57 神であるみ言葉の、我々へのへり下りを通して、諸々の天の国が、我々に近づいたのであるから、我々は、悔い改めない生活をして、その国から我々自身を遠ざけないようにしよう。むしろ、「やみと死のかげとに座っている者たち(Lc 1.79;cf.Is 9.1)」の惨めさから逃れることにしよう。悔い改めの業、へり下った思い、痛悔の念そして霊的な嘆き、憐れみに満ちた柔和な心、正義を愛する心、純潔を求める心、平和を愛し平和をもたらす忍耐強い心、真理と正義のためなら迫害と損害と暴虐と脅迫と苦痛とを喜んで受ける心を、我々は手に入れることにしよう。実際、諸々の天の国は、いな、むしろ諸々の天の王は――ああ、何という惜しみなさ――我々の内におられるのである(Lc 17.21)。我々は、我々をこれ程までにお愛し下さったおん方をできるだけ愛しながら、まさしく悔い改めと忍耐との業を通して、そのおん方に常に寄りすがっていなければならない。

 

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