第2章 死への恐れと神々の誕生――宗教の始まり

 

1 原始宗教の起源:アニミズム

前回の授業で、我々は、比較宗教学という客観的な学問の立場から、宗教を次のように定義した。

宗教とは、人間の究極的な意味を明らかにし、人間の問題究極的な解答を与えることができると、人々によって信じられている人間の営み(文化現象・文化的産物)である。

この講義の立場は、宗教を「神から与えられた特殊なもの」とか、「超自然的な啓示によって成立したもの」としては扱わず、「事実として既に『そこにある』文化的産物」として扱うことである。そして、需要と供給という経済学の観点に立って宗教の働きを明らかにするだけである。いったい宗教は、人々のどのような欲求(需要)に対してどのようなサービスを提供(供給)しているのであろうか。

このような立場に立つとき、原始社会の宗教は、人々のいかなる問題(欲求)に基づいて成り立っているのだろうか。以下では、古代社会において人々が抱いていた問題は何だったのか、そして古代宗教はどのような解決を与えると約束したのかという視点から、古代宗教の働き見てみよう。

原始宗教の起源は非常に古い人間が生きていく上で直面する問題は今も昔もそれほど変わらない。原始宗教において解答を迫られた特に重要な問題は、死に対する恐れ・死の問題であろう。これが原始社会に一般的に見られる――そして現代でも見られる――人間の問題である。この人々の要求(ニーズ)に対して、宗教はどのようなサービスを提供するのだろうか。

原始宗教はアニミズム(精霊崇拝)によってこの問題に答えようとした

アニミズムの考え方によれば、死とはこの霊魂と肉体との分離であり、誕生とは両者の結合である。だから死によって肉体が滅んでも、霊魂は死なない。このようにして古代宗教は、死に対する恐れを取り除こうとした(=魂の死後の存続の可能性の提供)

原始宗教には、様々な形態があるが、肉体が消滅した後も生き続ける霊魂への崇拝――永遠の命の信仰――があった点では共通している。何万年もの昔から、人々は死者を葬った墓の向こう側に人知を超えた霊魂の世界が広がっていると考えていた。そしてそのことは、死者を丁重に埋葬し、墓地を立てていた事実から容易に推測することができる。

2 霊・魂・霊魂・息

ところで霊魂という言葉の意味を曖昧にしたまま使用したが、ここで霊魂という言葉の意味を明らかにしておこう。霊魂という言葉で意味されている事柄は、文化によって(あるいは言語によって)多少とも異なるが、人間や動物が吐くと密接な関係を持っている。

1. 霊魂に相当するギリシア語には、「プシューケー(生き物の息、命、魂、意志や欲望や情念の座)プネウマ(風、息、吐息)がある。通常、前者は、と訳され、後者はと訳されて、一応区別される。しかし生きていることのしるしである息や呼吸に由来する言葉である点で一致する。

2. ラテン語の霊魂(anima)も同じ。アニミズムという言葉は、この言葉に由来する。それは、元来、18世紀に、人間の身体を生かしているのはアニマであるという考えを表す医学用語として考案された。

3. ユダヤ教の場合・・・霊魂と訳されるヘブライ語の「ルーアッハ」には、空気という意味がある。ヘブライ語で書かれたユダヤ教の正典によれば、太古の人間はこの「神の息」を吹き込まれて、「生けるもの」となった。この「神の息」は、人間の神聖な生命原理である。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息(ルーアッハ)が吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2章7節)

4. キリスト教の場合・・・動植物ばかりでなく無機物にも宿る生命原理で、その点に関する限り、人間の魂(霊魂)は、他の動植物の魂(霊魂)とは区別されない(ギリシア哲学の影響)。しかしユダヤ教の人間観を受け継いで、人間の霊魂はまさに「神の息」を受け継ぐ特別な存在と信じられている(命+理性)

5. イスラム教の場合・・・霊魂に対応する特別な概念や言葉は、イスラム教の正典(クルアーン)の中では、見つからない。それに関連する幾つかの言葉から、人間の体から独立した存在とは考えらず、霊魂と身体は統一的に捉えられ、現実的に分離不可能なものという考えられた。このような考えに従えば、身体がなくなれば消滅する。しかしクルアーンによれば、その霊魂は、最後の審判のとき、身体とともに復活させられるとされている。

 しかし神道や仏教の霊魂に対する考方は独特である。インド・ヨーロッパ語系はセム語系の言葉では、霊魂は息と関連付けられた生命原理と信じられている。これに対してアニミズムの典型とも言える神道では、霊魂は、物を「生み出す」働き(豊饒多産の原理)から理解されている。

