29 だた神を知ることがけが、また、人間が自分自身と自分の地位を知ることだけが――これらのことはいまや、自分を専門的知識のない素人だと思っているキリスト教徒たちのものとなっている――、自然学や天文学およびそれらに関する一切の哲学にも優った、高尚な認識なのではない。我々の精神がそれ自身の弱さを知り、それが癒されるように求めることもまた、数々の星の大きさや自然現象の諸理拠、下方にあるものの生成や上方にあるものの周回、回転と上昇、停留と退行、乖離と合流、一口に言って、上方での多様な運動によって生ずるおびただしい数の多種多様な関係のすべてを知りそして検討することよりも、比較にならないほどはるかに優れたことであろう。と言うのは、自分自身の弱さを知った精神は、自分がどうすれば救いへと向かい、またどうすれば認識の光に近づき、そしてどうすればこの代とともに滅びることのない真実の知恵を獲得することができるのかを見出だしているからである。

 

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