130 オリゲネス:しかし我々は、次のことを主張する:人間たちがこの世の腐敗の後にも、同じ者たちだろう――同じ状態の中にもおらず、同じ諸々の受動の中にもいないけれども。なぜなら、彼らはもはや、男と女の付き合いに由来しないだろうから。しかし、たとえばパウロの実体――しかし私は今、パウロの身体的な(実体)のことを言っている[1]――を保有する同じ理拠は、無傷のまま存続する;そして、言われた諸々の事柄に従って、諸々の喇叭の秘跡を通して、「最後の諸々の喇叭の中で、死者たちが復活する[2]」ことを神が望んだとき、無傷のまま存続する実体的な理拠を通して、土地の塵から、死者たちの中から、すべての諸々の場所から、彼らに対して身体的実体の理拠が同じ諸々の身体の中に存続していたところの者たちが復活する;そして、土地の中に落ちたそれらの身体は、神の意思によって再び起き上がる、と。

そして、使徒は『コリントの人たちへの第一の手紙』の中で、死者たちの復活の主張の後でそのことを言おうと望んで次のことを言ったと私は思っている――死者たちの復活に関して他の人たちから対示され得る諸々の事柄を自分に提示するとき――彼は次のように言っている:「しかし、人は言うだろう:死者たちはどのように復活するのか;しかし、どんな身体で彼らは来るのか、と。愚か者よ。あなたが蒔くものは、予め死ななければ、生かされない。そして、あなたが蒔くものは、将来の身体ではない。あなたは、単なる種――たとえば、小麦や他の諸々の物の何かの(単なる種)――を蒔く。しかし神は、ご自分の望むままに、それに身体を与える[3]」と。

実際、彼は、死者たちが復活することを明白に明示していたのであるから、そして、我らの救い主は、彼がマリアから受けた同じ身体と共に復活したのは確実であるから、しかし、どのようにして他の人たちが復活するだろうということや、そのような身体を持つだろうかと言うことは十分に明らかでない故に、彼は復活を、土地の中で蒔かれる諸々の種――たとえば土地の中で落ちた後に腐敗する穀物の種――に比較した;しかし、その(種の)諸々の最内奥の中に植え込まれた理拠の力、まさにその理拠に力が、みずからに接する土地と水の湿り気とを得て、そればかりか、空気の周囲の温もりや熱の十分な火口を受け取りつつ、神的な権能を通して藁や穂の身体の中へ起き上がる[4]。そしてそのことが、(使徒が)言っていることである:「あなたが蒔くものは、予め死ななければ、生かされない。そして、あなたが蒔くものは、将来の身体ではない[5]」と。したがって、種[として土地[6]]の中に落ちる我々の身体は、穀物の種に比較される。



[1] Cf.De Princ.,II,10,3.

[2] Cf.1Co.15,51-52; 2Th.4,16.

[3] 1Co.15,35-38.

[4] 省略

[5] 1Co.15,36-37..

[6] [ ]内は推測。

 

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