40 この上もない三位一体に次ぐ三位一体的本性は、他の何ものにも増してあの三位一体によってあの三位一体の像に即して造られたのであるから――ところで人間の魂とは、そのようなものである――みずからの地位を護り、ただ神にだけ次ぐ位置にあることをよしとし、ただそのおん方にだけ服属し服従し従い、ただそのおん方にだけ眼差しを向け、そのおん方の絶えざる想起と観想および、そのおん方への火のように燃え立つ熱烈極まりない愛とによって、自分自身を飾らねばならない。これらのことを行なうことによってこの本性は、自分自身へと引き寄せられ、いな、むしろ場合によっては、かの本性の神秘的で言語を絶した輝きを自分自身へと引き寄せる。そして、そのときその魂は、神の像と似姿とに即した在り方を本当に所有し、その輝きによって恵みに満たされ、知恵を与えられ、神的なものとして仕上げられる。実際、(人間の魂は)顕らかに現存したり、あるいは、それと知らずに近づいてきたりするあの輝きによって、いまより後は、自分自身を超えて神をなお一層愛し、そして隣人を自分自身のように愛し、それから自分自身の尊厳と地位とを知り、これらを保持し、自分自身を真実に愛すことを教えられるのである。たしかに、悪業を愛する者は、自分自身の魂をひどく嫌って、神の像に即した在り方を引き裂き、これを損ねているのであり、狂気によって前後不覚のまま、自分自身の肉体を惨めにもばらばらに引き裂く人たちと、同じような状態を引き起こしているのである。なぜなら、やはりその人も、前後不覚のまま、しかもこの上もなく惨めに、自分の生来の美しさをばらばらに引き裂き、愛によって内的に満たされた、自分の魂の三位一体的で超宇宙的な装飾を、無思慮にも粉々に壊しているからである。実際、ご自分の像に即して創造され、装飾を施しになり、またそのことによって認識と愛の力をお授けくださり、この力を正しく使う者たちに言いようのない賜物と永遠の生命とを惜しみなく注ぎ込んでくださるおん方を絶えず思い起こし、見つめようともせず、また愛することもしないこと、このこと以上に不正なことが何かあるだろうか。また、このこと以上に破滅的なことが、何か他にあるだろうか。

 

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