第6章 自然の中の聖なる力

 

比較宗教学の基本的図式

宗教の定義

宗教とは、人間の究極的な意味を明らかにし、人間の問題究極的な解答を与えることができると、人々によって信じられている人間の営み(文化現象・文化的産物)である。

我々は宗教をこのように定義し、宗教は人間の問題(需要・ニーズ)に対してどのような解答(供給・サービス)有償ないし無償提供できるるかという観点から、アニミズムの働き(機能)を観察し分析した。これまで取り上げた人間の問題をまとめると、死の問題生の問題(誕生の神秘)、また簡単に言えば、幸福の問題があった。そしてアニミズムは、それらの諸問題に対して、霊魂の永遠性という観念を前提にして様々な「克服」を提供した。しかし人間の問題はこれだけには限られない。次に問題になるのは、我々が生活を営むこの世界それ自体の由来である。

第4の人間の問題:世界の神秘

 世界(この世)は、どこから来たのか(創造の問題)

 世界(この世)は、どこへ行くのか(終末の問題)

 来世(天国や地獄)は、どこにあるのか

 世界(宇宙)と人間はどのように関係するのか

世界がどこへ向かい、来世はどこにあるのかという問題に対して、現代の諸宗教が提出する回答は、きわめて曖昧で、人間の空想推測の域を出ないというのが真相である。しかしアニミズムの考え方では、その答えは明確である。世界は一つしかなく、来世もこの世界の内にある。つまり、人間の来生はこの同じ世界のどこかで営まれるのである。世界という言葉の中に宇宙を含めると、天国は文字通り、 天上(宇宙)のどこかにあり、地獄も地下(宇宙)のどこかにある

ここでは、世界はどこから来るのかという問題に対して、アニミズムはどのような解答を提供したかにを簡単にみてみたい

 

1 天地創造・・・混沌と秩序

無数に存在する天地創造神話は、原初の混沌を秩序づけることから始まる点で共通しているが、特異な創造神話は、「宇宙卵」に関する神話である。これは普通の卵のように雄と雌の間で生まれたものではなく、神の言葉が作ったものである。たとえばアフリカのドゴン族では、最高神アンマが初めて発した言葉がこの卵をつくったとされている。これはユダヤ教とキリスト教の聖典である旧約聖書で、神の言葉が世界を創造したと書かれていることに非常に似ている。

参考までに、この旧約聖書の天地創造の物語(創世記1,1~2,4)を以下に引用してみよう。

初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の表にあり、神のが水の面を動いていた。

神は言われた。「光あれ」。こうして、光があった。・・・第一の日である。

神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ」。神大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。・・・第二の日である。

神は言われた。「天の下の水は一つ所に集まれ乾いた所が現れよ」。・・・第三の日である

神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。天の大空に光る物があって、地を照らせ」。そのようになった。神は二つの大きな光る物を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。・・・第四の日である。

神は言われた。「生き物が水の中に群がれ。鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」。・・・第五の日である。

神は言われた。「地は、それぞれの生き物を生み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれ生み出せ」。・・・。

神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろうそして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」。神はご自分にかたどって人を創造された男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」。・・・第六の日である。

天地万物は完成された。第七の日に、神はご自分の仕事を完成され、第七の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。これが天地創造の由来である。

キリスト教やユダヤ教は一神教とされているのに、この創世記の言葉の端々にアニミズムの痕跡が見出される。「神の霊が水の面を動き」、神はみずから創造した万物に、まるで生き物であるかのように語りかけている(太字)。そして「産めよ、増えよ」という言葉は、豊穣多産というアニミズムの重要な観念を反映している。

宇宙卵にしろ、ユダヤ教やキリスト教の天地創造の物語にしろ、万物の創造に先立って、神が存在するということが前提になっている。

 同じことは、ユダヤ教やキリスト教の申し子とも言えるイスラム教(イスラーム)についても言える。イスラームの聖典『クルアーン』(コーラン)の中から、神の天地創造を語る場面を以下紹介しておこう。

クルアーン57章 鉄 (アル・ハディード)

