136 実体がもしも、それ自身と異なるエネルゲイアを持たないとすれば、それは、完全にヒュポスタシス[個別存在]を持たないもの、悟性的思考のたんなる観念となるだろう。実際、普遍的に言われる人間は、悟性的に思惟しないし、思いなしをしない。また、見ることもしないし、匂いを臭ぐこともない。しゃべることもなければ、聞くこともなく、歩くこともなければ、呼吸をすることもなく、食べることもない。一口に言えば、それは、実体とは異なっていて、しかも、それがヒュポスタシスの内にあることを示すエネルゲイアを持っていないのである。それゆえ普遍的な人間は、完全にヒュポスタシスを持たない。しかし、実体とは異なる生来のエネルゲイアを持っている人が、我々が挙げたエネルゲイアを一つ、あるいは二つ、あるいは三つ、あるいはすべて持っている場合には、その人がヒュポスタシスの内にあり、ヒュポスタシスを持たないものではないことが、それらのエネルゲイアによって知られるのである。さらに、それらの類の諸エネルゲイアは、一人や二人あるいは三人の(人の)場合に観察されるのではなく、数のうえで多くの(人たちの)場合に観察されるのであるから、人間というものは無数のヒュポスタシスの内にある、ということが示されるのである。

 

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