118 オリゲネス:もしもキリスト・イエスが、「神の形姿の中にいたにもかかわらず、自分が神と等しいことを略奪品とは思わず、かえって自分自身を虚しくし、下僕の形姿を受け取り、そして、人間たちの似姿の中に習態において成り、人間として見出され、自分自身を卑下し、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順な者になった[1]」のであれば、次のことは疑い得ない:彼の誕生は、人間たちの誕生に関して考えられるように、以前は存在しなかった者が存在することを始めたような誕生でなく、以前に存在しいて、しかも神の形姿の中に存在していた者が、更に「下僕の形姿」を取るために来たこと[2]。最後に、「肉から生まれたものは肉である[3]」と(彼は)言っている。「生まれたもの」とは、すなわち、次のことを言った女から(生まれたものである):「ご覧ください、(私は)主の下女です。あなたのお言葉の通りに私になりますように[4]」。これは、「下僕の形姿」であり、確かに肉である。



[1] Ph.2,5-8.

[2] Cf.Fragm.Mt.3(GSC 41,1, p.14,5-10):「キリストの誕生は、ある人たちが人間たちについて考えるように、非存在から存在への過越ではなく、神の形姿の下での存在から、下僕の形姿を取ることへの過越である」。

[3] Jn.3,6.

[4] Lc.1,38.

 

次へ