21 一体我々は、どこから神について、どこから全宇宙について、どこから我々自身について、何かしら確実で誤謬のないことを学んだのだろうか。(聖)霊の教えからではないだろうか。実際、その教えは、神ただお独りだけが本当に存在し、永遠に存在し、変わらずに存在されるおん方であって、非存在から存在を受けられたおん方でもなく、非存在へと向かって行かれるおん方でもないこと、そして、そのおん方は三つのヒュポスタシス[個別存在]を有するおん方であり、全能であることを、我々に教えたのである。このおん方は、六日の間にみ言葉によって、非存在から数々の存在者をもたらされた。いな、むしろモーセがいうように、一挙に実在させた1)。実際、我々は、「元に、神は天と地を造られた(Gn.1.1)」と彼がいうのを聞いているのである。それらは、中身のまったくない空ろな天と地、ありとあらゆる中間物にまったく欠けた天と地ではない。事実、地は水と混ざり合っていたし、地も水もそれぞれ、空気と数々の種類の生物と植物に満たされていた。また天も、様々な光と火に満たされていた2)。神は、そういった天と地の中に宇宙の一切合切を実在するようにされたのである。したがって神は、このようにして元に天と地とを、いわばすべを受け容れ潜在的にすべてをもたらすある種の質料のようなものとして、お造りになられたのである3)。そして神は、質料がそれ自体であらかじめ実在していたと過って思い込んでいる者たちを、あっぱれにも遠くへ退けられたのである。

 

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