63 しかしある人は、他の多くの人と一緒になって、我々の認識の三重構造も、我々が神の像に関して、天使たちにまさっていることを示している、なぜならそれは、たんに三重であるばかりでなく、認識のすべての形態を含んでいるからと、いうかもしれない。たしかに、すべての被造物の中でただ我々だけが、知性的能力と理性的能力に加えて、感覚的能力をも持っているのである。そしてこの感覚的能力は、理性的能力に本性的に結びついていて、多種多様な多くの技術と知識と認識とを発見してきた。神はただ人間だけに、耕作することや建築することそして非存在から生み出すこと――とはいえ、絶対的な非存在から生み出すのではない。なぜなら、そうすることは、神に属しているからである――をお与えになられた。なるほど、神によって成し遂げられたもので、生成したり消滅したりするものはほとんど何もない。しかし、我々によって成し遂げられた数々のものは、互いに混ぜ合わされると、それぞれ別の形を呈するようになるのである。さらに、精神の不可視的な言葉が、空気の適合によって聴覚に収まるだけを、神は人間たちだけに許されたのではない。また、その言葉が、(文字で)書き表わされた場合には、それが、物体とともに物体を通して見られることをも、神は、ただ人間たちにだけお許しになられたのである。そのうえ神は、いと高き所におられるみ言葉の、肉を通したご来臨とご公現との充分な信仰へと(人間たちを)導き入れようとしておられる。ところがそれらの出来事のいずれも、天使たちの間にはない。

 

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