74 神の実体と神のエネルゲイアとは、分かたれずにあらゆる所に現存しているのであるから、神のエネルゲイアは我々被造物にも受け容れられうるものとなっている。なぜなら、神学者たちによると、神のエネルゲイアは、まさに分かたれずに分かたれるのに対して、神の本性は彼らによると、絶対に分かたれないからである。それでクリュソストモス神父も、「恵みのひと滴は、すべてのものを認識で満たす。そしてその滴によって数々の奇跡が起こり、諸々の罪は赦される1)」といい、しかも恵みのひと滴が造られざるものであることを示した上で、ただちにそれがエネルゲイアであって、実体ではないことを明示したのである。さらに彼は、神の実体および(聖)霊のユポスタシスと神のエネルゲイアとの違いを取り上げて次のように書いている。「わたくしは、エネルゲイアの役割を言っているのである。と言うのは、弁護者は、事実、分かたれないからである2)」。ともあれ、神の恵みとエネルゲイアとは、我々一人一人に受け容れられるものである。なぜならそれは、まさしく分かたれずに分かたれるからである。他方、神の実体は、それ自体では絶対に分かたれないものであるから、どうしてそれが、数々の造られたものの内の何かあるものによって受け容れられるのだろうか。

 

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