慈悲あまねく慈悲深きアッラーの御名において。

1. 天にあり地にある凡てのものは、アッラーを讃えろ。本当にかれは偉力ならびなく英明であられる

2. 天と地の大権は、かれの有であるかれは生を授け、また死を授けるかれは凡てに 就いて全能であられる

3. かれは最初の方で、また最後の方で、外に現われる方でありまた内在なされる方である。かれは凡ての事物を熟知なされる

4. かれこそは天地を6日の間に創造なされ、それから玉座に鎮座なされる方である。かれは地に入るもの、そこから出るもの、また天から下るもの、そこに上るものを知り尽される。あなたがたが何処にいようとも、かれはあなたがたと共にあられる。アッラーはあなたがたの行う凡てのことを御存知であられる。

5. 天と地の大権は、かれの有である(一切の)事物は、アッラーの御許に帰される

6. かれは夜を昼の中に没入させ、また昼を夜の中に没入なされる。また胸に秘めることを熟知なされる。・・・

 ユダヤ教やキリスト教の後に成立したイスラームは、原則的に徹底的な一神教を説くため、『旧約聖書』に見られる多神教的な表現は見当たらない。しかし、万物の創造に先立って、万物よりも先に神が先に存在する点では、共通している。さらに、イスラームの聖典『クルアーン』が、天地の創造に関して『旧約聖書』からかなりの影響を受けているのが分かる。

これらの宗教とは反対に、神よりも先に卵が存在し、卵から先ず神が生まれたという話もある。中国の神話では、宇宙卵から盤古という神が生まれ、混沌から世界を形成したとされる

「盤古」は三国時代、呉の徐整の著書「三五略記」に初登場する。それによると、まだ天地が分かれていない時、宇宙は混沌とした卵のようだった18000年経って、その中から盤古は生まれた盤古は持っていた手斧で闇を打ち破った陽の気を持った清いものは上昇して天となり、陰の気を持った濁ったものは下降して大地になった盤古は天と地の間にいて、天地がもとに戻らないように支え続けた。盤古の身長は1日1丈ずつ伸び、それにつれて天は1日1丈ずつ高くなり、大地も同じだけ深くなった。18000年が過ぎて、盤古の身長は90000(60300km)になったが、力尽きて死んでしまったしかし天地は完全に分離して再び混沌に戻ることはなかった。彼の死体は世界を形作る多くのものに変化した、とされる。

またタヒチの神話でも、タアロアという最高神宇宙卵の殻を破って出現し、無数の生き物を作り出したという。『日本書紀に見られる宇宙創造神話もこの「宇宙卵」の類型(宇宙卵生型)に属する。以下に、『日本書紀』の一説を要約文の形で引用しよう。

昔、天地が未だ分かれず、陰陽も分かれていなかった時、混沌(ぐるぐると回転して形体が定まらない様子)としている状態は鶏子(卵の中身)のようであり、ほのかに芽生えを含んでいた。その澄んだものはたなびいて天となり、重く濁ったものは積もって地となった。済んだものが合わさるのはまとまりやすく、重く濁ったものが凝るのは固まり難かった。そこで、天がまず形成され、地はその後に定まった。

そうして後に、神がその中に生じた。そこで言われるのは、開闢した初めには、洲壌(くにつち)の浮かび漂う様子は、例えば泳ぐ魚が水上に浮かんでいるようであった。時に、天地の中に一つの物が生まれた。形は葦の芽のようであり、やがて神となった。クニノトコタチ尊という。次にクニノサツチ尊。次にトヨクムノ尊。全部で三神であった。陽気だけで生じた。そのために、これらは男として成り出でた。

また、『古事記の天地創造神話説では、宇宙卵から神々が生まれたといういうことは書かれていないが、どうやらそれを前提として、神々が混沌から自然発生的に生まれ、混沌としたものに秩序と形を与えたとされている(原始混沌型)である。以下には、『古事記』に記された天地創造神話を要約文の形で引用しよう

【神生み神話】

臣安万侶が申し上げます

そもそも(元始において)、混沌はすでに凝り固まったものの、まだ気も形も現れず、名付けようも無く動きも無く、誰もその形状を知ることはできませんでした。しかしながら天と地が初めて分かれると、三神(アメノミナカヌシ神・タカミムスヒ神・カムムスヒ神)が万物創造の初めとなり、また陰と陽が分かれると、二霊(イザナキ神・イザナミ神)が万物を生み出す祖神となりました

