も、ある意味で偶有性として存在する。たとえば、ちょうど理性的魂における認識のように、増加と減少がそうである。しかし神の内にはそういったものは存在しない。なぜならば、神は、まったく変らずにあり続けるからである。それゆえ神には、偶有的に語られるものは何もない。もちろん神について言われるもののすべてが、実体を指示しているのでないのは確かである。と言うのは、さらに対他性[何か他のものとの関係]も語られるからである。この対他性は、相対的であり、またそれは、他のものとの関係を明らかにするが、しかし、実体を明らかにするものではない。神の場合における神的エネルゲイアも、そういった類のものである。実際、神的エネルゲイアは、実体でもなければ、偶有性でもない。たとえそれが、神学者たちによって、ある意味で偶有性だ[準偶有性]と呼ばれているにしても、そうである。神学者たちはただこのことだけを、すなわち、神的エネルゲイアは神の内あって、しかも実体ではない、ということだけを示しているに過ぎないのである。

 

次へ