56 では、神によっていま我々に課せられたこの掟は、何であろうか。それは、悔い改めである。その要点は、数々の禁じられているものにはもはや触れないということである。実際、我々は、神的な贅沢に満ちた場所から投げ出され、神の楽園から正当にも締め出されて、この深い淵に陥ってしまい、非理性的な生き物たちとともに住み、それらと一緒に暮らすように断罪され、楽園への召還の呼び声が我々にかかることを望みのないものにしてしまったので、あのとき正義にのっとって罰を課せられた神はみずから、いな、むしろ正当にもその罰が我々に及ぶことを容認された神はみずから、ご自分のあわれみの腸によって、人類愛といつくしみとの卓越さとに基づいて(Lc 1.78)、いまや我々のために、我々のところにまで降って来られたのである。そして神は、似たものが似たものに対することによって、(我々を)再び教育し直し救うために、罪を犯さない点を除いては、我々のために人間となることをよしとされたのであった(He 4.15)。こうして神は、救いをもたらす悔い改めの勧告と掟とを我々にもたらされたのである。神は、我々に向かって次のように言われている。「あなた方は、悔い改めなさい。なぜなら、諸々の天の国が、近づいたからだ(Mt 4.17;3.2)」と。たしかに神のみ言葉の受肉以前には、天が地から遠く隔たっている分だけ、諸々の天の国も我々から遠く離れていた。しかし諸々の天の王が、我々のもとにご滞在になり、我々と一つになることをよしとされたとき、諸々の天の国は、我々のすべてに近づいたのである。

 

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