そして(イザナキ神が)黄泉国に出入りし、(禊ぎをして)目を洗う時に日と月の神が現れ海水に浮び沈みして身を洗う時に多くの神々が現れました。こうして始原以前のことは判然としませんが、神代からの伝承によって、神が国土を生み島を生んだ時のことを知り元始の頃のことは遥か太古のことですが、古の賢人のおかげで神々を生み人間を生み出した頃のことを知ることができます。・・・

【天地の初め】

天と地が初めて分かれた時高天原(たかまのはら)に成り出でた神は、アメノミナカヌシ神、次にタカミムスヒ神、次にカムムスヒ神である。この三柱の神は、皆単独の神として成り出、姿を現さなかった。

次に、国土がまだ若く、水に浮いている脂のような状態で、海月(くらげ)のように漂っている時、葦の芽が萌え出るように成り出でた神の名は、ウマシアシカビヒコヂ神であり、次にアメノトコタチ神である。この二柱の神も皆単独の神として成り出で、姿を現さなかった。・・・

【オノゴロ島】

そこで天つ神一同の命令で、イザナキ命・イザナミ命の二柱の神に、「この漂っている国土をよく整えて作り固めよ」と命じ、天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けて委任なさった

そこで、二柱の神は天の浮橋に立ち、その沼矛を指し下ろしてかきまわし、塩を「こをろこをろ」とかき鳴らして引き上げる時、その矛の先から滴り落ちた塩が積もり重なって島ができた。これが淤能碁呂島(おのごろしま)である。・・・

【国生み神話】

その島に天降り、の御柱(みはしら)を立て、広い御殿を建てた。そこでその妹イザナミ命に尋ねて、「おまえの身体はどのようにしてできているか」と言うと、「私の身体は成り整って、成り合わないところが一箇所あります」と答えた。

そこでイザナキ命が言うには、「私の身体は成り整って、成り余ったところが一箇所ある。そこで、この私の身体の成り余ったところでもって、お前の身体の成り合わないところに挿し塞ぎ、国土を生み出そうと思う。生むことはどうだろう」と言うと、イザナミ命は「いいでしょう」と答えた。

そこでイザナキ命が言うには、「それならば、私とお前とでこの天の御柱を廻ってから会い、みとのまぐはひをしよう」と言った。そう約束してすぐ、「お前は右から廻って会いなさい。私は左から廻って会おう」と言い、約束の通りに廻る時、イザナミ命が先に、「ああなんていい男なんでしょう」と言い、その後でイザナキ命が、「ああ、なんていい女なんだ」と言い、それぞれ言い終わった後に、その妹に対して、「女が先に言葉を発したのは良くない」と言った。

しかし、寝所で交わり、子のヒルコを生んだ。この子は葦の船に入れて流し捨てた。次にアハシマを生んだ。この子も御子の数には入れなかった。

そこで二柱の神が相談して言うには、「今私たちが生んだ子は良くなかった。やはり天つ神の所へ行って申し上げるべきだろう」と言うと、すぐに共に参上して天つ神の指図を仰いだ

そこで天つ神の命令によって、ふとまにで占って言うには、「女が先に話し掛けたのが良くなかったまた帰り降って、改めて言い直しなさい」と言った。

そこで帰り降り、再びその天の御柱を廻るのは先と同じである。そこでイザナキ命が先に、「ああ、なんていい女なんだ」と言い、その後で妹イザナミ命が、「ああ、なんていい男なんでしょう」と言った。

こう言い終えて、交わって生まれた子は、アワヂノホノサワケ島である。・・・

【神生み神話】

すでに国を生み終えて、更に神を生んだ

そして、生んだ神の名はオホコトオシヲ神である。次にイハツチビコ神を生み、次にイハスヒメ神を生み、次にオホトヒワケ神をみ、次にアメノフキヲ神を生み、次にオホヤビコ神を生み、次にカザモツワケノオシヲ神を生み、次に海の神である、名はオホワタツミ神を生み、次に水戸(みなと)の神である、名はハヤアキツヒコ神、次に妹ハヤアキツヒメ神を生んだ。・・・

