70 これらの神的なエネルゲイアを、イザヤは七つと言っている。ところで、ヘブライ人たちの間では、七は多を意味している1)。すなわちイザヤは言う。「エッサイの根から枝がはえ、その根から花が出る。そしてその枝の上に、七つの霊が留まる。知恵と理解と認識と敬信と助言と強さと恐れの霊が(Is 11.1-2)」と。バルラアムとアキンデュノスの見解を抱く者たちは、これらの七つの霊は造られたものだと言い張っている。このことについては、我々は、アキンデュノスへの反論の中でも、広範囲に取り上げて、十二分に論駁した。そればかりか、神学者グレゴリオスも、霊のこれらの神的なエネルゲイアに言及して、「霊の諸々のエネルゲイアを霊と呼ぶことは、イザヤの好むところでありました2)」と言っている。また預言者たちの内で、ひときわ声高なイザヤもみずから、(七つという)数によって、神の実体との相違を明白に示したのみならず、それらの神的なエネルゲイアの非被造性を、留まるという言葉によって提示している。実際、留まるということは、際立った品位に属しているのである。そうであれば、我々から取られた主のあのおん身体の上に留まる数々のものが、どうして数々の被造物でありえようか。

 

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