147 この神的で言語を絶した光を、神の神性と神の国、神の本性の美しさと輝き、把握し難き代における聖人たちの直視と享受、神性の本性的な光輝と栄光を、アキンデュノス派の者たちは、妄想であり、被造物であるという。そして彼らに従ってこの神的な光に冒涜を働くことに堪えられず、神は実体においてもエネルゲイアにおいても造られざるおん方であると思慮している人たちに対して、彼らは、二神論者だとして言い掛りをつけ、周囲に振れ回っているのである。しかし、彼らは恥じ入るがよい。と言うのは、たしかに、神の光は造られざるものであるが、我々には、唯一の神性における唯一の神がおられるからである。実際、先に多くの仕方で示されたように、造られざる実体も、造られざるエネルゲイアも――すなわち、そうした神のおん恵みや照明も、唯一の神に属しているのである。

 

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