109 オリゲネス:使徒が言ったこと、すなわち、「人間たちによってでもなく、人間を通してでもなく、イエス・キリストを通して使徒になったパウロ[1]」と言っていたことから、イエス・キリストが人間ではなく、神的な本性であったことが明白に理解されることが与えられる。なぜなら、もしも彼が人間であったなら、パウロは、「人間たちによってでもなく、人間を通してでもなく使徒になったパウロ」と言う言葉を言わなかっただろうからである。実際、もしもイエスが人間であり、そして彼を通してパウロが使徒の中に採用されたのなら、ともかく彼は人間を通して使徒になった。他方、もしも彼が人間を通して使徒だったなら、彼は決して、「人間を通してでもなく」言わなかっただろう。しかし、パウロはそれらの諸々の言葉を通して、イエスを人間的な本性から明白に分離している。なぜなら彼には、「人間を通してでもなく」と言ったことでは十分でないからである。彼は、「イエス・キリストを通して」と言って付言している。とにかく彼は、(イエスが)より卓越した本性に属していることを知っていたが故に、自分が「人間を通して」(使徒の中に)採用されたの「ではない」と言ったのである。



[1] Ga.1,1.

 

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