神道の創造神話では、混沌とした万物に先立って神々が存在したとは明言されていないことがわかる。むしろ動植物が自然発生的に誕生したように、混沌とした万物から神々が自然発生したかのように語られている

いずれにせよ、アニミズムは、「世界がどこから来たのか」という問題に対して、「世界は、何らかの神によって、何らかの混沌とした材料から作られた」と回答した――その混沌とした材料が、神より先に存在するのか、神より後に存在するかは別にして。

2 占星術の起源

古代社会では生きているものとは動くものを意味し生きていないものとは動かないもの(変化しないもの)を意味していた。したがって動物植物天体なども魂(=精霊)を持った生き物だった。そして魂を持った人間同士がお互いに働きかけるように、これらの動植物や天体も、何らかの仕方で人間に働きかけるものと考えられた。中でも天空を整然と運行する天体は、地上の物体に働きかける強力な力を持っていると信じられた。これが占星術(星占い)の起源である。

古代ギリシアやオリエントでは、地球から見られた宇宙(=天空)は、十二の領域に分けられ(黄道十二宮)、それぞれに主に動物の名を関した星座が割り当てられた[3]。そしてこれらの星座は、地球のあらゆる生物の運命に影響を与えると信じられた。こうした考えは、占星術に形を変え、現代もなお生き続けている。

いわゆる人生占いで使われる中国起源の十二支も、本来は十二年で天空を一周する木星の位置を示すための天文学の用語であり、占星術の影響下にある。

また、一週間の内の曜日の名前もアニミズムの想定に基づいて定められている各曜日の名は、それぞれ特定の天体に由来している。月曜日は月に、火曜日は火星に、水曜日は水星に、木曜日は木星に、金曜日は金星に、土曜日は土星に、そして日曜は太陽に関連づけられている。これらの名称は、古代エジプトに起源を持っており、時代や言語を超えて今日まで生き続けるアニミズムの名残である。

3 太陽

宗教は、社会のニーズを反映するものであるとすれば、社会が複雑化し、強力な支配者や統一国家が形成されれば、宗教も変容する。

強力な支配者中央集権的な統一国家が出現するに及んで、それを正当化し、権威付けるために、強力な最高神を中心とする組織化された多神教ないしは一神教(唯一神教)が形成された(文化的産物)。宗教は、いわば地方分権的な多神教から中央集権的な多神教ないしは絶対主義的な一神教(唯一神教)へ進展していくのである。

数多くの神や霊魂が存在するということは、それぞれが勝手な行動をして世界を混乱に陥れる可能性を持っている。社会が組織化されるにつれて、多くの神をコントロールして、世界を一つにまとめる最高神が必要とされたもっとも一般的な最高神は太陽である。太陽は昼間は強い光りを放ちながら空を駆け巡っているが、毎日沈んで姿を消したり、冬には光りが弱まったりするため、いつか完全に消えてしまうのではないかという不安がついてまわる。こうした不安はアニミズム社会では大きな問題であり、そのため太陽崇拝が広く行なわれた。

日のさす時間が短い山岳地帯や北欧では、特に太陽を神聖化する傾向が強い。太陽が姿を見せない時間が多くなる秋のことを、英語では「落下」を意味する言葉(fall)で表わしている。またキリスト教が浸透する前の北欧では、ユールという神(=精霊)に捧げられた冬至の祭りが盛大に行われていたが、これは日照時間の最も短くなった日に、太陽の復活を祈願する祭りである。この北欧神話のユールとキリスト教の聖人ニコラウスの伝承が習合して出来上がったものが、あのサンタクロースである現在でも北欧では、聖ニコラウスの祝日(126)は、クリスマスと同じくらい盛大に祝われている。他方、クリスマスは、もともと14世紀のローマ帝国に普及していたミトラ教において、「征服されることなき太陽の誕生日」と呼ばれる重要な祭日だった。3世紀のローマ皇帝アウレリアヌス太陽崇拝を国家の祭儀と定め(237)、みずからを人間界の太陽と宣言した。しかしその約1世紀後、ローマ皇帝コンスタンティヌス1がキリスト教に改宗し、これを公認したため(313ミラノ勅令)、この日は太陽の誕生日からイエスの誕生日に変えられたのである。このことに関しては、キリスト教の章で更に詳しく解説する。

