39 魂の知性的で理性的な本性は、ただそれだけが精神と理性と生命を与える息吹とを持っていて、ただそれだけが非物体的な天使たちよりも一層多く、神の像に即して神から造られている。そして魂は、たとえ自らの尊厳に気づかず、自らをご自分の像に即してお造りになられたおん方に相応しく熟慮し、そして振る舞うことがなくても、この即像性を解消不可能なものとして所有している。したがってそのかぎりで、かの楽園での人祖の木による違反の後でさえ、また身体的な死の以前に、我々が魂の死――これは神からの魂の分離である――を招き、神的な似姿に即した在り方を放てきしたときでも、我々は即像性を破壊しなかったのである。したがって、魂が一層劣ったものとの関係をもはや恋慕せず、愛によって一層優れたおん方に依りすがり、数々の業と有徳な品行とによってそのおん方に服従すれば、魂は必ずや、そのおん方から光を受け、美しくされ、改善され、そのおん方の助言と勧告とに従うようになる。そして魂はこれらのことによってさらに、真実で永遠の生命を受け取ることになろう。また、この永遠の生命によって魂は、自分自身に結びつけられた身体を不死のものとすることになろう。なぜなら身体は、約束された復活を然るべき時に獲得して、とこしえの栄光に与るからである。これに対して、より劣ったものとの関係と屈従とを断念しない魂は、そのことによって不名誉な恥辱を神の像に加え、神の、本当に至福に満ちた真の生命から遠ざけられ放逐されるのである。なぜならその魂は、まず、みずから神を見捨てたことによって、より優れたおん方から、正当にも見捨てられるからである。

 

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