51 魂に対する死の判決は――それを我々に対して実行に移させたのは、罪である――創造主の正義にかなっていた。と言うのは、創造主は、身勝手になって(神を)見捨てた者たちを見捨てるように、無理矢理強制されたわけではないからである。実際、あの判決は、人類愛から神によってあらかじめ告げられたものなのであった(Gn 2.17)。その数々の理由については、我々はすでに述べた。しかし神は、当初、身体に対する死の判決を留保され延期された。そして、それを発令されたときは、知恵の深さと人類愛の卓越さとに基づいて、その判決の執行を未来に据え置かれたのであった。事実、神は、アダムに向かって、「お前が取られたところに戻りなさい」とは言われなかった。むしろ、「お前は土である。そしてお前は、土に帰るであろう(Gn 3.19)」と言われたのである。また、これらの言葉を聞いて理解できる者たちにとっては、神が、魂の死も身体の死もお造りにならなかったことを悟ることができるだろう(Sg 1.13)。なぜなら神は、先ず、「お前たちは、食べたその日に死ね」と言ってあらかじめ(死をご)命令されたのではなく、「お前たちは、食べた日には死ぬであろう(Gn 2.17)」と(死をご)予定されていたからである。また、いますぐに「お前は帰りなさい」と言われたのではなく、「お前は帰るであろう(Gn 3.19)」とおっしゃることによって、神は、これから引き起こされることを予めお告げになって、これをお許しになり、これが起ることを正当にもお妨げにならなかったのである。

 

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