141 オリゲネス:実際、我々の中で容貌は――諸々の特徴は多大の変化を受け取るように見えるにもかかわらず――、幼少期から高齢期に至るまで同じまま存続するのと同様に、いま我々の中にある形姿は、将来の中でも同じままに存続するだろうと理解されねばならない――最大の変化によってより善くより栄光的なものになるにもかかわらず。実際、諸々の身体的な場所の中に居住する魂は、それが生活する諸々の場所に適合する諸々の身体を使用するのが必然である。そして、たとえば我々が海の諸々の水の中に居住しなければならない、あるいは、過ごさねばならないとすれば、疑いもなく住居の性質に応じて、諸々の水の中に生きている生き物たちが持っているような身体の状態と構成を持つ必要があるのと同様に、今(の場合)、諸々の天の住居が約束されているのであるから、諸々の場所の栄光に即して、諸々の身体の諸々の性質も適合されるべきなのが必然である。したがって、以前の(身体の)この形姿は、その変化がより栄光的なもにされたとしても、取り除かれることもないだろう。実際、主イエスご自身やモーセやエリヤの形姿は、変容の中で、変容の以前にあった形姿と別のものでなかったのと同様に[1]、聖なる者たちの形姿も、たとえ大いに栄光的になるとしても、別のものにはならないだろう。



[1] Cf.Mt.17,2-3.

 

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