129 そのうえ神学者(グレゴリオス)は、このエネルゲイアが造られざるものであることを知っている。彼みずから、少し前の所で、このエネルゲイアを被造物に対置して、このことを明らかにしているのである。すなわち、彼は言う。「我々の間にいる賢人たちのうち、ある者たちは霊をエネルゲイアだと想定し、ある者たちは霊を被造物だと想定した。また、ある者たちは霊を神だと想定した1)」と。たしかに彼は、ここで、ヒュポスタシス[個別存在]そのものが神であると言っている。そして、そのエネルゲイアが被造物と区別されていることを示すことによって、それが被造物でないことを明示しているのである。そればかりか、彼は、少し先に進んだ所で、そのエネルゲイアは神の動きであると言っている2)。そうであれば、どうして神の動きが、造られざるものでないのだろうか。この動きについて、神を戴くダマスケノスも、その第五九章で、こう書いている。彼は言う。「エネルゲイアは、本性の能動的かつ実体的な動きである。エネルゲイアの可能性を持つものは、エネルゲイアがそこから発出するところの本性である。そして、エネルゲイアによってもたらされたものは、エネルゲイアの結果である。また、エネルゲイアの主体は、エネルゲイアを使うもの、あるいは、ヒュポスタシスである3)」と。

 

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