4 太陽王

宗教が人間の必要に応じて存在するものであるとするならば、太陽崇拝と唯一の権力者である地上の王の間には、密接な関係がある。中央集権国家では、宗教も統一される必要があったため、神々の頂点に立つと思われた太陽神の崇拝が盛んだった。たとえば、

1. インカ帝国の皇帝は太陽神の息子であると考えられた。

2. 日出ずる国である日本の天皇は、太陽の女神である天照大神の子孫であるとされている。

3. 中国には、「空に太陽がふたつないように、国にもふたりの王は存在しない」という諺がある。

4. 古代エジプトでも太陽崇拝は盛んだったが、アメンヘテプ4(BC14C)の時代には、太陽神アテンが唯一の神と定められた。これはそれまで国家の守護神とされていたアメン神に仕える神官団の権力が増大したため、それへの対抗手段として考えられたものだった。

5. キリスト教の開祖であるイエスと仏教の開祖であるブッダとが太陽のごとき王になぞらえられることもあった。どちらも王族の子孫であり、暗闇の中を歩む者を照らす光なのである。イエスは聖書の中でダビデ王の子孫とされ、ルカによる福音書では、「闇の中に横たわる者を照らす光」と書かれている。ブッダも、古代北インドの釈迦族の王シュッドーダナの息子であると同時に、太陽の輪に先導されて世界を平定するインド哲学の帝王、 転輪聖王 ( てんりんじょうおう )の息子だという説がある。

このような宗教における偉大な指導者と太陽との結びつきは、アニミズムの伝統が残した遺産の一つであろう。

5 月

毎日昇っては沈む太陽は、年月を刻み、歴史をつくる。月にはそのような力強さはないが、ほのかな光をたたえながら、静かに確実な動きをしている。月の満ち欠けの周期は28日であり、女性の月経の周期と同じであるとされていることから示唆されるように、月の満ち欠けと地上の生物との間には何らかの関係があるのかもしれない。事実、昔から、月の満ち欠けは人間の精神に異常を起こすと考えられており、現在でも病院関係者の間ではそのようにささやかれている。

太陽が必ずしも男性を象徴していないように(たとえば日本神話に登場する天照大神は女神である)月もまた女性を表わしているとは限らない

ローマ神話のユノー、ギリシア神話のセレネ、エジプト神話のバステト、マヤ神話のイシュチェル、アステカ神話のショチケツァルなとは月の女神である。しかし、日本神話の月読尊シュメール神話のシン男神である。

このように太陽と月の聖別は神話によって異なっている。おそらく、こうした聖別を決定する最大の要因は、社会で誰が優位に立つかということにあろう。すなわち、母権社会であれば、太陽神は女性であり、父権社会であれば、太陽神は男性となる。このことを裏付けるのは、意外にも平塚雷鳥らがその雑誌『青踏』に載せた次のような言葉であろう。元始、女性は太陽であった。ところが今は月である。ただし、これは正確な引用ではない。

いずれにせよ、太陽と月は、同性となることはなく、夫婦と見なされることが多かった。月の性別は、社会の支配層の性別によって決まる

 

6 偵察衛星

科学の発達により、それまで崇拝の対象であった宇宙空間は物理的な力で支配できる世俗的な存在へと姿を変えたしかし最新の科学技術によって一度は退けられた神的な存在が別の形で再来したようにも見える。それは偵察衛星である。偵察衛星は、全知全能の神のように、この地上を精密なカメラで絶えず監視しし、ほとんどあらゆるものを見ることができる。そして、天上の神が世界の人々を一つにまとめるように、宇宙空間にある人工衛星は、国境を越えて広がる電波を介して世界の人々を一つに結んでいる。空に向けて並べられたパラポラアンテナは、まるで天を仰いで神の声を聞き、祈りを捧げる人間の姿のようである。確かに今日の科学技術は、神の役割の一端を担っている

