165 オリゲネス:しかしあなたも、あなた自身の許で議論して、次のことを考えるべきである――それらに関して如何なる仕方でも考える人は、異端者ないしは教会人として無思慮に定義されるべきであるかどうか、あるいは、彼について次のことを公言することは危険でないのかどうか:実に、上に私たちが言った諸々の事柄から、如何なる意見であっても――それが大多数の人たちにとって決して異質であるにもかかわらず――導入するように見える人自身も、「邪悪者であり、罪を犯しており、自分自身によって断罪されている[1]」と。



[1] Cf.Tt.3,10-11.

 

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