137 神の恵みによる我々の信仰、すなわち、神の教会の信仰によると、神は、ご自身を顕わすエネルゲイア、しかもその点でご自分の実体とは異なる本性的なエネルゲイアお持ちであるから――事実、神は、数々のより劣ったものをまえもってご存じであり、あらかじめ配慮なさっており、また、ご自分のよしと思われるご自身の意思に従ってそれらをお造りになり、保持され、支配され、変形なさっている――、神が、ヒュポスタシスの内にあるのであって、ヒュポスタシスを持たないたんなる実体などではない、ということが示される。さらに、それらの類のすべてのエネルゲイアは、一つ(の位格)にではなく、三つの位格(ペルソナ)の内に観察されるものであるから、神が、三つのヒュポスタシス(個別存在)の内にある一つの実体として実在することが、我々に知られるのである1)。ところが、アキンデュノス派の者たちは、神が、ご自身を顕わし、かつその点でご自分の実体とは異なる本性的なエネルゲイアをお持ちにならないと言っているのであるから、彼らは、神がヒュポスタシスの内にないと言っているのであり、三つのヒュポスタシスを有する主を、完全にヒュポスタシスをお持ちにならない方にしているのである。彼らは、冒涜がその悪辣さにおいて不敬虔に勝るように、その異端的見解においてリビアのサベリオスをはるかに凌駕しているのである。

 

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