33 理性的で知性的な魂は、実体として生命を持っている。しかしその生命は、反対対立するもの、すなわち悪性と善性とを受け容れうるものとなっている。このことから、この魂が、悪性を実体として持たないのと同じように、善性をも実体としては持たず、いわば一種の性質としてそれを持っていて、(善性ないしは悪性の)どちらかが現存すると、そのどちらかのものに即して性質づけられることが示されるのである。しかし(それらの性質は)場所的に現存するのではない。知性的魂が、創造主から自由意志を得たことによって、(善性か悪性のいずれか)へと傾き、それに従って生きようと望むたびごとに、それは現存するのである。それゆえ、理性的で知性的な魂は、ある意味で複合体でもある。とはいえそれは、上述の現実態からなる複合体ではない。――と言うのは、現実態は他のものとの関係において存在するもので、複合を生み出す本性は持ち合わせていないからである――むしろそれは、魂それ自身の実体と、既述の反対対立する諸性質、すなわち徳と悪徳のどちらか一方とからなる複合体である。

 

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