125 オリゲネス:しかし、聖文書の中に記載されている聖人たちの一人ひとり――また()文書は彼らを神の義人たちであり選ばれた人たちであることを証言している――に関しても、救われることを切望する人たちからの何らかの信仰があるべきである。実際、神への信仰は、聖人たちについて、彼らが聖人たちであることが信じられるところの信仰をも人がもたなければ、完全にはなり得ない。

我々が言うことは次のようなことである。神を信じる人は、彼の教義も真実であることを受け容れただろう;そして彼は、アダムが最初の人間として形成されたことも信じる[1];そして彼は、エヴァに関しても、神がアダムの諸々の肋骨から一つを取って、それを彼の妻になるように建設したことを信じる[2];そして彼は、エノシュが「神なる主の名を呼び求めることを真実に希望した[3]」ことも信じる;そして彼は、エノクがメトシェラを産んだ後に二百の諸々の都市の中で神を喜ばせたので(天に)移されたことも信じる[4];そしてノアに関しても、箱を制作せよという諸々の託宣を受け取り、彼だけと、彼と共に箱の中に入った(生き)ものたちとだけが洪水から救われたこと[5](を信じる);同様にアブラハムに関しても、彼が神の証に値したこと、そして、彼がマムレの樫の下にいたとき、三人の男――彼らの一人は主であった――を持て成しによって受け入れたこと[6];そしてイサクに関しても、あるいはどのようにして彼が生まれたか[7]、あるいはどのようにして彼が父によって(生け贄として)捧げられたか[8]、あるいはどのようにして神の諸々の応答を聞くに相応しいとされたか[9]、を彼は信じる。しかしヤコブに関しても、名前が変えられることによって、彼が神からイスラエルと名づけられたこと[10];モーセに関しても、諸々の印と諸々の力を通して彼が神に仕えたこと[11];また、ヌンの()イエスが、神によって(願いを)聞き届けられて、太陽をギブオンの上に、そして、月をアヤロンの谷の上に立たせたことも[12]、彼は信じる。

しかし、誠実な士師たちに関して、そして、彼らによって為されたの述べられている諸々の事柄に関して[13];あるいは、諸々の王国の諸々の書の中でサムエルに関して、諸々の収穫の時に彼が諸々の雨を神から諸々の雨を懇願して得たこと[14];そして、ダビデ――主は彼を羊たちから取り上げ、ご自分の僕ヤコブとご自分の嗣業地イスラエルを支配するようにされた――に関して[15];そして、ナタンに関して、彼が預言したこと[16];また、ガドに関して[17];そればかりか、ソロモンに関して、幻視の中で主が彼に現れたこと[18];そして、エリヤに関して、(聖文書に)書かれている諸々の印と諸々の奇跡のすべてが実現された後[19]、彼が上昇を通して天の中へと上げられたこと[20];そればかりか、エリシャに関して、彼がシュネムの息子を復活させたばかりでなく[21]、彼の諸々の諸々の骨の上に投げ出された死者を復活させたこと[22] [したがって信じる人たちの一人ひとりは見な、書かれたすべての諸々の事柄を信じるべきである[23]];ヒゼキヤに関して、彼の諸々の日の中で太陽の影が後方に後ずさりしたこと[24](に関して何を言うべきだろうか)

したがって我々の信仰は、すべてのものの中で第一に、我々の主イエス・キリストの中に、しかし首尾一貫して、すべての聖人たちの中に――太祖たちや預言者たちやキリストの使徒たちの中に――我々が上に述べた順序において存する。



[1] Cf.Gn.2,7.

[2] Cf.Gn.2,21-24.

[3] Gn.4,26.

[4] Cf.Gn.5,22-24(LXX).

[5] Cf.Gn.6,8.

[6] Cf.Gn.18,1-8.

[7] Cf.Gn.21,1-7.

[8] Cf.Gn.22,1-14.

[9] Cf.Gn.26,1-6,24.

[10] Cf.Gn.32,29.

[11] Cf.Ex.7,1ss.

[12] Cf.Jos.10,12-13.

[13] Cf.Jg.3,7s.

[14] Cf.1S.12,17-18.

[15] Cf.Ps.77,70-71.

[16] Cf.2S.12,1-15.

[17] Cf.2S.24,11-14.

[18] Cf.1R.3,5.

[19] Cf.1R.17,1s.

[20] Cf.2R.2,1,11.

[21] Cf.2R.4,32-35.

[22] Cf.2R.13,21.

[23] 削除可能。

[24] Cf.2R.20,8-11; Is.38,7-8.

 

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