7 水

水は汚れたものを洗い流すそのため水は、古代から現代にいたるまでほとんどあらゆる宗教で、人の罪を洗い流す働きがあると信じられた

アニミズムは、水の働きが、一定の条件の下に、人間の罪を洗い流すと考えた。言い換えれば、アニミズムは、人間の罪の(赦しの)問題に対して、による清めによって答えた。

たとえば、キリスト教徒となるための儀礼である洗礼は、全身を水に浸すか、頭に水を注ぐことによって罪を洗い清め、新しい命を得ることを目的としている。かつて、スペインのキリスト教の宣教師がメキシコに到着したとき、アステカ族の間では洗礼とよく似た儀礼が行なわれていた。それは水の女神チャルチウトリークェの力によって子どもたちを聖なるものとする儀礼で、祭司は子どもを水に浸して、

「この水を浴びなさい。なぜなら女神はおまえの母だからである。この水によってお前の先祖たちの罪が清められるように」

と言う。この言葉の「女神」を「神」に、「先祖たちの罪」を「原罪」に変えれば、キリスト教の洗礼と同じになる。原罪とは、キリスト教の教えによれば、人間が生まれながらにして持っている罪への傾向といったものである。洗礼を受ければ、これまでの罪(特に原罪)が赦されるというのは、第三者的な立場に立って言えば、信者獲得のための手段に過ぎないといえるけれども・・・。なぜなら洗礼を受けてキリスト教の信者になっても、(重大な)罪は犯し得るし、現に罪を犯すからである。

同様に、マヤ族の一種族であるキチェ族では、死者の墓に聖水をかけて生前の罪を清めるとともに死後の他界への門出を祝った。これもカトリック信者が埋葬されるときに、司祭が聖水をまく儀礼と似ている。日本の神道にも禊という清めの儀礼がある。もちろん、イスラーム(イスラム教)にも清めの儀礼がある。

9 海

泉の水が清めの役割を果たすのに対して、海の水はすべてを飲みこんでしまう恐ろしい存在である。ギリシア神話では、泉は愛らしい妖精のニンフの遊び場であり、海は怪物である竜の住処とされている。その証拠に、海神ポセイドンの武器は海の怪物の歯をあらわす「三叉の矛」である。海で働く人々にとって、荒れ狂う海は恐怖の対象であるしかし海は豊かな魚介類を育む命の母であり、商人や宣教師にとって、海は便利な交通を可能にしくれる ( いつく ) しみ深い存在でもあった。荒れ狂った海を鎮めて船乗りを護る海の聖母への崇拝はカトリック教会で知られているが、これも古くから世界のどこにでもある海の女神に対する崇拝の延長線上に位置している。

海に対する人間の両義的態度(海を恐怖の対象と見る態度と、恵みの源と見る態度)が、海に宿るとされる神々に反映していると言える。宗教は、人間のニーズを反映するのである。

10 山

は非常に古くから、聖なる存在と考えられてきた。アニミズムにおいて、山は天空と地との出会いの場であると考えられた。したがって山は、神的なるものの崇拝のための理想の所とされた。

世界でもっとも高いエベレスト山は、チベット語で「チョモランマ(この世の母なる女神)」と呼ばれる聖なる場所である。

世界のあらゆる宗教には、それぞれ聖なる山が存在する。それは、インドの宗教におけるメール山のように架空の山であったり、日本の高野山やギリシアのオリュンポス山、ユダヤ教のシナイ山のように実在する山であったりする。

一つの山が複数の宗教によって神聖視されている場合もある。たとえば、チベットのカイラス山は、ヒンドゥー教では主神シバの楽園であり、チベット仏教では神の住居であり、ジャイナ教では24人の祖師(ティールタンカラ)が啓示を受けた場所であるとされている。また中国の泰山や武夷山には、仏教道教、あるいは儒教]の寺院が同時に建てられている。キリスト教やユダヤ教の聖書の中で、ノアの箱舟の上陸地とされているトルコのアララト山キリスト教、ユダヤ教、イスラム教に共通の聖地である。

また、古代メソポタミアの神殿ジッグラトから、メキシコのピラミッドにいたるまで、かつて神は人々が近寄ることも難しい高所にいると考えられたマヤ族の神殿は、ウシュマル遺跡のピラミッドのように60度もの勾配の上にあり、神殿にいる祭司と下で祈りを捧げる民衆との間には、目もくらむほどの隔たりがあった。

