89 しかし次のように主張する人もいよう。すなわち、実体それ自体だけが分有である。なぜなら、ただそれだけが、分有するのではなく、分有されるものであり、その他の諸分有はそれを分有しているからである、と。しかし、その人は、その他の諸分有について明敏に考察していないと悟るべきである。実際、数々の生けるものや、数々の聖なるもの、また数々の善きものは、単純に存在し実在それ自体を分有するがゆえに、その分有によって生きている、そして聖なるものとされている、また、善きものとされている、と言われるのではない。むしろ、それらは、生命それ自体、聖性それ自体、善性それ自体を分有することによって、そうだと言われているのである。また、生命それ自体、およびこれに類するその他の数々のものは、さらに別の生命それ自体を分有することによって、生命それ自体となるのではない。まさしくそれゆえに、生命それ自体は、生命それ自体であるかぎり、数々の分有されるものに属しているのであって、数々の分有するものに属しているのではない。ところで、生命を分有するものではなく、むしろ、それ自体が分有されるものであって、しかも諸々の生けるものに生命を与えるものが、どうして被造物でありえようか。そして、その他の諸々の分有の場合にも同様のことがいえる。

 

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