144 神の実体は、まったく命名されざるものである。と言うのは、神の実体は、あらゆる点で把握不可能だからである。そこで神の実体は、それに固有なすべてのエネルゲイアから命名される――もっともその場合には、諸々の名称のどれもが、指示作用の上で異なることはないけれども。実際、各々の名称から、またすべての名称から、他ならぬあの隠れたものが――そもそもそれが何であるかは決して知られないとしても――呼びなされるのである。他方、諸々のエネルゲイアの場合には、数々の名称の各々は、異なった意味作用を持っている。実際、一体誰が、創造なさること、支配なさること、お裁きになること、あらかじめご配慮なさること、神がご自身の恵みによって我々をご自分の子供になさることが、互いに異なっているのを知らないだろうか。したがって、それらの神の本性的な諸エネルゲイアを、相互に、そしてまた、神の本性とも異なるという理由で、造られたものだという者たちは、一体神以外の何を被造物に引きずり下ろしているのだろうか。疑いもなく、数々の創造されたもの、支配されるもの、裁かれるもの、一口に言って、それらの類のすべてのものが諸被造物なのである。そして、創造主、支配者、裁き主が、被造物なのではなく、またお裁きになること、支配なさること、創造なさることそれ自体でさえも被造物なのではない。まさにそれら(の働き)は、神の内に本性的に観察されるものなのである。

 

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