山は、優れた人間の霊魂が昇っていく場所でもある。キリスト教の開祖イエスとイスラームの開祖マホメットは生涯を終えると、エルサレムの高い場所、つまりイエスはオリーブ山、マホメットは岩のドームから天に昇っていった。しかし実は、オリーブ山も岩のドームも、もともとイエスやマホメットの昇天以前に聖なる場所と定められていたのである。オリーブ山はユダヤ教以前の古い宗教における崇拝の地であり、岩のドームはモリア山という名前ではあったが、旧約聖書の中でアブラハムがイサクのかわりに雄羊を犠牲に捧げた場所でもあった。すなわちいずれの山も、アニミズムに由来しているのである

11 大地

山が神の住処なら、大地は人々が生きる場所である人々は、生きている間は土の上で汗水を流して働き死後、少なくともその身体は地に帰る。大地は、人々の生活を支える土台であり、なくてはならぬものである。特に、作物をよく実らせる肥沃な土地は、母のイメージを持っている。たとえば、

1. ギリシア神話では、大地の女神であるガイアが天空の神ウラノスを生んだとされる。

2. オセアニアのマオリ族の宗教では大地の女神パパに大勢の子どもがいるとされている。

3. インド最古の聖典リグ・ヴェーダには、「汝の母であるこの大地の下に行け」という賛歌がある。

4. 旧約聖書のヨブ記には、「私は裸で母の胎内から出てきた私は裸でそこへ帰ろう」とある。これは、死後に母なる大地が人々を迎えてくれることを示している。

5. イスラームの聖典クルアーン』では、「妻はあなた方の耕地である」とされ、肥沃な大地と生殖力のある女性とが結びつけられている

6. 北アメリカのインデイアンの宗教では、大地を母なる女神として神聖化する傾向が特に強かった。「偉大なる神の霊は我々の父であるが、大地は母である大地は我々を養ってくれる」とアブナキ族の祭司が言っているように、彼らは「聖なる母である大地」を崇拝していた。19世紀中頃に「夢想教」を創始したアメリカインディアン・ネズペルセ族の預言者スモハラは、次のように言っている。

「白人よ、お前は私に、大地を耕せ、と要求する。/この私に、ナイフを手にして、自分の母親の胸を裂け、と言うのか。/そんなことをすれば、私が死ぬとき、母親はその胸に、私を優しく抱きとってはくれないだろう」。

大地を生き物と捉えるアニミズムの立場に立てば、無思慮に大地を耕すことは母を攻撃することであった。自然の回復力を無視した闇雲な自然破壊は、宇宙全体(=神的なるもの)の冒瀆に等しいであろう

12 母なる大地と自然保護

アニミズムの世界観をこのように分析してみると、おそらく自然保護には、アニミズムの考え方がきわめて有効であると考えられる筆者の聞くところによると、1872年に世界で初めて国立公園と定められたアメリカのイエローストーン国立公園も、1890年制定のヨセミテ国立公園やセコイア国立公園も、インディアンたちが聖なる場所として崇拝していた場所に作られているとされる。つまり、宗教が聖なるものとした自然を、国家が法律を定めて守っているのである。

同じことは、ユネスコの自然遺産(世界遺産)に登録されている白神山地や「紀伊山地の霊場と参詣道」についても、当然言えよう。特に後者は、学術的に貴重であるからというよりも、文化的(=宗教的)に貴重であるからという理由で世界遺産に認定されている。すなわち、そこは神聖な場所なのである。

かつて原始社会の人々は、ときに牙をむいて襲いかかる自然に対し、その機嫌を損ねないように崇拝し、そこから神の概念も形作られていった

人間は、自然との様々な関わりの中で神の概念を作り上げていった。宗教を信仰者の立場からではなく、第三者の立場から見れば、そういう結論に達する。初めに神があったのではなく、初めに人間と自然があったのである。

しかし、現代社会に生きる我々は、「自然が死んでしまわないように」保護する努力を求められている。21世紀になお、宗教が有効な意味を持ち得るとすれば、その可能性の一つは自然の崇拝ないしは尊重と、自然環境の保護へと、人々の関心を向かわせるものでなければならないだろう