6. 神道の場合・・・これに対応する日本語の概念は、「もの(非人格的な霊で悪霊や死霊も含む)、「たま(霊・魂)とも表現され、「カミ」とも称される。動植物を生み出し活かしめ生命原理で、身体(=物)から分離(=死)したの地も存続する。それゆえ魂は、ムスビ(産霊)とも読まれる。神道における霊魂は、豊饒多産(fertility)と関連する。

7.   仏教の場合・・・人間の霊魂()の存在を積極的に認めていない(無我説)

いずれにせよ一般的には古代社会では霊魂は死後も存続するものと人々によって信じられた。しかし霊魂が死後にも存在するという信念はどのようにして考え出されたのだろうかイギリスの人類学者E.B.タイラー(18321917)によると:

原始社会の人々は、夢や幻想を見ることによって霊魂の存在に気づかされたのだという。夢や幻想の中に、自分の分身が夢を見る自分から離れて存在することを感じ、自分が死んだ後も自分の分身である霊魂が生き続けると確信した、というのである

ギリシア神話では眠りの神ヒュプノスと死の神タナトスが双子の兄弟神だとされているのも、このこと――つまり睡眠という小さな死の中で死後の自分に出会うこと――と関連がありそうである。またラテン語やギリシア語では、幻想幽霊」「亡霊ファンタスマ(phantasma)という同じ言葉で表わされる。

3 永遠の魂・・・埋葬

人間の霊魂が死後も存続するという信仰は、上記のような心理学的な分析や言語学的な分析によってばかりでなく、死者の埋葬の事実からも窺うことができる。

1. 死者の遺体を丁寧に扱う ← あの世で生き続けるという希望と不安(死者への恐れ)

2.  という死後の住居の建設 ← 行方も知れぬ死後への不安(死後の居場所への不安)

人類が初めて死者を葬るようになったのは、今から約10万年前のことだされる。ロシア、フランス、イスラエルなど非常に広範囲の地域で、旧人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)新人(ホモ・サピエンス・サピエンス)埋葬が確認されている。彼らの遺体はきちんと安置され、花や貝殻などの装飾品が数多くそえられていた。この時代には、厳しい自然環境の問題から、突然の死を迎える者も多かったに違いない。その突然の不幸を埋め合わせるかのように、立派な葬儀が行なわれていたようである。このような埋葬の行為は、死後の霊魂の存続の信仰がなければ行なわれない

埋葬の方法は、時代が進み、社会が変化するにつれて変わり、土葬(土から生まれたものは土に帰る)から火葬(霊気となって天に昇る)が始まり、小高い丘(守護霊となって留まる)に埋葬され、墓地は目立つものとなった。

なぜ、死者が「高いところ」に葬られるようになったのか。これには死者への追憶と共に孤独な死者を温かく見守りたい、あるいは死者の霊に見守られていたいという願望――孤独からの解放の願望――が働いていたに違いない。身近な例は、死者の眠る場所に墓碑を建てることであろう。残された者たちはそこで故人の思い出を偲び、保護者を失ったことの寂しさをいやし、また死者の霊を温かく見守るのである。そのありようは、昔も今も変わりはない。

しかし、エジプトやメキシコのピラミッドは、死者を孤独から解放しようという働きの他に、現世の栄華を死後も存続させたいという故人の野心、あるいは残された者たちの願望に対する答えでもあろう。社会が複雑になるにつれて、埋葬の様式も、人々の願望の変化に合わせて多様化していくのである。

もちろん死者を丁重に扱う理由には、死者を喜ばせて死者の呪いから身を守る、という願望もある。そのためにそのため墓の入り口は重い石で閉ざされたその理由は:

・ 死者(の霊魂)が逃げ出して人々の前に現れるのを防ぐ ⇒ 墓は永遠の牢獄 

・ 死者が安心して永遠の眠りにつく場所の確保 ⇒ 外部から侵入されないようにする

このように死後の霊魂の存続の信仰と埋葬方法には、人間の様々な欲求(ニーズ)が反映している。しかし死の問題(人間の問題)をめぐる人間の欲求は、埋葬の習慣にだけ姿を現すわけではない。使者と遺された人々とのかかわり(交流)は、他の習慣の中にも見出される。

4 永遠の魂・・・供養

死者と現世に残された人々との交流は、埋葬の習慣以外にも、様々な形で行なわれてきた。それはたとえば、死者の霊に供え物などをして、その冥福を祈る供養という習慣である。死出の旅路のための食糧を提供することがアニミズム社会では広く行われた。こうすることで人々は、死者の霊魂が永遠に生き続け死者の安らかな眠りが保証されると考えている。たとえばメキシコのインディオの村では、死者の日である112日に、墓前に食糧を供える。

現在、日本の宗教行事となっているお盆(盂蘭盆会)でも、死者の霊魂を各自の家で向かえて供え物をし、また送り出している(精霊流し花火)。しかしながらこれは、後述するように、仏教本来の教えに基づく儀礼ではなく、アニミズム(=神道)の影響である。