16 さて今度は魂の表象能力が、それらの感覚の諸々の刻印に適合し、感覚それ自体をではなく、先ほど我々が言った感覚の中にある映像のようなものを、物体や物体の形相から完全に分離する。そして、それらをあたかも宝物のように蓄えておき、そのつど違った映像を、しかも物体が現前しないときにそれ自身の使用のために、内部から次々と引き出すのである1)。すなわち、見られたもの(の映像の)すべて、聞かれたもの、味わわれたもの、嗅がれたもの、触れられたもののすべてを自分自身に対して提示するのである。