30 理性的で知性的な本性はすべて、天使的と言われようが人間的と言われようが、生命を実体として持っている。そしてその生命によって、理性的で知性的な本性は、実体的に等しく不死のままあり続けるのであり、また、滅びを受け容れることがない。しかし、我々の内にある理性的で知性的な本性は、生命をたんに実体として所有するだけではなく、現実態としても持っている。と言うのは、理性的で知性的な本性は、それに結びつけられた身体にも生命を与えているからである。よれゆえさらに、この身体の生命が語られる。そして身体の生命が語られる場合には、生命は、他のものとの関係において語られており、しかもその生命には現実態が属している。なぜなら、他のものとの関係において実体それ自体が語られることは、決してありえないからである。ところが、天使たちの知性的本性は、そのような現実態としての生命を持たない。と言うのは、彼らの本性は、それに結びつけられた土製の身体を神から受け取ってはおらず、したがってまた、その身体のに生命を与える能力を可能態として受け取っていないからである。しかしながら、彼らの本性にしても、反対対立するもの、すなわち、悪性と善性とを受け容れることができるものとなっている。天使たちの内で、高慢のゆえに転落を経験した邪悪な者たちは、まさしくこのことを証明している。そういうわけで天使たちも、ある意味で、彼ら自身の実体と、反対対立する諸性質の一つ――わたくしは徳と悪徳のことを言っている――とからなる複合体となっているのである。このことから、彼らもまた善性を実体的に持たないことが証明される。

 

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